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超克の剣  作者: 姫之尊
5/7

出立 2

「おーい、瑾出てこーい」


 診療所にもなっている妙林の家の木戸を叩きながら瑾を呼んだ。

 直ぐに中から足音がして、僅か3寸ほど木戸が開き、その中から、紺碧の瞳が現れた。

 やはり時折、この女の目は青みを帯びている。


「煩いわね」


 妙林が恨み言を言うかのように呟くと、木戸が完全に開かれ、家の中の様子も映った。

 玄関を上がった先は土間になっていて、小さな囲炉裏があり、患者と妙林が座る藁が敷かれている。

 今は藁の上には瑾が座り、片膝を立てながら俺を見ていた。

 部屋の隅には薬研や薬箱が綺麗に整頓された状態で置かれ、部屋の中の水瓶にも、常に綺麗な井戸水が用意されている。


「随分と早かったなぁ」


 予想よりも到着が早い俺に、瑾が言った。


「まあ、上手く説得できたからな」


「⋯⋯まあそれならいいが。で、随分な荷物じゃないか」


「ああ、兄上と姉上が色々と持たせてくれたからな。まあ、すぐに尽きそうだけど」


 俺は背中の荷物に目を配りながら、ご機嫌に話す。

 やけに荷物が重く、ガシャガシャと音が鳴ることや、背中に硬い感触が当たることから、おそらく風呂敷の中身の大部分は鍋や食器だろう。

 食べ物はそれほどないに違いない。何しろ兄は草を食べれば俺は大丈夫だと思ってるのだから。

 間で俺達のやり取りを聞いている妙林は、何か言いたげに、神妙な顔で俺を見つめた。


「どうした? 俺の顔になにかついてるか?」


 見つめられると少し恥ずかしくなり、自分の頬を手で擦った。


「ねえ時継⋯⋯」


 ただ事ではなさそうな、重厚な声が妙林の口から発せられた。

 その声が先程の兄の声に似ていると感じた。


「なんだ?」


「彼から話は聞いたわ。旅に出るなら、私も連れていって」


「⋯⋯は?」


 子首を傾げながら、間の抜けた声が口から漏れる。


「なんでだ⋯⋯?」


 妙林は自分を恨んでいる。

 だがそれでも気持ちを押し殺し、自分と共にいるのは、村の皆から、なぜ不仲になったのか詮索されたくないからだろう。もしくは俺を殺すのは自分だと言いたげに、俺を見張っていたのかもしれない。

 そして、俺達はふたりとも子供達に慕われているから、子供の前だけでは仲の良い友人を演じている。と俺はずっと考えていた。


 あの忌々しい事件以降、妙林に恨まれるのは当然だと考えつつも、俺はいつか妙林と昔のように仲の良い幼馴染に戻れるのではと、淡い期待を抱いていた。


(まさかこれは⋯⋯)


 関係修復の好機なのかと胸が高鳴る。

 しかしそんな様子は、妙林の顔つきからは微塵を感じられない。


「別に貴方が野垂れ死にしようと、野盗か亡者に殺されてもどうでもいいけれど、その死に様は直接拝みたいと思ってね」


 相変わらずの物言いに、笑うほかなかった。

 これが本心なのか、同行するための口実なのかは分からない。

 頷きながら、一度深く目を閉じ、おもむろに瞼を上げると、視野を妙林の顔が覆った。

 妙林は鋭い眼光で俺を見据えながら、口元を真一文字に結んでいる。

 まるで博打打ちの顔だと思った。


「言っとくけど、俺はここに帰ってくるつもりは無いぞ。本当に来るのか?」


「そんなこと分かってる。私は、私の知らないところで貴方が死ぬのが耐えられないの」


「ふっ。わかったよ。じゃあ俺の分も準備を済ませてくれ。それからだ」


 言い終えると、妙林は草履を履いて家を飛び出した。

 妙林が海沿いにある地域の人々の墓所に向かうのを確認し、口角を上げながら家へ上がった。


「てことですまん。あいつも連れていく」


 もうひとつの藁に腰を下ろし、瑾と向かい合った。

 瑾は今の話を聞いても、動揺した様子は無い。


「いや、それは構わない。実はさっき俺も言われたんだ。私も連れて行ってほしいってな」


「ん⋯⋯そうだったのか」


「まあ、動機は今知って驚いてるんだけどな」


 瑾の口から笑みがこぼれた気がしたが、包帯に隠れて分からなかった。

 

「しかし、昨日今日会っただけだが、お前と彼女の関係は随分複雑そうだな」


「まあ色々あるのよ。生きてたら」


「お前も俺も同じ年しか生きてないだろ⋯⋯」


 瑾は立てていた片膝を伸ばすと、折りたたんで胡座をかいた。

 首筋を撫でながら首を伸ばし大きく息を吐いた。

 呼吸音が包帯を介して、重音になる。


「お前、それ苦しくないのか」


 時継が自分の口元を指差しながら言った。


「見た目ほど苦しくないぞ。彼女の手当のおかげだ」


「ふーん。コツがあるんだな」


「お前が替えてくれなかったからな⋯⋯ある意味それでよかったよ」


 半ば閉じた目で瑾が睨むと、俺は目を逸らした。

 目を逸らすと、使い古され黒ずみが目立つようになってきた手洗いの木桶と、白い布が視界に入った。


 妙林がついてくるということは、この近辺で数少ない医者がひとり減るということだ。

 妙林に思いとどまるよう説得する術はないかと考えるが、一度決めたことは曲げない妙林の性格を思えば、できるはずがなかった。


(まあ、医者が必要なら兄上辺りの役人が誰か連れてくるか⋯⋯)


 腕を組みながら、倒れるように身体を側面から寝かせ、足を伸ばした。

 肘を床につき、頭を手の上に乗せると、自分の家にいるかのようにもう片方の手で腹を掻きながら欠伸をした。 



 こいつ良く人の家で寝転がれるな。しかも自分を嫌ってる女の家で。

 そう言いたそうに瑾は呆れた様子で首を捻りながら目を閉じた。


「時継ぅ!!」


 突如玄関の木戸が勢いよく開かれたと思うと、剣道場の二助とすえが仁王立ちしていた。

 人様の家の戸を開ける時は静かに丁寧にと、こいつらは親から教わってないのだろうか。

 ふたりは一度、全身包帯姿の瑾に目を向けたが、特に驚いたり恐れたりする様子もなく、玄関に上がった。

 ここにこいつが辻斬りの正体だと付け加えたらどうなるだろう。


「どうしたんだ慌てて、妙林ならいないぞ。怪我したなら俺が見てやろうか?」


 寝転がったまま家主不在であることを告げると、二助の眉間にシワがよった。


「怪我したんじゃないよ! さっき先生に聞いたんだ。時継と一緒に村を出るって」


「ああ、その事か。はっ! しまった⋯⋯お前らに言うの忘れてた」


「⋯⋯こんな大人にはなりたくないね」


 すえが冷ややかな目で俺を見据えていると、身体を起こして胡座をかいた。


「まああれだ。言うの忘れてたけど、道場の師範も辞めるから。悪いなお前たち」


 心弾むのを隠せず嬉々として話す俺と対照的に、二助は両手の拳を握りしめながら、頬を膨らませた。

 いつもは減らず口ばかりの二助もすえも、本心では俺のことが好きなのだろう。

 こいつらが立てるようになった頃から知ってるのだ。それくらいは分かる。

 兄代わりであり、年の離れた友達でもある俺が、自分達には何も言わずに村を去ろうとしてるのだ。

 俺がこいつらの立場だとしても、同じような態度になるだろう。


 その事に、二助の(はらわた)は煮えくり返るようになっているのだろう。顔が真っ赤に染まっている。


「どうして昨日にでも言わなかったんだよ」


「あ、いや⋯⋯ついさっき決まったから⋯⋯」


「はぁ!?」


 突拍子もない俺の行動に、二助とすえは口を開けて唖然とした。


「じゃあ⋯⋯先生もさっき決めたの?」


 呆然としたままの二助に変わって、すぐに落ち着いたすえが尋ねた。


「そうだぞ。まああいつがついてくるとは俺も思ってなかったんだけど⋯⋯」


 頭を掻きながら、どこか他人事のように答える。

 二助とすえはお互いの顔を見合わせると、頬に一筋の汗が滴った。


「でも⋯⋯どうして急に村を出るなんて」


 二助が目を伏せながら言う。

 俺は瑾に目を向け、この辻斬りの正体について説明しようと思ったが、余計な火種を撒くことになり兼ねないと取り止めた。


「まあそれはだな。さっきたまたま兄上から許可をいただけたからだ。で、善は急げって事で早速旅立つことにしたわけだ」


「⋯⋯じゃあ、僕達のこと凄い剣士に育てるって言ったのは⋯⋯もう無かったことになるの?」


 二助の声は震え、寂寞(せきばく)としているこの空間に響いた。

 微かに微笑むと、二助とすえを見据え、白い歯を見せた。


「大丈夫だ。俺が教えられることはもうほとんど伝えた。後は俺の言葉を思い出しながら鍛錬を積めば、お前ら全員凄い剣士になれるよ」


「ほんとに? じゃあ強くなったら、僕達と試合してくれる?」


「ああ、お前達が今よりもっと強くなった時は、俺はここに帰ってお前ら全員と戦ってやる」


 二助とすえは目元を擦り、鼻を啜った。


 少し目をそらせば、何故かひとりでうんうんと頷く瑾の姿があった。

 俺達のやり取りに感動でもしたのだろうか。

 偏見でしかないが、明国人はこういった別れ話が好きそうだ。俺も好きだし関羽の千里行。曹操可哀想。 


「瑾⋯⋯お前なにひとりでうんうん頷いてたんだ?」


「あ、いや⋯⋯気にしないでくれ」


 瑾の顔が包帯で覆われていなければ、何を考えていたのかも推測できたのだろう。

 今は包帯があることが惜しい。


「この人⋯⋯時継の知り合いなの?」


 恐る恐る背を丸くして、瑾の様子を伺うように二助が言った。


「あ、ああ⋯⋯知り合いだよ」


「へえ⋯⋯は、初めて見たよ」


 傷だらけで、身体の一部が欠損していたり、全身皮膚が見えないほどに布で覆う人なんて、この国ではさほど珍しくもない。

 だからなのか、俺の知り合いだと知ると、二助とすえは瑾に対して、親近感を抱いた。


「お兄さんも、時継に困らされてるの?」


「えっ!?」


 いきなりの子供の疑問に、瑾は瞠目して狼狽えた。


「お前一体普段この子達になにしてるんだ」


 そう言う目を俺に向けてくる。何故だろう。瑾の考えていることはすぐに分かってしまう。実際あっているかは置いておいて。


「いや、そんなことはないよ。ただの腐れ縁さ」


 瑾は言葉を濁した。


「そっかぁ。あんまり困らされるようなら、てきとーに無視したらいいと思うよ」


「だからこいつ普段何してるんだよ⋯⋯」


 今度は瑾の思考が微かな声となり、口元の包帯が微かに動く。

 どうやら、さっき俺が考えていた瑾の内心は間違っていなさそうだ。




「じゃあ、僕達もう帰るから」


「じゃあね時継。次に会うのはお葬式とか嫌だからね」


 いつの間にか、涙も感傷もどこかへ消えていた二助とすえが踵を返す。 

 もう少し泣いたり抱きついてくれてもいいのだが、全く最近の子供は淡白で嫌になる。


「ああ、またな。他の子達にもよろしく言っといてくれ」


 背中を向けたふたりに、優しく語りかけた。


「それと、兄上に頼めば、時々ならきっとお前達の剣を見てくれるはずだ。兄上の腕は俺とほとんど変わらないから安心して教わるといい。兄上と俺の教えさえ覚えていれば、すぐに立派な剣士になれるから。俺が居なくなっても励むんだぞ」


 口を閉じると、二助とすえは肩を震わせながら、ゆっくりと一歩一歩小股で踏みしめるように、外に向かって歩いた。


「言われなくても、時継なんてすぐ追い越してやるよ!」


「私もっ! 今度会う時はすっごく強くなってるから!」


 背を向けたまま二助とすえは高らかに言うと、そのままふたりで競うように駆け出し、俺の前から姿を消した。

 開けっ放しの木戸の向こうからは、突然子供が走り去ったことで、何事かと人々が視線を向けている。

 外に手を振ると、村民は会釈して通り過ぎていった。


「よし、そろそろあいつを迎えに行こう」


 重い腰を上げるように、ゆったりとした動作で立ち上がりながら、瑾に顔を向けた。


「分かるのか? 彼女の居場所」


「ああ、今頃俺の分も手を合わせてるよ」


「⋯⋯ああ、なるほど」


 瑾は一瞬で俺の言葉を察した。すぐにそれが妙林の弟に関係していると把握したのだろう。 






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