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超克の剣  作者: 姫之尊
4/7

出立

「じゃあね時継、先生」  


 翌日の正午過ぎ、町へ無事戻った。 

 子供達はそれぞれ家に帰り、妙林もどこかの家の女に呼ばれて行ってしまった。


「さてと。じゃあ俺も行ってくるよ瑾」


 独り言をつぶやくように言いながら振り返ると、すぐ後ろに瑾が立っていた。 

 瑾は帰る道中、その存在を子供達に悟られないように着いてきていた。

 俺としては子供達に紹介してアイツらが怯える顔を見たかったのだが、それは瑾が傷つきかねないので自重した。


 昨夜はあの後、俺はあれ以上何も語らなかった。  

 正確には語ろうとはしたが、かなり動揺していたのか、震えながら言葉も碌に発することが出来なかったので、瑾が止めた。


「今はいい。語れる時が来たら、その時改めて聞くとする」


 瑾は落ち着くまで俺の背中を摩り続けていた。




「本当に言うのか。その事。常識的な身内なら了承するとは思えないが」


 町の皆は時折瑾に目を向けてはいるが、そう怯える様子も監視する素振りもない。 

 全身包帯まみれの人間というのは、別にそう珍しいものでは無い。亡者に襲われた者の中にはそれくらいの大怪我を追うものも少なくないので、悪い意味でも皆見慣れ、聞き慣れている。

 

「ああ。たとえ勘当されても俺は行くよ。ようやく動き出すんだから」


 瑾に手を振り、その場から走って去る。行くあても無い瑾はとりあえず妙林の診療所にでも行くだろう。


「不肖時継、ただいま帰りました」


 随分ガタが来た木戸を開けながら、自宅の屋敷へ上がった。

 屋敷といっても立派なものではなく、質素な土壁と茅葺き屋根に覆われた、奉公も何もいない、兄と兄嫁と俺が暮らす小さな屋敷である。


「おや平次郎さん。おかえりなさい」


 玄関先でばったりと兄の嫁、義姉のきぬと鉢合わせした。義姉は俺を字で呼ぶ唯一の人物かもしれない。

 慣れぬ呼ばれ方に戸惑いながら、背筋を伸ばした。

 正直いって、この人の事は苦手なのだ。

 

 義姉は随分とくたびれた菫の刺繍が施された着物を着ている。 

 質素倹約を好む義姉の姿勢が、着物ひとつ見ても窺い知ることが出来る。


「姉様、兄上は城から帰っておられますかな」


「ええ、平一郎さんならつい明け方」


「はぁ。それでは兄上はご就寝中ですか」


「いえ、書斎で仕事を片付けていますが、何か用でも」


「ええ、とても大切な用が」


 玄関を上がり、兄のいる書斎へ向かった。

 姉の視線が背中から注がれる気がしたが、気にしても気まづいだけだ。


「兄上、失礼します」


 襖を開けると、部屋の隅で障子越しの光に当たりながら書簡とにらめっこする兄、佐野家当主である佐野時政が振り向いた。


「帰ってたのか時継。いかがだった。子供達の剣術は」


 物腰の柔らかそうな容姿をした兄は体ごと俺に向けた。昔から、あまり似ていないとよく言われる。


「いやはや、特に変わりはありませぬ。まあ仕方の無いことですが」


「そうか。まあそうであろうな。それでどうした」


 子供達のことなど話したいわけではない。早く本題に入りたくて気が焦ったのか、兄の前であぐらをかいて身を乗り出した。


「話とはなんだ。またあの話か」


「ええ。その話でございますれば、此度は引くつもりはございませぬ」 


 これから話そうとしていることを、何度も兄へ話していた。 

 その度に兄は突っぱね、さらには義姉からの説得を受けていつも諦めていた。 

 しかし今度は引くつもりは無い。遂に自分と夢を追いかけてくれる友を見つけたのだ。



「何卒、この家を出ることをお許しいただきたい」


 俺は勢いよく頭を床板に擦り付け、深く目を閉じた。勢いがつきすぎたせいでちょっと痛い。

 兄がいつ口を開くか、顔を伏せたまま恐々としながら耳を傾けた。

 だが、いつになっても声は聞こえてこない。

 おもむろに目を伏せながら顔を上げ、背筋が伸びたところで目を上げた。

 兄は机の上の書状を手で抑えながら、何度も瞬きをして俺から目を逸らしていた。


「それで、なぜ此度は引くつもりがないのだ」


 目を合わせようとしないまま、兄が呟く。

 

「良き同士を手に入れましたゆえ、腕も立ちます」


「それは⋯⋯お前が強引に引き入れただけではないのか?」


「うっ⋯⋯」


 俺は咄嗟に唇を噛んだ。

 瑾の誘い方について、強引だと思うところもあったのは確かだ。

 しかし、瑾は自分の意思で決めたはずだと、確固たる自信を持っていた。持たずにはいられない。


「そのようなはずはありません。瑾は私などに流されるようなやわな男ではございません。確固たる芯を持った武士(もののふ)です」


「瑾というのか⋯⋯まったく、お前に武士の何がわかる。いつまでも嫁も取らず田舎で子供に剣術を教えているお前が」


「ぐぬぬっ⋯⋯」


 俺は両手で拳を握りながら、また唇を噛んだ。


「せめてこの村の大人達に武術を教えるか、もしくは武士の子の指南役にでもなっているなら格好がつくものの⋯⋯」


「うっ⋯⋯」


「指導の評判は良いが肝心の腕がいまいちで試合ではヘマばかりするお前が⋯⋯」


「うぅ⋯⋯うぅ⋯⋯」


 握りしめた両手を震わせながら、瞠目して涙を溜めた。

 兄の目は、口撃している最中も常に文書へ向いている。

 この人は俺への意識は半分程度で罵倒しているのだ。

 僅かに見えた文章には今度この村から何人か岸和田城へ派遣する兵を徴集するよう書かれている。

 おそらく兄は、徴集兵の目付け役として俺を派遣するつもりだろう。

 だが、俺にそんな気が無いのは容易に察せられるはずだ。


 兄は溜息を吐くと、うるうると保湿された俺の双眸を捉えた。

 

「お前の言いたいことは承知している。亡者を滅ぼすため国を出たいのだろう」


「⋯⋯はい」


 目から、涙が引いた。

 キッと兄を注視しながら、前のめりに返事をした。


「だがそんな出来るかも分からぬことをするより、この村の、この国の民草を亡者の牙から守る方が有意義だとは思わないか」


「思いません。それは軍隊を編成する守護の仕事でしょう。私は根本を断ちたいのです」


「どうやって?」


「その方法を見つけるため、旅に出たいのです。兄上、何度も言いますが、今日は諦めるつもりはありません。兄上が認めなくとも、今の話を別れの挨拶とし、この家を出ます」


 俺の目力と言葉に驚いたのか、兄は何度も頷きながら、目を閉じた。

 兄が目を閉じたまま、沈黙の時が流れる。



 この話も何度目だろうかと、今までの記憶を辿った。

 最初に頼んだのは、俺が元服して間もない頃だった。

 既に両親を失い、家督を継いでいた兄は、当然その願いを退けた。

 そしてその後、何度も俺は台詞回しを変えながら懇願してきた。


 だがいつもは、兄や義姉に説得されると、渋々ではあるが納得して諦めていた。

 それは多分、兄に対する負い目があったり、口では勇ましいことを言っても、ひとりで旅に出る自信がなかったのだろう。

 だから今日のように、反論することもなかった。


「はぁ⋯⋯すまんきぬ、茶を持ってきてくれ」


 兄が襖の向こうに声を張り上げると、慌ただしい足音が響いた。


(え⋯⋯姉上聞いてたの!?)


 まったく察知していなかった俺は、慌てて振り向いた。

 簡素な鳥の子色の襖には、当然変化は無い。

 少しして、義姉が盆にふたつの湯呑みを載せて部屋へ入ってきた。


「どうぞ」


「ありがとうございます」


 自分の分も用意されているとは思わず、不意な義姉の心遣いに、ひそかな喜びを覚えた。

 湯呑みを受け取り、茶をひと口飲む兄に目を配りながら、湯気が立つ茶を啜った。


 盆を机の傍に置いて、義姉は退出した。

 残された兄弟の間には、再度沈黙が流れ、廊下から風が吹き抜けた。


「二度と」


 兄の声が沈黙を破る。

 湯のみの中で揺れる茶を見つめながら、低い声て言った。


「二度とこの家の敷居を跨ぐことは許さんと言ったらどうする」


「私の心は変わりません」


「近隣にも触れを出すぞ。お前と関わらぬように」


「構いません。皆が私を拒んでも、それ以上に私は皆を、日ノ本に住まう人々から亡者の脅威を取り除きたいのです」


 間髪入れず答えると、兄は微笑した。

 湯呑みをそっと机に置くと、兄は腕を組んで天井を見て唸った。


「まったく⋯⋯これは立派に育ったと言ってよいのか」

 

 兄は顔を俺に向けると、顎を撫でた。


「兄としては、お前には武家の女を娶り、剣術師範でもなんでもいいから、家庭を作って天寿を全うしてもらいたいんだがな。お前は不孝者だ。父も母も草葉の陰で泣くぞ」


「兄上⋯⋯」   


 兄の声色に、諦めの感情が混ざるのを聞き逃さなかった。

 だが諸手を挙げて喜ぶ気にはなれなかった。


 今まで聞いたことの無い、兄の秘めた思いに、僅かに心が揺らいだ。

 だが決して、瑾との旅を諦めるつもりは無い。

 ただ俺としても、喧嘩別れのような形を取りたくはなかった。


「よろしいのですか」


「ああ、好きにしろ。勘当はしないが、協力もしないがな。せいぜい野垂れ死にしないように精進するんだな」


 俺の強ばっていた顔が綻ぶ。


「ありがとうございます」


 胡座から正座へと姿勢を変え、深々と頭を下げる。

 顔を上げると兄は俺の姿を見て、苦笑いして立ち上がった。


「餞別の荷を用意しよう。ここで待っていろ」


 今一度頭を伏せると、頭上から兄の柔らかな声がした。

 頭を下げたまま、俺の背中が震え、床についた両手が震えた。


(ついに⋯⋯ついに認められた⋯⋯)


 大きく息を吐きながら顔を上げると、兄の居なくなった部屋が、随分と広く、孤独に感じられた。

 襖を隔てた隣の部屋から、物音が聞こえた。

 膝を着いたまま襖へと向かい、聞き耳を立てると、夫婦の話し声が聞こえた。


「銭はもう少し持たせてあげた方がよろしいのでは?」


「いらん。そんなに甘やかさなくていい。金に困ったら働けばいい」


「ではせめて米や味噌だけでももう少し」


「それも最低限でいい。腹が減ったらその辺の草でも齧るだろう。あいつの腹は丈夫だから平気だ」


 荷物を纏める夫婦のやり取りに、俺はなんとも言えない気持ちになった。


「兄上ぇ⋯⋯さっきは円満みたいな雰囲気だったけど絶対怒ってるよこれ⋯⋯あと俺腹弱いですから⋯⋯」


 ────


 着替えや食料、銭などが入った風呂敷は、背中をほとんど覆うような大きさになっていた。

 協力はしないと言いながら、なんだかんだ兄は優しい。


「では兄上、姉上。お体にお気をつけて」


 風呂敷を肩に背負いながら、玄関先で頭を下げた。

 

「平次郎さんも⋯⋯お元気で過ごすのですよ」


「とりあえず⋯⋯歳が明けるまでは頑張るんだぞ。それ以降なら帰ってきても家に入れてやるから」


 姉の心遣いと、兄の軽口が心に染み入る。

 俺は破顔しながら、大きく頷いた。


「ではもしこの家に戻ることがあれば、その時は甥御か姪御を見られることを期待しております」


  夫婦は顔を見合せ、頬を染めた。

 その仲睦まじいふたりを目に焼き付けながら、一礼し、踵を返した。

 俺は少し兄達の様子が気になり、すぐ近くの民家の影に身を隠し、聞き耳を立てた。


「大丈夫ですか平一郎様」


「まったく⋯⋯最後まで減らず口ばかり⋯⋯俺としてはあいつに伴侶か現れるかの方が心配だ」


「そういえば⋯⋯女性に妙な拘りを持っていましたね。平次郎さんは。たしか⋯⋯ぷ、ぷり⋯⋯ぷりつな⋯⋯」


「ぷらちなぶろんどの髪と碧眼を持つ美女。だったな」


「ぷ、ぷらち⋯⋯ぷらちな?」


「金色の髪色のことをプラチナブロンドと言うらしい。まったく、どこでそんな女を知ったと言うのか」


「さあ、時々やってくる南蛮船にそのようなおなごが居たのでしょうか」


「それにしてもだ。だいたいあいつ、南蛮の言葉なんて知らないはずだぞ。仮にそのプラチナブロンドで碧眼の異人が現れて、その後どう親交を深めるのだ」


 そこまで話すと言葉が途切れ、少しして夫婦の笑い声が聞こえた。

 俺としてはそのユメも真面目に語ったものなのだが、笑われると悔しくて震えながら下唇を噛んだ。




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