第十二章「誰にも記されない物語」 最終話「記録のないその先へ」〔中編〕 ──風が吹く先に、まだ誰も知らない明日がある。
昼下がり。
草原の拠点に、久々に“客人”が訪れた。
「よう。……生きてたか、剛」
片手を挙げて現れたのは、かつて剛と敵対した男──“転生者狩り”と呼ばれた元傭兵のラギオだった。
「お前がここに来るとはな。……驚きはしないけど」
「こっちも驚いたさ。まだ誰かが生き残ってて、こうして生き直してるなんてな」
ラギオは荷を下ろし、麦の穂でできた草のベンチに腰掛けた。
彼の背はやつれ、かつての殺気は薄れ、代わりに“疲れた男”の顔になっていた。
「俺はな、もう戦うのに飽きたんだ。
けど、“戦ってしか生きてこなかった俺”が、どうすりゃ人として生きていけるのか、さっぱりわからなかった」
「それでも、来たのか」
「ああ。“わからないまま”でも、歩くしかねぇと思ってな。
剛。お前に会えば、何かわかる気がした。……いや、間違えた。“お前ら”に、だ」
剛は一言も返さず、代わりにスコップを渡した。
「そこの畑、今日の夕方に芋掘り。手伝え。
スキルも、肩書きも、意味もいらない。ただ、掘れ」
「……命令されたのなんて久しぶりだ。わかったよ」
ラギオは苦笑し、土の感触を確かめるように指を動かした。
他にも、かつて敵だった者、裏切った者、記録に“悪”と書かれた者たちが、一人、また一人とこの地を訪れる。
剛は拒まなかった。裁かず、許しもせず、ただ「居場所」を示しただけだった。
誰が“善”で、誰が“悪”だったのか──そんなものはもうこの世界には存在しない。
あるのはただ、今日を生きる人々と、その人々が作る“今”だけだった。
リノアは風車を修理しながら、小さな声で剛に聞いた。
「……こうして人が増えていくと、また“国”とか“秩序”とか、作ろうとする人も現れるかもしれないわね」
「そうだな。いつか、誰かが『この世界の未来はこうあるべき』って言い出すかもしれない」
「それでも、あなたは戦わないの?」
「戦わないよ」
剛はきっぱりと言った。
「だって、俺たちは“記録されない生き方”を選んだんだ。
誰かに意味づけされることから、もう自由になったんだ。
なら、これからの未来にだって、自分の足で向き合えるはずだろ?」
それは、かつて何百回と死んだ男の言葉だった。
敗北を繰り返し、それでもなお、立ち続けてきた男の言葉だった。
記録も神も終わったこの世界で。
人は、自分の弱さと向き合いながらも、生きていける。
──ただ、自分の名で。
──ただ、自分の言葉で。
その先に、新しい何かが芽吹いていくのだ。
──〔後編へつづく〕




