第五章「書き換えられた世界と、抗う者たち」 第4話「空白の旅と、歪んだ地図」 〔前編〕「存在しない村の噂」
旅路の途中、剛たちは〈フレイム峠〉の小さな宿に一泊していた。
風はやや強く、乾いた砂が路面を滑る音が静かに耳に残る。
夜の帳が下り、星のない空を見上げながら、剛は無意識に“地図”を広げていた。
「なあ、ナナ……ここって、通ったことあったか?」
剛が指差したのは、地図の南部にぽつんと記されている――名もない“点”。
ナナは眉をひそめて地図を覗き込んだ。
「……おかしいね。この標記、私の記憶にはない。
この地図、中央記録庁の最新版でしょ? 改ざんされてるわけでもないはずだけど……」
それは、正規の地図に唐突に追加された村のような存在だった。
周囲には何も記されておらず、道もなければ、由来もない。
ただ、ぽつりと“ある”。
「空白の中に浮かぶ点……まるで“あとから無理やり貼りつけられた”みたいな違和感があるな」
「再走スキルの影響……かもしれないね」
剛は黙り込んだ。
彼が《記録再走》を使って変えた第62回転生の出来事――
ティナと村を救った“過去”が、“現実の地図”にも反映されてしまっているのだろうか?
記録は書き換えられた。
だがそれは“記憶”ではなく、“現実”に影響を及ぼしている。
そしてナナは、ふと口をつぐむと、懐から一枚の古びた手紙を取り出した。
「……これ、今日宿で手渡されたの」
「手紙?」
それは、灰色の羊皮紙に筆で書かれた乱雑な文字列だった。
『助けてくれ。あの村が、おかしくなってる。
誰も俺のことを覚えていない。
昨日まで一緒にいたはずの家族すら、存在しないと言うんだ――』
──ロルフ
差出人は“ロルフ”という名もなき青年。
かつて剛が救った、ティナの村の狩人だった男の名だった。
「……ロルフ。確か、村の門番をやってたやつだ」
「うん。でも、彼は記録の中で“死んだ”はず。
ティナを逃すために、最後まで戦って……あなたも、その背中を見ていた」
だが、もし記録再走の結果、ロルフが生き延びたなら?
そして、彼だけが“元の記録”と“変えられた今”の狭間で、
記憶を保っているとしたら――?
「……確かめに行くしかないな。
あの村が、本当に存在しているのか。
そして、そこにいる彼が、“今の世界”にとって何者なのかを」
ナナは、そっと地図を巻き直した。
「ただし、剛……忘れないで。
この旅は、もしかしたら“帰ってこられない旅”かもしれないよ」
その言葉を胸に刻みながら、
剛たちは“存在しないはずの村”へと歩き出す。
──〔中編へつづく〕




