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超克の剣  作者: 姫之尊
6/7

出立 3

 潮風が吹き(すさ)ぶ浜辺に、この地域一体の武士や町人の墓所がある。

 夏の海風を浴びながら、私は熱心に目を閉じ、あの子の冥福を祈っていた。

 膝をついて祈る先には、小さな野面の墓石が幾つもまとめられている。

 その中の一つに、自然の石で人の顔ほどの大きさの五輪塔を模した、不相応に立派な墓石がある。

 その墓に向かって祈っている。

 地輪とされる石には下手な字で『市松之墓』と書かれているが、これを読めるのは、私と時継くらいだろう。

 これは時継が、自ら手にかけた私の弟の為に拵えた墓だ。


「市松⋯⋯私少しあの男についていくから、暫くは来れないけど心配しないで。絶対あの男も一緒に帰ってくるから」


 目を開くと、悪筆な文字が写る。

 時継は書道の心得を持っているはずだった。

 だが石に掘られた字は下手としか言いようがない。

 石を削って文字を掘るのが初めてだったとしても、もう少し何とかならなかったのかと顔を顰めた。


「それじゃあ⋯⋯そろそろ行くわ」


 立ち上がった瞬間、墓石の隙間の枯葉が、不自然に浮き上がった。

 風のせいなのかと顔を上げたが、先程まで髪をなびかせていた潮風は止んでいた。

 その現象を訝しみながら、空を見上げた。

 よく晴れた空から、太陽が背中に降り注ぐ。

 おろしたばかりの朱色の着物が、日に焼けて色あせてしまうのではと思うほど、暖かな光が身体を包んだ。


「気をつけてねお姉ちゃん」


 どこからか懐かしい声が聞こえた。

 周りを見渡して声の主を探したが、墓には私の他に、小さな娘を連れて墓参りに来ている母子しかいない。


「まさか⋯⋯あなたが?」


 弟の小さな墓を見下ろした。

 墓から声が聞こえるなんて非現実的な現象、私は信じない。

 市松を想う心が幻聴を聞かせたのだと自分に言い聞かせながら踵を返した。


 時継達の所へ行くため、足を踏み出し、止まった。

 背後に誰かいる。そんな直感が働いた。


 だがその人物は、振り向けば霞のように消えてしまうだろう。

 目を閉じ、頭の中で私を正面から見つめ、背後に立つ幼き弟に向かって微笑みかけた。

 ツギハギだらけの着物を着て、顔には泥汚れを纏わせた市松も、笑顔を返した。

 もはやこの目にすることは出来ない、あの日のまま時が止まった弟の姿を私は目に焼き付けた。


「私達がそっちに行くまで待ってるのよ」


「うん。なるべくゆっくり来てね。お姉ちゃん」


 市松は白い歯を見せながら屈託のない笑みを浮かべると、その夢幻の肉体は塵のように粉々に砕け、風に乗ってどこかへ吹かれていった。


 目を開け、1度振り返って誰もそこに居ないことを確認し、私は止まっていた足を進めた。


 墓の外で、時継と瑾が待っている。

 時継は腕を組みながらこちらを見据え、瑾は腰に手を当てながら私のそのさらに後ろの、地平線に広がる大海に関心を寄せていた。


 時継の手には、私が愛用している弓が握られている。

 イチイの木と麻で拵えられた弓を、時継は無断で私のの家から持ってきていたのだろう。

 この場合は取りに帰る手間が省けたので、感謝すればよいのだろうか。

 さらに、時継の太ももに支えられるように、矢筒が置かれ、中に自作した弓矢が数本入っているのが確認できた。


「わざわざ持ってきたのね」


 いつもの声が届く距離まで迫り、手を伸ばし、弓と矢筒を求めた。


「そりゃ旅に出るわけだからな。お前も丸腰ってわけにはいかないだろう」


「あら、あなたが守ってくれるんじゃないの?」


 弓矢一式を受け取り、紐のついた矢筒は肩に掛け、弓は腰の帯を通して背負いながら、皮肉を混ぜた声で言うと、時継は右の眉を吊り上げた。


「守るさ。今度こそな。だがだとしても自衛は大事だ。ほら、これも持ってろ」


 時継は脇差を外し、私に手渡した。

 この男の愛用品だが、特に拒んだりすることなく脇差を腰に差した。


「それで、あいつはなんて言ってた?」


「なるべくゆっくり来てだって」


「そうか⋯⋯なら途中で野垂れ死になんてしないように留意しないとな」


 俯きながら呟いた時継の顔に、微かな笑みが浮かぶ。

 時継の笑顔というのは、私にとっては暖かい陽だまりであり、忌むべきものでもあった。

 昔はこの男の笑顔を見るだけで、自分も元気を貰えるような気分になれたのに、今ではその心に憎しみかのしかかり、時継の笑顔は一種の呪いになっていた。


「もう行きましょ」


 時継の顔を見たくなく、とりあえずその場から離れようと時継と瑾の横を抜けた。


「ところで、どこに行くかは決まってるのか?」


 私が意図して時継から距離を取ったことを察したのだろう。瑾がそれとなく尋ねた。

 振り向いてみると、時継は気の抜けた顔を傾げている。


「いや、なんも決めてない」


「おいおい⋯⋯」


「いやだって⋯⋯どうせ亡者がいる所は片っ端から潰して行くつもりだし」


「何年かかるんだそれ⋯⋯」


「いやだって⋯⋯亡者の親玉がどこにいるかとか全く知らないし」


「そもそも親玉っているのか⋯⋯」


 瑾が唖然と口を開いたままにすると、包帯が引っ張られ、下にズレた。後でまた巻きなおしてあげなければ。

 亡者を滅ぼすという志には、瑾も私も賛同しているし、何より時継の選択や行動に異を唱えるつもりは毛頭ない。


 おそらく瑾は時継の行く場所が自分の場所だと、真剣に考えている。

 昨夜具体的に何があったのかは知らないが、たった一晩でふたりのあいだには硬い絆が生まれている。

 まるで昔の私達のように。


 だとしても、何も考えずに闇雲にあちこち行き来するだけでは、時継の宿願にも繋がらないだろうし、何より私もそんな面倒な旅はしたくない。

 瑾は包帯を元の場所に戻しながら口を閉じ、私に目を向けた。


「すまないが、君はどこに行くべきか考えはあるか?」


 私は横顔を向け、眼球だけを動かし、ふたりを見据えたかと思うと、南の海岸に広がる森林に目をやった。

 欅などの広葉樹が広がる、静かな森だ。

 時々、時継があの森に出かけては、獲物を手にして私にお裾分けしていた。


 だが今森を見て考えたのは、時継が持ってくる獣の姿や肉の味ではなく、あのような森の風景が広がる、日本有数の緑の国だった。


「紀伊国⋯⋯」


「え? なんて?」


 声がよく聞こえなかったのか、時継が聞き返した。


「紀伊国に行きましょ」


 振り返りながら言うと、今度は時継の耳にしっかりと言葉が入ったようで、顎を引きながら考えるように瞼を下げている。

 紀伊国はその領地のほとんどを山林が占め、少ない平地には多くの豪族がひしめき、守護大名に縛られず、自治を守ってきた(そう)村が集まって暮らしている国だ。

 

 私が紀伊国を選んだのは、そんな惣国を見たいからなどという理由では無い。


「紀州か⋯⋯まさか、いきなりあそこに行くのか?」


 時継は鋭利な目で私を凝視した。

 生活の中でほとんど常に軽口を叩き、誰かと戯れている時継でも、紀州という国についてはよく知っている。


 この和泉国の南に隣接した、巨大な国には、足を踏み入れたことは無い。

 河内(かわち)や摂津というほかの隣接国には足を運んだことがあるが、紀州だけは経験がなく、紀州にもっとも近い淡輪(たんのわ)などの地域にも不用意に近づかないようにしていた。


「ええ、その方が旅にも張りが出るんじゃないかしら」


「⋯⋯て言ってもな⋯⋯流石に3人でいきなり紀州は⋯⋯」


 困った様子で、時継は頭を撫でながら顔を顰めた。

 

「なあ、その紀州にはなにがあるんだ?」


 明国出身らしく、国々の知識に疎い瑾が時継の顔を覗いた。

 時継の黒目が瑾を捉えると、瞳の奥に包帯が鮮明に映った。


「紀州はな。もはや亡者の国なんだよ」


「亡者の国? どういうことだ?」


「亡者が多すぎて国衆や民が多く逃げ出した土地なんだよ」


 時継の言う通り、現在の紀伊国は、数少ない人の住まう土地でさえも亡者達が蔓延り、その多くは舟や自らの足で国を捨てた。

 残った者たちは今も尚亡者に抗い続けているが、その抵抗もいつまで続くのかは分からない。


「それならむしろ好都合なんじゃないのか」


 瑾がふと口を開いた。


「お前の目的は亡者を滅ぼすことだろ? ならいいじゃないか。その紀伊国の亡者を打ち倒せば」


「うーむ」


 そう言われてしまえば、時継も反対はしづらくなるのだろう。

 時継が紀伊国を裂けたいのは、自分が多くの亡者と戦う自信が無いからではなく、戦闘の後、瑾と私が無事五体満足で国を出られる保証が無いからだろう。

 だが瑾は乗り気になっている。

 瑾にも、亡者をどうにかしたいという想いはあるらしい。そして、私もそれは同じだ。いや、なんなら時継にだって負けてない自負はある。


「ここでぐだぐだ考えてても仕方ないし、さっさと行きましょ」


 話を無理矢理切るように、私は南へ向かって海岸を歩き出した。

 どうせ彼と共に亡者と戦うのだ。

 最初にどこに行こうがやることは変わらない。


「お、おい⋯⋯ああもう。わかったよ。よし行くぞ」


 時継は迷いを打ち消すように頭を掻き乱すと、瑾の腕を掴んで私を追いかけてきた。

 

「行っとくけど妙林、お前を守れるかは微妙だからな。自分の身は自分で守れよ」


「言われなくてもそうするわ⋯⋯信用してないし」


 私はふんっと鼻を鳴らした。

 瑾を引っ張ったまま時継は私を追い越し、手を離した。

 自然と瑾の歩行速度が私と並んだ。

 時継は先頭を行きながら、懐に手を入れている。

 帯と腹の間に挟んでいる愛用の十手を掴んでいるのだろう。


「さてと、紀州には南蛮の女子(おなご)はいるかなぁ」


「おい、まさか旅の目的はお前の嫁探しか?」


 時継のくだらない冗談に瑾が反応しているが、無視すればいいと教えてあげようか迷っていた。




 




 

 

 



 

 

  



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