呪われた剣士 3
「亡者を根絶させる? そんなことできるのか」
俺を見上げた瑾は率直に疑問を投げかけた。
「分からん。過去に何度も朝廷や幕府が対抗し、滅ぼそうとしたが結局亡者の数と強さに押されて失敗してるからなぁ」
「じゃあなぜそんなことを目指す」
「それは⋯⋯」
俺の中に昔の記憶が去来した。
鬼のような角や牙の生え始めた血だらけの少年が倒れている。
今にも息絶えそうな少年は、俺を見て安らかに目を閉じた。
「約束したんだ。いつかあいつや、あいつの大切な人のような思いをする人間が生まれない世にするって」
口を閉じると、周りから何かがやってきた音がした。ここは空気を読んでほしかったが、奴らは人の感情など汲み取ることは無い。
俺は刀に手をかけ、周辺を警戒した。
「来たみたいだな」
「ああ」
木陰や頭上から、招かれざる客がみるみるうちに集まってきた。
亡者は空から、土から、はたまた水からどんな所からも生まれる。
眼前は月明かりのおかげでかすかに見える程度だ。
闇に紛れた黒い人型の亡者が数体、顔は無い。
黒いのっぺらぼうそのものだ。
その後ろには酷く右腕が発達し、平衡感覚を失った亡者が、その他周辺には獣のような四足の亡者や明らかに生物の形とは思えない化生までが、俺達を囲んでいた。
亡者の姿は千差万別で、獣や人に近い存在もあれば、生物とは全く異なる、摩訶不思議な形をしたものも存在する。
「俺はあの右腕の化け物を殺るから。ほかは頼んでいいか」
「ああ。任せろ」
いつの間にか戦闘態勢に入っていた瑾と背を合わせ、刀を抜いた。
亡者の大半はさして脅威ではない。
ある程度刀や槍などを扱えるものであるなら、ただの人型の亡者くらい子供でも倒せる。
奴らが厄介なのは、その数と個体差だ。
今俺の目の前にいる右腕だけが異様に発達した亡者のように、時々人間や獣すら超えた力を持つ亡者が存在する。
そしてそういう亡者が一度に集結すると、鉄砲や武具を揃えた武士の軍団でも負けてしまう。
「消えろ」
俺は山道から向かってくる右腕が発達した亡者に迫り斬り掛かった。
刃は亡者の右腕に突き刺さったが、切り落とそうにも刃がそれ以上ピクリとも動かなかった。
「硬すぎるだろ。潮招かこいつは」
どこかで1度だけ見た蟹を思い出す。
真っ黒な着ぐるみのような風貌からどこにそんな硬さがあるのか、呆れながら刃を引き抜き、亡者と距離をとる。
亡者を倒す方法はひとつ、亡者が再生できなくなるまで損傷を与えることだ。
基本的には首を飛ばすか身体を真っ二つにでもすれば、力尽きて絶命するのだが、それだけでは絶命せず、どこからか再生亡者も存在する。
そんな亡者もひたすらに損傷を与えれば倒れ、土に帰っていく。ただ痛めつける。何度踏みつけても起き上がる麦でさえも立ち上がれないほどに。
「おっと」
力任せに振り落とされた右腕を避け、さらに迫ってきた右腕を躱す。
「もうちょっと頭使って戦えよな。じゃあな化け物」
冷たく言い放つ。亡者に慈悲なんてものは一切抱かない。
初撃で亡者の首をはね、二撃目で身体を割った。
今にも消え入りそうな亡者の最後の攻撃が迫ったが、目にも止まらぬ早業で亡者の体を切り刻むと、寸でのところで体が細切れになって地に転がった。
「これぞ千切り。こんど技名考えてあいつらに教えよう」
刀を鞘に収めると、亡者は溶けるように消えていった。
多数に囲われた瑾がどうなったか確認すると、ちょうど全て倒しきっていた。
「見込んだとおりだな」
地面に置いて存在を忘れかけていた提灯を手に取り、瑾の元へ向かう。
「見てたぞ時継。なかなかの剣技だった」
「そうなんだよ。俺結構強いんだよ。亡者相手なら力を出せるけどねぇ。この姿を見たらあいつらも俺を尊敬するだろうが、同時に怖がられそうなんでな」
恐れられるくらいなら、今のように子供達に小馬鹿にされたままでいい。そう思いながら道場の方へ目を向けると、まだ明かりが灯っていた。
「あいつら寝てないのか。まあ仕方ないよな」
腕を組んでゲラゲラと笑いながら、今一度瑾へ尋ねた。
「なあ瑾、本当に俺と来ないか」
「時継、見ろ」
瑾は右手の剥がれかけた包帯を引っ張り、爛れた右手を晒して肩をすくめた。
「俺はこんな身だぞ。病なのか呪いなのか分からないが、皆気味悪がるんだよ。お前はよくても、お前の周りの人間は絶対に俺を恐れる。病気がうつる呪われるってな。お前の気持ちは嬉しいがこんな俺みたいなやつが誰かと居れるわけがない」
瑾が俺を拒むわけはよく分かるが、そんなもの俺にとってはなんの理由にもなっていない。
せめて死にかけのお袋がいるから看病してやりたいとか、そういう理由を持ってきてくれないと、引き下がるつもりは無い。
「そんなことは無い。俺は出会ったばかりだがお前が好きだ。お前のその爛れた皮膚なんていつでも拭いてやるし、なんなら舐めてやるぞ。包帯だって俺が取り替えてやる。お前を受け入れないやつだっていくらでも説得するし、仮に俺が迫害されても構わない。だから来いよ瑾」
「時継⋯⋯舐めるのは絶対やめてほしいが、なんでそんなに俺の事を」
「言っただろ。俺は強いやつを探してたって。今まで何人か剣豪と呼ばれる人間と戦ってきたが、瑾ほどの力を見せてくれる者はいなかった。無論、俺やお前の人間離れした力を差し引いてもだ。だから⋯⋯ほら」
もう一度瑾に右手を伸ばした。
瑾は戸惑い、思案しながら恐る恐る右手を差し出したが、急遽引っ込め、左手で俺の手の甲を握った。
なぜそのまま右手を伸ばさず、左手で甲を握ったのだろう。
もしかすると、俺の手汗を嫌ったのかもしれない。
だが今はそんなことどうでもいいほど、俺の気持ちは高鳴っていた。
────
「ところで、よく今まで武士に見つからなかったな」
「ほら、この付近に寺があるだろ?」
「七宝瀧寺か?」
「ああ。あそこの使われてない部屋に隠れてた」
「なるほど汚い。文字通り汚い。あそこなら物音立てても滝の音で消されそうだしな」
「どういう意味だそれは⋯⋯」
山を降りながら、俺と瑾は会話を筈ませていた。
「ところで瑾」
「なんだ?」
俺は瑾の手を見た。
「その手じゃ土を掘るのも一苦労だっただろ」
「ああ、その話か。たしかに痛かったな。ひとつ言っておくが別に骸を隠したかったわけじゃないぞ?」
「分かってるよ。野ざらしにするのが忍びなかったんだろ」
「ああ⋯⋯」
瑾が金品も奪わなかったことを考えれば、死体を埋めたのは隠すためではなく、弔うためであったことくらい猿でもわかる。
「俺を殺そうと躍起になってるやつでも、動かなくなってしまえば仏だしな」
瑾は自分に説くように呟いた。
山から吹き降ろす風が俺達を襲い、風が体に沁みたのか、瑾は目を閉じ、声を漏らした。
俺はその間、黙って今言った瑾の言葉を頭の中で反芻していた。
(亡者も仏になるのか)
心の中で自分に問いかけると、脳裏に少年の笑い声が聞こえてきた。今は亡き、親友の呼ぶ声が。
山の麓まで戻ってきた俺達はとりあえず泊まっている道場へ行くことにした。
ただ皆にはまだ、瑾の姿は隠すつもりだった。
辻斬りの話をした直後にその犯人を、しかも全身に包帯を巻いた不気味な男を連れていくと寝室が地獄になるのは間違いない。
さっき悲鳴を聞くのは心地が良かったが、今は疲れているので早く寝たい。
それに、また子供達の悲鳴が漏れれば、妙林が激昂して瑾に襲いかかる可能性がある。というかその前に俺が殺される。
妙林が普段は隠している自慢の武術で瑾に襲いかかるところを想像して笑みが零れた。
「そうだ瑾。聞くの忘れてた」
俺は道場の門のすぐ手前の壁で立ち止まった。
「なんだ?」
「瑾、歳いくつ?」
「二十歳」
「嘘⋯⋯同い年!?」
俺は姿勢を正して深々と頭を下げた。
「すまん。俺てっきり30歳は超えてるものだと⋯⋯」
「酷い言われようだな。まあいい」
瑾は小さな溜息をこぼし、腕を組んだ。
「さあ早く中に案内してくれ。包帯を変えてくれるんだろ」
「あ、ああ」
気を取り直した瑾が歩き出すと、門の前に妙林が姿を現した。
全員動きが止まり、妙林は驚いて後ろに後ずさった。
両手を胸の前に置き、視線を瑾に集中させ、さらに一歩下がる。
「時継、その人は誰?」
妙林は話す時だけ俺に目を向けたが、またすぐに瑾に視線を戻した。
「ああ、こいつはね」
瑾の肩に手を置いた。瑾の肩に若干痛みが走ったのか、瑾は黙ったまま一瞬瞼を閉じた。
俺は慌てて手を離し、両手を後ろで組んだ。
「噂の人斬り⋯⋯のはずが別に人斬りってわけでもなかったから俺の仲間になった明国生まれの瑾だよ」
紹介すると、瑾は頭を下げ、妙林も軽く会釈した。
もっと俺の話す内容と瑾の存在を疑っても良さそうだが、妙林はあっさりと受け入れたようだ。
「あ、そうだ妙林。医者なんだからこいつの体見て包帯取り替えてくれよ」
「え?」
「は?」
ふたりは納得のいかない面持ちで同時に俺に顔を向けたが、本職がしてくれるならそれが一番いい。
妙林は瑾の身体をつま先から見上げるよに観察すると、身体を道場へ向けて歩き出した。
「分かったわ。とりあえず診察するから瑾さん? ついてきてくれる?」
「え、あ、わ、わかった。感謝する」
瑾は狼狽えながら妙林について門をくぐった。
瑾は俺をずっと睨みつけていたが、むしろ感謝して欲しいくらいだ。
「さてと。じゃあ俺も行こっかな」
ひとりになった俺は、一度山を振り返り、子供達が居る部屋に向かって歩を進めた。
「よっ、ただいま。お前達」
妙林と瑾の向かった方向とは反対に、皆の居る寝室に戻った。
「時継っ!」
子供達は全員眠れなかったのか、俺の姿を見た途端皆駆け寄ってきた。
よほど怖かったのか、涙の後が顔に残っている子が多く、現在進行形で泣いてる子もいる。
もしこの事がこいつらの親に知れたら、少々不味いかもしれない。
「遅かったからほんとに殺されたと思っただろ!」
二助が俺の胸を何度も叩いた。
普段は生意気だが、こういう時は子供らしく可愛らしい。
微笑みながら二助の頭を撫で、他の皆の頭も撫でた。
「いやぁ実は恐ろしい辻斬りなんて見つからなくてな。代わりに亡者がうようよ現れたから退治してやったんだよ」
「え! 辻斬りいなかったの?」
「うん。別にいなかった」
別に俺は嘘をついてはいない。
今はまだ瑾の存在を隠すつもりでいるが、瑾の事は大真面目に辻斬りだとは思っていないので、嘘偽りのない言葉を述べているつもりだ。
「なーんだ。心配して損した」
「何言ってるの。亡者は出たんだよ。もしかしたらここにも」
「大丈夫だって。白檀のお香焚いてるし」
「でももうすぐこの道場の備え無くなるよ」
「お前さあ⋯⋯嫌なこと言うなよ」
俺の事をそっちのけで話し出した子供達のまわりを歩き、妙林のいるであろう部屋を探すため、部屋の襖を開けた。
「時継どこ行くの?」
「妙林のとこ」
────
「何から何まで本当に申し訳ない。時継のせいで」
「構わないわ。あいつはああいう人間よ。でも私に見るように言ったのは正解よ」
「そうか。君は医者だと言っていたな」
暗闇の中、蝋燭の火がぼんやりとふたりを照らす。
ふたりの近くには水桶や新しい包帯、塗り薬、そして古く黒ずんだ包帯などが置いてある。道場の裏に腰を下ろした瑾は妙林に包帯を取ってもらい、身体を拭いてもらっていた。
さっき俺や風が触れただけで痛みを感じていた瑾だが、妙林の手つきが丁寧なのか、痛みを感じていないように見える。
「どう? 薬はつける?」
「いや、大丈夫だ」
妙林は金軟膏が入った檜の容器を瑾に見せながら尋ねたが、瑾は小さく首を横に振った。
妙林は新しい包帯を手に取り、瑾の足から巻いていった。
包帯が取れ、瑾の素顔が顕になっている。
皮膚こそ爛れてはいるものの、確かに名前負けないような顔の片鱗を覗かせた。
細く切れ長で眼力の強い目に、鼻筋が高く、頬や顎は引き締まっている。
瑾はもどかしそうに自分の体を治療する妙林に何度も目を向けては、空を見上げ、もう片方の足に自ら包帯を巻き始めた。
「年頃の女にこんな身体を見せて申し訳ないな」
「いいのよ。もっと酷いことになってる人だって何人も治療したわ」
「それを聞いたら少し安心したよ」
「ええまあ。でもそういう人は治療しても皆すぐに死んでいったけどね」
なんと返事をしていいのか分からないのだろう、瑾は黙ってしまった。妙林の医者としての笑えない冗談は俺も時々聞かされるが、笑ったことは無い。
「ところで時継との関係は一体? あいつは随分と仲が良さそうな雰囲気を出していたが」
瑾が言うと、妙林の手が止まった。
俺も物陰から咄嗟に身を乗り出しそうになるが、音を立てないように踏ん張った。
妙林は小さく息を吐き、止まっていた作業を再開すると、唇を噛み締めた。
「ただの幼馴染⋯⋯と言いたいところだけど、どうしても腐れ縁を断ち切れない憎い人、てところね。あいつの自信満々な軽口はもう聞きたくないけど、どうしてか放っておけない不思議な人⋯⋯」
「色々あるんだな」
瑾はそれを聞いてどう思ったのだろう。
俺を軽蔑するのか、それともそれでも俺の近くにいる妙林を奇妙におもうのか。
足の包帯を巻き終え、妙林は胴体を、瑾は片腕ずつ巻き始めた。
俺はずっと隠れているのも辛くなり、今来たていを装って笑顔を作った。
「お、ここに居たか」
瑾の顔を観察した。
さっき見たのだが、今初めて顔を見るような素振りを見せる。
「まあ確かにこれなら名付けの意味も分かるかもな」
「失礼な奴だな全く」
瑾は笑みを零した。
「ところで妙林、どうだ瑾の身体は」
俺は妙林の手から包帯を強引に取り、続きを巻き始めた。少しでも包帯を巻くことで、約束を違えていはいなとせんでんするのだ。
妙林は手のひらを軽く払うと、一度瑾に顔を向けてから口を開いた。
「火事にでもあったのかと思ったけど違うらしいし、もしかしたらこれは亡者から貰った病気かもしれないわね」
亡者という単語を聞き、顔が強ばる。
「亡者って病気を移すこともあるのか」
「直接は見たことないわ。ただ医学書にはそういう記述もあったわ。それに」
言いながら暗く沈痛な面持ちになりながら、妙林は続けた。
「人が亡者になってしまう現象も、言ってしまえば病気みたいなものよ」
「⋯⋯そうか」
俺も視線を落としながら曇っていただろう。
なぜそう思うのか、視界が微かにぼやけたからだ。
包帯を巻き終えると、妙林は寝ると言って建物内へ戻っていった。
残った俺は腰を下ろして道場のかべにもたれかかり、瑾と向かい合った。
「お前も中々大変らしいな」
瑾が先に口を開いた。
「え? なにが」
繕いながら声を弾ませようとするが、自分の口から放たれた声は重い。
「無理しなくていい。あの医者と何かあったんだろう」
「何かって、そんなことはないよ」
露骨に自分の声色が暗くなる。
俺はこうもわかりやすい人間だったのかと、初めて自分を知った気がする。
瑾はどうしたものかと首を捻っては唸りながら、どう聞き出そうか思案し、なにか思いついたのか言った。
「あの女がお前を憎むのは亡者のせいか」
「え?」
ハッとしたように俺は目を見開き、顔を綻ばせた。
今までの会話の中に暗示はあったと思うが、こんな真っ直ぐに言い当てられると、もはや笑うしかない。
「鋭いなぁ瑾は」
おでこを右手で抑え、俯くと同時に手で顔を拭うように下へ滑らせた。
「まあ確かに⋯⋯亡者が関係しているのかな」
「一体何があったのか、一言でいい。教えてくれないか。それが関係しているんだろう、お前の夢にも」
瑾が俺を見つめた。微かにの目が潤んでいるように見える。
苦い記憶が蘇り、涙を堪えられなくなって星が煌めく夜空を見上げた。
流れ星が一閃、西へ流れていくのが見え、俺の瞳からは涙が一筋伝っていた。
そういえば、あの日の夜も流れ星が見えた。
「殺したんだよ。あいつの弟を」