第十二章「誰にも記されない物語」 第3話「星を見上げて、名前を呼ぶ夜」〔後編〕 ──世界に、名を。そして自分自身にも。
夜が深まっていく。
けれど、焚き火の輪からは誰ひとり離れようとしなかった。
皆が、誰かの言葉に耳を傾け、
そしてまた、自分の胸の中から新しい言葉を取り出しては、そっと世界に差し出していく。
「“ソリュニア”。私が聞いた、風の音の響きに似てたから」
「“オーニス”。母の名前だった気がする……記憶にはもうないけど」
「“ゼルティア”って、語感が好きだっただけなんだ。でも、それでもいい気がした」
それは名付けではない。命名式でもない。
言葉の共有でも、投票でも、選別でもなかった。
──ただ、皆が“この世界をどう呼びたいか”を、自分の心からすくい上げるように話しただけだった。
剛はその様子を、静かに見ていた。
これが、“誰にも記されない物語”の最初の夜なんだと、ふと思った。
かつて自分は、スキルを得るたびに死に、死ぬたびにスキルを得ていた。
それが人生だと思っていた。戦いと再起だけが、生きている証だと。
けれど今は、違う。
火のそばで肩を寄せ合い、誰かの言葉に小さく笑って、夜空を見上げる。
たったそれだけのことが、生きるということなのだ。
「剛、君はまだ言ってないだろ?」
ルナの声に、皆の視線が集まる。
剛は小さくうなずき、ゆっくりと立ち上がった。
「……実は俺、自分の“本当の名前”って、まだ誰にも言ってなかったんだ」
ざわめきが生まれる。
彼の名は、“ゴウ”で通っていた。それがあたりまえのように受け入れられてきた。
でも──
「転生するたびに、名前なんて変わるし、意味もなくなる気がしてた。
でも、今……この世界に、本気で“名前を呼びたい”って思った時、
ようやく自分の名前にも向き合えた気がしてさ」
剛は空を見上げた。
「だから、俺は今日から──“一ノ瀬 剛”って名乗る。
これは最初に生きてた世界で、俺がもらった最初の名前だ」
それは、誰にも必要とされなかったころの名前。
誰かに褒められたこともなければ、期待されたこともなかった名前。
けれど今、この草原の夜に、それはまぎれもなく“彼自身の名前”として蘇った。
ルナが小さく拍手し、ティナがうなずく。
リノアが微笑み、ルリが「いい名前だね」と言った。
それは承認ではない。ただの反応。
でも、それで十分だった。
「なあ、この世界の名前、決められなくてもいいんじゃないか?」
剛がぽつりと言う。
「名前って、誰かが勝手につけて、“これが正解だ”って言うもんじゃない。
誰かが呼びたい名前で、呼べばいい。……この世界はそれを、ちゃんと受け止めてくれる気がする」
風が吹いた。
火がぱちぱちと音を立て、星が夜空でまたたく。
その静けさの中で、誰かが呟いた。
「……じゃあ、今日から私は、この世界を“ティラナ”って呼ぶ」
「僕は、“風原”が好きだな」
「私は、“ソレイユ”。意味はないけど、響きが好き」
誰も否定しない。誰も正さない。
それぞれが、それぞれの名前を抱いて、生きていく。
──神が名付けたのではない。
──記録が残したのでもない。
ただ“人が”呼んだ名が、この夜、生まれた。
それこそが、この世界にとっての“再創世”だった。




