第一章 14 宿屋の風呂(その1)
14 宿屋の風呂(その1)
雨はまだ降っていた。ミーヤとマアチはレインコートの雨を振り払ってから宿に入る。
宿の廊下の窓は閉められ、『光池』のランプが灯されていた。
二人は部屋に戻り、風呂の準備をする。
宿屋の風呂には、このような張り紙がある。
『風呂湯は薄い汚水分離液となっておりますが、
泥、砂などは分離できませんので、
洗い場で汚れを落としてから湯船にお入り下さい。
脱衣所、洗い場に血液等が落ちた場合は、
風呂湯を掛けて固形にし、排水溝やゴミ箱に捨てて下さい。
脱衣所に風呂湯を掛けた場合は、残りの湯を雑巾で拭き取って下さい』
『汚水分離液』は、『汚水分離の魔法』を精霊の力で洗剤のように固めた物だ。
下水タンクに使う『廃水浄化の魔法』は、廃水をタンクから無くす魔法だ。だが『汚水分離の魔法』は、汚水を水と固形物に分けるだけで、消し去りはしない。そして、分離出来る物には条件がある。
『汚水分離の魔法』で水から分離出来るのは、『生物由来の小さなかけら』だけだ。
具体的には、人体から剥がれ落ちた体毛や垢、衣類から落ちた糸くずなど。風呂の中にそれらが落ちても、『汚水分離の魔法』に絡め取られ、ブヨブヨの固形物になる。それを排除すれば風呂湯の清潔さが保たれる。
小さなかけら、とは、人間基準での話だ。風呂湯の『汚水分離液』は薄いので、数フィンク、指先ぐらいまでの大きさに反応する。
生きた蟻が風呂湯に落ちた場合、『生物そのもの』なので、魔法は反応しない。
だが蟻が死ぬと、『生物由来の小さなかけら』として、ブヨブヨの固形物に包まれる。
また、指ぐらい大きな蛾の死体などは、『小さなかけら』ではないので、中途半端にブヨブヨが絡まるだけで上手く分離されないらしい。
「最終的には、宿の人間が毎日掃除をします。意図的に汚したりしなければ、普通にお使いいただいて構いません」
ミーヤとマアチが、生理でも風呂に入っていいかと宿の受付で聞いたとき、受付の女性はこう答えた。風呂湯の仕組みも詳しく教えてくれた。
魔物狩りで泥まみれ、血まみれで帰ってくる人もいる。魔法で傷は塞がっても体に血は付着している。そういう人達も、体を洗ってから湯船に入ってもらっている。
人体から落ちる汚れには、風呂湯の『汚水分離の魔法』が効く。張り紙にあるように、宿泊客自身でも気をつけてもらえば、生理中でも、風呂に入ってもらって構わない。宿屋としては、泥が付いたまま湯船に入られる方が困るぐらいだ、とのことだった。
「ミーヤは風呂に入れそうか? オレは多い日はだるいからやめてたけど」
宿の廊下で、マアチが声を掛ける。
「もう痛みは無いし、昼寝の間に結構出たから、今は減ってるんだ。私の多い日って、マアチの軽い日ぐらいの量なんだよね。だから入れるよ。雨だし体を暖めたい」
「そっか。生理ってほんと人それぞれだよな。多いとか少ないとかって話はしても、自分が基準だし」
「そうそう、マアチが昨日、『ちょっと減ってきたから今日は風呂入れる』って言ったけど、『それで減ってるの!?』ってびっくりしたもん。同じ宿に泊まって初めて知ったよ」
「お高い宿屋は客室がもっと広くて、個人用の風呂もトイレもあるらしいけどな。安くて風呂が共用な宿屋で良かったよな」
「ねー。新たな発見があるし。じゃあ、行こか」
風呂内で体を洗うのに使う手ぬぐいの布と、風呂上がりに水滴を拭くための体ぬぐいの布は、一泊につき一枚ずつ借りられる。だから宿泊客は着替えを準備すればいい。とはいえ、マアチはショートヘアだが、ミーヤはセミロングだ。ミーヤだけ、髪をまとめる用の手ぬぐいを荷物に加える。
今日は特に服を汚していないので、上着はそのまま着て戻る。だから新しくするのは下着だけだ。そして、風呂後に洗濯をするので、その用意もする。それから保湿剤や櫛などの身だしなみセット。
二人とも生理中なので、風呂上がりに使う新しいナプキンも下着の中に準備する。
最後に、二人はトイレに行き、装着しているナプキンを新しい物に取り替えた。
結局は、風呂に入るときに全て外し、風呂から出たら新しいナプキンを付ける。だから着替えと一緒に防水袋を持っていき、脱衣所で使用済みナプキンをそこに入れて風呂に入る、の方が手間は少ない。だが、個人用の風呂ならともかく、公衆浴場だ。体から外すナプキンに、なるべく血が付いていないようにしたい。
準備を済ませ、ミーヤとマアチは一階に向かった。




