第一章 12 洗濯のやり方
12 洗濯のやり方
宿屋の一階には風呂場がある。魔法で水が得られるようになり、どの家も風呂場を持つようになった。だから宿屋も同じ設備をそろえている。
宿泊や支払いなどの受付カウンターを通り過ぎ、奥の扉へ行く。ミーヤとマアチが向かったのは『女湯』と大きく書かれた扉だ。風呂場は男と女で別れている。
扉を開けると土間があり、さらに複数の扉がある。一つは、脱衣所につながる扉。横には下駄箱があり、靴を脱いで入っていく。
もう一つは、洗濯場につながる扉だ。ミーヤとマアチはそちらを開ける。
洗濯場は、数人が利用出来る広さの部屋だ。壁から複数の蛇口が出ており、石造りの床がその下で浅くくぼんでいる。排水溝もある。複数の木桶と洗濯板、石鹸があり、宿泊客はそれを借りて洗濯ができる。
天井近くにはロープが張られ、熱風に揺られている。隣のボイラー室からの風だ。
水を湯にするには多くの火が必要だが、薪を燃やして水の温度管理をするのは大変だ。だから魔法で便利なアイテムが作られた。
精霊の力で、火の魔法を石のように固める。マッチなどで着火すると、一定の時間、同じ火力で燃え続ける。これを『火石燃料』と呼ぶ。
『火石燃料』は赤黒い石で、大きさで火力や燃える時間が異なる。家庭用の風呂なら、親指と人差し指で作った輪ぐらいの『火石燃料』が一つあればいい。ミーヤは祖父母が亡くなってから、風呂の支度も毎日していたのでよく知っている。
宿屋の風呂はもっと大きいので、大きな『火石燃料』が要ることは想像に難くない。家のかまどより大きなボイラーで、上水タンクからの水を沸かし、風呂場に流しているのだろう。ボイラー室は立ち入り禁止だが、部屋の上部は換気のために開いており、洗濯場に熱風が通っていく。この風で洗濯物を乾かすのだ。
「早い時間だから誰もいねえな。さっさと洗っちまうか」
宿屋の風呂は、昼の三刻から夜の七刻まで利用出来る。それ以外の時間は、ボイラー室の火が消えている。洗濯場は熱風が無いだけなので使えるが、風呂は湯が出なくなる。洗濯は風呂の前後に行う人が多いので、風呂が賑わう時間に洗濯場も賑わう。今は昼の三刻過ぎなので、まだ誰も利用していなかった。
ミーヤとマアチは小さめの木桶と石鹸を借り、蛇口の所へ行く。そして、部屋から持ってきた『離血浄の洗剤』を取り出す。
『離血浄』。汚れを移動させ、元の場所を浄化する『移動浄の魔法』の一種だ。布や紙などの繊維質に染みこんだ、血液や血液に類する体液を分離することに特化している。
『離血浄の洗剤』は、その魔法を精霊の力で固め、誰でも使えるようにした物だ。付着して数日以内の、新しい血液だけに効果がある。布を植物などの染料で染めた色は落ちない。
初潮から閉経までの、十代から五十代ぐらいの女には毎月生理が来る。女達は毎月、血を布に吸わせ、洗って干す。だから便利な洗剤は不可欠だ。
また、魔物狩りで出血する者も多いので、血液汚れを落とす洗剤は需要が高い。『離血浄の洗剤』は、普通の石鹸と同様にどこでも買え、値段も手頃な洗剤だった。ただ、宿屋に備え付けられてはいないので、私物を洗濯場に持ってくる必要がある。
ミーヤとマアチは防水袋からナプキンを取り出す。粉状の『離血浄の洗剤』を、血液部分に振りかける。軽く水を掛け、洗剤を溶かす。洗剤は布に染み、布に染みこんだ血液を抱き込んで浮き上がってくる。洗剤は血液と混ざってブヨブヨのかたまりになり、布からペロンと剥がれる。これを排水溝に流す。後はナプキンを石鹸と水で軽く洗って終了だ。
「あーあ、生理来ると血の処理に時間取られて他のことができねーよな」
木桶ですすぎ洗いをしながらマアチがぼやく。
「ほんとね。しかも私は寝て半日潰れて、更にこうやって洗濯だから一日潰れるよ。寝たおかげで痛みは減ったけどさ」
ミーヤもうなずく。
「痛みがなくたってドバドバ血が出るだけでうっとうしいしな。ナプキンの許容量越えてねーかな、漏れてねーかなってずっと緊張しっぱなしでさ。オレはようやく終わりかけだけど、一ヶ月後にはまた同じことするのかと思うとうんざりだぜ。
人類が魔法を使えるようになって400年近く経つのに、女の生理をもっと楽にする何かが出来ねーもんかね」
「ねー。『離血浄の洗剤』はだいぶ便利なアイテムだけどさ。一度、これを切らしちゃったときに普通の石鹸だけで洗ったんだけど、血が全っ然落ちないの。服に染みた油汚れの百倍は厄介だよ。ナプキンを水につけ置きして洗剤買いに行ったんだけど、帰ってからも血が全然取れてなくてさ。でも『離血浄の洗剤』をかけたら一発で血が取れた。やっぱ魔法で出来た洗剤は違うね」
「確かにな。でも、もっと根本的に煩わしさから解放されたいよな」
「それは毎回思う」
二人は愚痴を言い合いながら、ナプキンを絞った。そして備え付けのハンガーや洗濯ばさみを借り、ロープにナプキンを干す。木桶をすすいで石鹸と共に元の場所に返す。
洗濯場は男湯と女湯の隣に一つずつある。男女別なので、下着やナプキンも干せる。混雑する時間には他の女性客の下着もよく見かける。
だが、紛失や盗難に関して宿屋は責任を負わないので、長時間干しっぱなしにする宿泊客は少ない。ボイラー室の熱風である程度乾かしたら、早めに回収して自室で乾かす人が多い。マアチも今朝干した物はもう回収したそうだ。
「飯行く間は干しとけばいいよな」
防水袋はまだ使うので、生理が終わったら洗う。マアチはたたんで小脇に抱えた。
「うん。お風呂も混む前に入るし、そのときに回収しよう」
ミーヤも防水袋と『離血浄の洗剤』を両手に持ち、洗濯場での作業を終えた。
二人は部屋に戻り、休憩した後に食事に出かけた。




