第七章「記録なき日々と、新しき危機」 第1話「神なき朝と、世界の原風景」 〔中編〕「名付けることで、存在にする」
空白の獣――それは、名前も属性も持たない、
情報のない“概念未満の存在”だった。
剛たちのステータス画面にすら、それは表示されていない。
スキルも、攻撃も、すべてがすり抜ける。
「剛! 剣がすり抜ける! 当たってるのに!」
ティナが叫びながら間合いを取り直す。
剛も全身から冷や汗が噴き出すのを感じていた。
「この世界じゃ、“名前のないもの”は“認識されない”ってことか……!」
ナナが震え声で叫ぶ。
「“定義されていないモノ”は、情報の外にある! つまり――スキルも記録も届かない!」
「けど、何かあるんだろ!? あの存在には“意志”がある!」
目の前の獣は、剛たちに向かってじわりと歩み寄ってくる。
脚音さえないのに、大地が揺れているように感じる。
剛は、胸の奥をぐっと押さえるように、言葉を吐いた。
「なら……俺たちの役目は、コイツに“名前”をつけることだろ。
存在を、認識できるようにする。世界のルールに組み込む!」
ナナが息を呑む。
「……本気? 名前をつけるって、“定義者”として干渉するってことよ!?
間違えれば、逆に危険を招く!」
「間違えるも何も……やるしかねえ!」
剛は踏み出す。
右手に握った剣の意味は、今や武器ではなく“宣言”そのものだった。
「――お前に、名を与える」
周囲の空気が震えた。
空白の獣が一瞬、動きを止める。
剛は、自分の鼓動の音だけを頼りに、言葉を紡いだ。
「お前は、“シログマル”。
この地に最初に現れた、名前なき巨獣。
だが今、お前は“存在”として、俺たちに認識された」
瞬間、地面が跳ねた。
光が、剛の掌から獣へと流れ込み――
《シログマル Lv???/種族:幻獣(分類:未安定)》
《初期認識、成立。記録許可:仮承認》
《一部スキル使用可能状態へ》
画面に、ようやく敵の名前が現れた。
「……成功した! ナナ、属性確認は!?」
「曖昧だけど……“虚無属性”っぽい! 剛、虚無耐性はまだないわよね!?」
「うん、たぶんあと1回死ねばつく!」
「やめて! 生きてつけて!!」
ティナが笑いながら斬りかかる。
「よし、今度は当たった! ダメージ通る!」
戦いの流れが変わった。
“定義”することで、無の存在は“現実”へと落ちたのだ。
剛は、獣の突進を受け止めながら叫ぶ。
「これが……この世界のルール! 名前を与えることが、生きるための最初の戦いなんだ!」
ナナが、剛の背後で微笑んだ。
「やっぱりあなたは、“最初の定義者”ね」
そしてついに、ティナの剣が獣の中心を貫いた。
光が四散し、シログマルは霧となって消える。
《討伐成功:未定義存在「シログマル」》
《称号:「命名者」獲得》
《新スキル:「定義注入」獲得》
深く呼吸する剛。
仲間たちも肩で息をしている。
「……ようやく、“一歩目”だな」
剛はそう呟き、遠くに続く丘を見上げた。
だがその視線の先に、ひとりの“少年”の姿が立っていた。
シロ。
“記録を拒む者”と名乗った少年が、再び彼らの前に現れ、言った。
「お前たちは……もう、“毒”を撒き始めた。
名前は、呪いになるんだよ」
剛の表情が固まる。
「次に名付けを行うとき、世界はその重みをお前に返すだろう。
それでも、お前は続けるのか? “記録者”よ」
沈黙。
そして剛は、はっきりと答える。
「“名付けること”は、生きることと同じだ。
なら、俺は――止まらない」
──後編へつづく。




