呪われた剣士 2
「何があったの⋯⋯」
襖を開けた先には、白と紺の七宝柄の浴衣を来た俺の幼馴染みであり医者の妙林が、何が起きたのか理解できない様子で戸惑いながら立っていた。
「先生ー!」
何人かの子供達が妙林の元に集まり、しがみついた。妙林の長い黒髪が揺れ、黒いはずの瞳が一瞬青く光ったのを、俺は見逃さなかった。
「まただ⋯⋯」
昔から時々、日の当たり方のせいなのか、妙林の目が青く見えることがあった。
特にその事について尋ねたことは無いが、いつも不思議に思っていた。
「先生、あのね」
妙林にしがみついたひとりが何があったか説明した。妙林は蹲る俺を冷たい目で見下しながら、睨みつけた。
「なんてこと言うのよ。そりゃこうなるわよ」
妙林はゆっくりと歩き出し、目の前で立ち止まった。
その双眸からはまるで冬の流水のような、恐ろしい冷気が放たれていた。
「いやぁ面白いと思ってさ」
「馬鹿じゃないの。だいたいその事を知ってたならなんでここに泊まることにしたの。何かあったら責任取れるの」
「大丈夫だって。心配するなよ」
冷淡な目と声を妙林は浴びせるが、俺は股間を抑えたまま答える。
決してふざけている訳では無い。ただ二助の蹴りがあまりにも綺麗に決まっただけだ。
「そんなこと言ってまた誰かを殺す気?」
周りには聞こえないような声で妙林が呟くと、俺の全身から痛みが消えた。
痛みだけでは無い。子供達を驚かして得た満足感も、それによって生まれた嬉々とした感情も。
股間を抑えていた両手を床につき立ち上がる。
顔を上げると、妙林と目が合った。
妙林は憎しみの籠った目で俺を睨みつけている。
この女が俺を恨むのは仕方がないことだし、今回のことで本気で怒る気持ちも分かる。
というか、俺が妙林にそんな感情を抱かせてしまったのだから、責任は俺にあった。
「その話は今はよそう。お前だってこの子達に聞かれてもいい気はしないだろう」
俺は視線を落としながら力無い声で言った。妙林は何も言わずに背を向けた。
すると子供がひとり妙林に駆け寄った。
「どうしたの先生」
「ううん。なんでもないの。ただこの馬鹿に怒ってただけ」
子供の疑問に、妙林は笑顔を繕いながら答える。 しかし、今一度俺に顔を向けた瞬間、優しさの欠片も無くなっていた。
ところで、ここの童共は俺のことは無礼にも諱である時継呼びする癖に、妙林はしっかりと先生呼びなのは何故だろう。
「で、どうするのこれ。この子達をこのままここに留まらせるのも、今から帰るにしても貴方の責任は重いけど」
妙林が眼光鋭く俺に言葉を突き刺してくる。
どうやら俺がただこの子供達を震え上がらせて楽しむだけの悪趣味な人間だと思っているらしいが、そこまで性根が腐ってはいない。
「いや、ここに居て大丈夫だよ。この話をしたのはこいつらを怖がらせるためって言うのもあるけど、一番は証人になってもらうためだしな」
「証人? 何を言ってるの」
「俺が今から辻斬りを捕まえに行くんだよ。ということで、こいつらを寝かしつけてくれ」
俺はニヤリと笑い、胸を張った。
冗談ではなく本気で言っているのだと、妙林はすぐに察したのだろう。目を丸くしたと思いきや、すぐに瞼を下げて俺を見つめた。
俺はすでに寝巻を脱ぎ捨て、紺の剣道着と袴を手に取っている。
子供達はみな、黙って俺が着替えている様子を眺めていた。
着替え終え、刀を腰に差し、右手に愛用の十手を、左手に火をつける前の提灯を持った。
「じゃ、頼んだぞ」
準備が出来たので普通に部屋を出ようとすると、子供達が慌てて騒ぎながら駆け寄ってきて、俺の体を抑えた。
「ダメだよ時継。死んじゃうよ」
「そうだよ」
「相手は辻斬りなんでしょ!? 人殺しなんだよ!」
「時継ごときが⋯⋯勝てるわけないだろ!」
「お前性格どうした⋯⋯」
若干ひとり様子のおかしい奴がいるが、気にせず子供達をひとりひとり引き剥がしていく。
ほとんど全員生まれた時から知っているような連中なので、剥がす際に軽く抱き上げると、「ああ、大きくなったんだな」と親心に似た謎の感動を覚えた。
「大丈夫だ皆。恐らく辻斬りは周りが言ってるような恐ろしい存在じゃない。そもそも人間じゃないかもしれないしな。もしくは小心者か火の粉を振り払っただけか。とにかく俺はその辻斬りが気になって仕方ないんだよ。安心しろ俺、強いから」
歯を見せて笑うと、襖を素早く開閉し、部屋を出た。
子供達に掴まれて皺だらけになった道着を伸ばしていると、襖で隔たれた向こう側から、妙林の声が聞こえた。
「大丈夫よ。あいつ、文字通り人間じゃないから」
いや俺はれっきとした人間だぞと、声を大にして反論したいが、痛いところを疲れると多分そのまま言い負かされてしまうからやめておく。
建物から出て、道場の門前の篝火から火を頂戴し、提灯を灯した。
道場周辺に炊かれた白檀で作られたお香の匂いが鼻をくすぐる。
2町ほど歩いたところで、山の麓へたどり着いた。
目を閉じて山から聞こえてくる音を拾おうとしたが、木々が揺れる音くらいしか聞こえない。
「じゃあ行くか」
十手を懐に入れ、袴と腰の間に挟んだ。
山道が伸びる方向では無いので、急斜面を登るしかない。息を大きく吸って右足を上げ、山に踏み入れると、軽快に山を登り始めた。
登り始めてまもないが、人の気配も亡者の気配もない。
人が殺されたところで亡者は現れやすいというが、この山では動物しか確認していない。
少し登ったところで、山道に出てきた。
狭く石が散らばったりしていて、荷車で通るには厄介そうな道だが、歩く分には問題なかった。
道場の裏を目指して山道を歩いていると、ツンと腐敗したような匂いが鼻をついた。
「何だこの匂い⋯⋯」
肉や魚が腐敗した匂いや、雑巾の匂いが混ざりあったような、嗅いだことのあるようなないような、首を傾げずには居られない匂いだ。
右腕で鼻を抑え、振り返ったが誰もいない。
頭上に風が当たり、吹き下ろしになっていることに気がつき、上を見た。
お目当ての辻斬りは、知らない間にそばに居たらしい。
「お、早かったなぁ」
見あげだ先には、半袖の黒柿色の着物を着用し、頭からつま先まで、全身びっしりと包帯を巻いた、渦中の人物と思われる男が立っていた。
噂通り左利きらしく、刀は腰の右側に差している。
髪は長く、後ろで一本に纏められ、目の周りだけは火傷したような皮膚が顕になっている。
男からは瘴気のようなものが漏れ出し、藤色の小さな粒子が体の周りを漂っていた。
やはり人間では無いのかもしれない。
瘴気なんてものは、力の強い亡者が放つもので、どれだけ武の道を極めても人間が放つようなものでは無い。
男が降りてくると、俺は提灯を地面に置き、後ろへ下がって距離を開けた。
お気楽な様子でその姿を確認しに来た俺も、流石に男の様相には多少気圧されてしまう。
先程まで緩みきっていた表情からは飄々としたものが消え、顔を強ばらせて男から視線を逸らさずにいた。
山道に男が降りてくると、ちょうど真ん中に提灯を挟み、向かい合った。お互い刀には手を掛けていない。
話題は無いが俺がなにか話しかけようとすると、男が先に口を開いた。
「俺を殺しに来たのか」
男の雰囲気から、重く低い声を想像していたが、男の声は案外、若く生気を感じるものだった。
「いや。ただどんな奴が辻斬りなんてやってるのか、本当に辻斬りなんてしてるのか確かめに来ただけだよ」
男の声を聞いて緊張が緩んだのか、いつもの軽い口調とたるんだ表情筋が戻っている。
「そうか。で、どうだ俺は。どんなやつだと思う」
「ああ、まさに怪談話に相応しいやつだと思ったよ」
「それはよかったな」
男は腰に手を当て、ふと笑い声を漏らすと、一転して俺を睨んだ。
「今ここから消えるなら俺は何もしない。だから早く帰れ」
「やだよ。それじゃあ来た意味がないし」
「もういちどだけ言う。消えろ」
男は腰の刀に手をかけた。俺はあえて挑発するように歯を見せた。
「やる気か? 言っておくけど俺は案外強いぞ。道場のガキ共にはいつも舐められてるけど」
やれやれと両手を広げて首を振ると、その刹那、男が右足を蹴りだし、一瞬で俺の喉元に刃を突き出した。
一瞬の出来事に目を見張った。
男の動きは人間の速さを超えていた。だがその動き自体は驚くところでは無い。
「これが最後だ。今すぐ下がらないと首を落とす」
「袈裟斬りが信条じゃないのか」
後ろに下がって、刀に手をかけようとしたが留まった。
「ひとつ聞いていいか?」
「なんだ?」
「お前は人間か? それとも亡者か」
「正真正銘人間だよ。今は化け物になりさがってしまったがな」
「そうか」
たとえこの男が恐ろしい辻斬りだろうと、山を降りて子供達を襲う可能性があろうと、人間であるなら俺のやることは決まっている。
俺は懐から十手を取り出し、構えた。刀は腰に差したままだ。なんならこの場で投げ捨ててもいいのだが、この暗闇では後で回収するのが面倒だ。
「なんのつもりだ」
男が訝し無用に言う。
「別に。ただ人は殺さないのが俺の信条なんでね」
「そうか」
軽く頷いた瞬間、男は情報通り、俺の右肩目掛けて刀を振り下ろした。
それを十手の清目で受け止めるが、斬りかかる力が強く、男の刀身が体に迫った。
俺は身を反転させながら、刀身を十手に滑らせ、男の懐に入り込んだ。
そのまま力任せに十手を男の胴めがけて振り払ったが、男は屈んで躱すと、下から剣を振り上げた。
「うわっと」
咄嗟に飛び上がった俺は身長の3倍ほどの高さまで達した。
男は驚くことも無く、平然と俺を見据えている。
「お前も人間辞めたか?」
「辞めてねーよ」
空中から殴り掛かると、容易く男がそれを受止めた。長い滞空から着地すると、お互いの攻撃の応酬となった。
男が斬り掛かると俺が全て受け流し、俺の攻撃を男が全て受け止めた。
間合いの差のせいか、ジリジリと俺が後退していくと、蹴った小石の落ちる音がし、山道から足を踏み外して下へ転がった。
「うわああ!」
転がりながら木にぶつかり、何とか止まったが、背中と首に痛みが残る。
「痛っ。て、やばい!」
男は坂を下って木にもたれ掛かる俺に斬りかかった。咄嗟に土を男の顔に投げ、怯んだ瞬間男の腹を蹴って立ち上がった。
男は目に入った土を腕で落としながら、また俺を睨んだ。今夜だけで人に睨まれるのは何度目だろうか。
何となく腹が立ったので、俺は更に手に残っていた土を投げた。
「卑怯だとか言うなよ」
「言わんよ。ただお前も大概化け物みたいだな」
「よしてくれよ。いつも隠すのに必死なんだ」
そう言って最初に男がやったように足を蹴りだし、一瞬で十手を男の喉元へ突き出した。男と同じように、その速度は人間離れしていたはずだ。
獣でも同じような速さで動けるものは居るかどうか。俺は今まで俺以外に同じように動ける者を見たことがなかった。
アレを生き物と呼びたくないので例外とするが、亡者なら同じように動ける個体も存在することは確かだった。
「親のせいなのかなんなのか知らないけど、厄介な力だよなぁ。聞き出そうにももう死んでるし」
男は喉元の十手を掴むと、下へ向けさせた。
「その獲物じゃ喉は掻っ切れんぞ」
「別に。真似したかっただけだよ。お前も最初から俺を殺す気なんて無かったんだろ」
男は黙って静止した。
十手を懐にしまうと、腕を組んで男の返答を待った。
「なぜそう思った」
「お前の攻撃がわかりやすかったからな。本気を出せば最初みたいに一瞬で詰めることも出来ただろうに。なんなら最初の攻撃ですら寸止めするの見え見えだったし」
「それを言うならお前も一緒だろう?」
「俺は先に言ったぞ。人は殺さないって」
俺が口角をあげると、男の目元が柔らかく綻び、刀を鞘に収めた。
「ではお前はなんの目的でここに来た」
男が両手を腰に当てると、右目の包帯が解けて皮膚が少し見えた。
「奇妙な辻斬りの話が聞きたくてね。悪人だったら奉行所に突き出して褒美を貰えばいいし、悪いやつじゃなければ友達にでもなろうと思ってな」
男は腰に当てた腕をだらんと伸ばして、呆気にとられた様子で俺を見つめ、笑ったかと思うと、咳き込んだ。
「ならせっかくだ。お前の人柄に免じて話してやるよ」
男はその場に腰を下ろし、それに続いた。
「俺の名前は瑾。生まれは明だ」
「明ってあの洪武帝の作った国か。あ、俺は佐野時継。まあてきとうに呼んでくれ」
「時継か。俺は明で生まれたと言っても赤子の頃に父に連れられて日本に来たんだがな」
「ふぅん。色々あるんだな」
亡者がこの国に現れてから、この国を訪れる異国の人間は激減した。せいぜいやってくるのは、少数の商人か宗教の宣教師くらいだ。
何度も頷きながら、果てしなく広大な大陸と洪武帝⋯⋯乞食同然の立場から皇帝に成り上がった朱元璋の姿を想像した。
何故か顎の長い男が浮かび上がり、その心象を頭を降って消した。
だが確かめずにはいられず口を開いた。
「なあ、洪武帝って顎長い?」
「知らん⋯⋯」
呆れた様子で瑾が言うと、俺はすぐ近くにあった棒を手に取り、瑾に手渡した。
「ところできんってどんな漢字なんだ」
「ああ⋯⋯」
瑾が書いた字を目を凝らして見て、俺は戸惑った。
瑾という漢字には美しい玉という意味がある。
だが申し訳ないことに、俺の両眼には目の前の包帯男が美しい玉には見えない。
「言いたいことは分かるが、こうなる以前は見た目は結構褒められてたんだよ」
「べ、別に何も言ってないぞ⋯⋯」
目を逸らしながら言うと、ふうと息を吐いて俺は本題に迫った。
「なんで辻斬りなんてしてたんだ」
話の切り替わりが急すぎるのは承知だが、語る内容もないので仕方が無い。
お互い目を合わせ、先に瑾が目線を下げた。風が木々の間をすり抜け、瑾の包帯がそよいだ。
「⋯⋯別に殺したくはなかったさ。ただ俺を見た人間は、俺を化け物だったと思ったんだろうな。刀を抜いて襲いかかってくる奴らを返り討ちにしてたら、噂が広まったのか腕に自信のあるヤツらがやってくる。その繰り返しさ」
瑾はそれまでの行いを後悔しているのか、重く震えた声で語った。
この説明が嘘だとは俺には思えない。
ここで嘘をつくようなやつなら、本気で俺を殺そうとしていたはずだ。
「やっぱり⋯⋯そんなことだと思ったよ」
俺は薄ら笑いをし、立ち上がった。
「瑾、お前は俺の想像した通りだよ」
そして右手を瑾に差し出した。
「俺と来てくれ」
俺が差し出した右手を見つめながら、面を食らったのか、瑾はその場で固まった。
「何故だ」
「俺はお前みたいな強いやつを求めていたんだ」
俺はだらんと下ろした左手を力強く握り締め、今までほとんど人に語った事の無い宿願をこのであったばかりの男に伝えた。
「俺はこの国を変える。亡者共を根絶し、国の あるべき姿を取り戻したい。そのためにお前の力が欲しいんだ」