第一章 01 生理痛で休む
第一章
01 生理痛で休む
「腹がいてー……」
宿屋の一室で、ミーヤ・ズゥはうめいていた。
「大丈夫か? ほら、水持ってきてやったぜ」
マアチ・コバが、取っ手付きの金属のコップを持って入ってくる。
「ありがと。ああ、水屋の娘なのに水も出せないなんて……」
「しょうがねーよ。オレだってマッチ工場の娘だけど、生理ん時は集中できねーからな。まあ、元々ミーヤほど水出すの得意じゃねーけど。魔法で出さなくても、水も宿代に含まれてるからいーんだよ」
ここはリトゥの国、ライの町。一泊400テニエルの、旅人用の宿屋。
ミーヤとマアチは、この町の南、ミナミライの村出身の幼なじみだ。ミーヤの父親は、村で水屋をやっている。
人間が生きるためには水が欠かせないが、すべての地域に綺麗な川や井戸があるわけではない。だから、水屋が必要になる。
人間が使う魔法は一瞬で消えるが、精霊の魔法は長くこの世にとどまる。だから精霊が魔法をかけたアイテムが多く存在する。人間の魔法を長持ちさせるアイテムもその一つだ。
精霊が『残水の魔法』をかけた入れ物に、人間が水の魔法を放てば、その水は入れ物内に残る。
小型の物は『魔法瓶』や『魔法水筒』として売られている。飲用に耐える綺麗な水を出すにはかなりの精神力を使うが、水の魔法としては中級レベルだ。20歳のミーヤが習得しているし、使える人間はそれなりにいる。
だが、家や施設で必要となる生活用水は水筒程度ではまかなえない。各建物にはもっと大きなタンクが設置されている。そこに綺麗な水を満たすのが、上級の水の魔法を習得した、水屋だ。ミーヤの父は、村の水屋として、村のあちこちの上水タンクを満たすことで、生計を立てている。
宿屋にも上水タンクがあり、ライの町の水屋が定期的に満たしに来る。だから建物には水道が通っており、各階に蛇口の付いた洗面所がある。宿泊客はそこで歯磨きも出来るし、持参したコップで水も飲める。
「痛み止め……っていっても、あんまり効かないんだけどね。前回はそんなに痛くなかったから、今回も大丈夫かと思ったらこれだよ。歯磨き用のコップはいつも使うからすぐ出せたけど、薬を探すのがもうつらい……」
ミーヤはリュックの中を探る。マアチはコップを持ったまま、ベッドに腰掛ける。
「飲み終わった? コップ洗ってくるけど」
「あ、兄貴、ちょっと待って」
ドアから部屋を覗いたボウ・コバにマアチが答える。
旅人用の宿屋の部屋は、ベッド一つが収まるだけの小さな正方形だ。ベッドの横は荷物置き場になっており、ミーヤのリュックが置いてある。女二人がベッドに腰掛けたら部屋はもう満杯だ。それにマアチの兄、ボウは身長180フィンクを超える大柄なので、一人でも宿屋の一室が狭いくらいだ。だから部屋には入らず、廊下からミーヤとマアチに声を掛けていた。
「ボウ兄さん、ありがとう」
ミーヤは薬を飲み、ボウに言う。小さな村で、年の近い子供はこの三人だけだったので、ミーヤにとってもボウは兄のような存在だ。
「兄貴はどっか出かけてきてもいいよ。ミーヤがこれじゃあ今日も魔物狩りはムリだしさ。オレが四日目でようやく楽になってきたっていうのに……つってもまだ気になって精神集中しづらいけどよ……」
マアチが立ち上がってコップを兄に渡す。
マアチも実家がマッチ工場なので、水の魔法を一応は習得した。万一、工場から火が出ても、水の魔法で鎮火できるようにだ。人間の魔法は一瞬で消失するが、その一瞬で、火を消すことに特化した水を呼び出す『鎮火の魔法』があるのだ。水の中級魔法だが、火事を消すほどの量を出すのは難しく、ミーヤも習得していない。水の魔法は初級止まりのマアチももちろん使えない。
向き不向きがあるからそれでいい、いつかやる気になったらがんばれ、と、マアチの両親は言っていた。兄のボウも、魔法を習っても全然使えるようにならなかったので、魔法は一つも使えない。火事を出さなきゃいいんだよ、と二人の両親は笑っていた。
「うん……でも、魔物狩りを休むのも四日目になるし。俺だけでも稼ぎに行こうかと思うんだけど」
「でも一人じゃ危ないだろ。弱い魔物でも複数に取り囲まれたらやばいし。オレは明日には行けるよ。オレはあんまり痛くはねーんだけど、とにかく量が多いからな。遠出したり、トイレが近くにない場所に長時間いるのは、落ち着かなくって魔法使う気になれねー」
「私も、明日には行けるよ」
ベッドから、ミーヤも話に入った。
「私が痛いのは初日だけだからさ。今日を乗り越えれば、後は楽になってくだけだし」
「でも、オレが四日も休んでるのにミーヤが一日だけじゃ」
「じゃあ、戦闘は二人に任せて、補助に回るよ。私はマアチほど出血多くないし、遠出するだけならなんとか」
ボウが、廊下から窓の外を眺めて言った。
「天気の都合もあるよね。昨日と今日は曇りだけど、一昨日は雨だったし。この様子だと今日も降るかも。だったら明日、晴れてもまだ地面はドロドロだろうし……」
客室に窓はない。宿屋は、狭い客室が横一列に並び、ドアの正面が廊下になっている構造だった。廊下の右端に階段、左端に、トイレと洗面所がある。廊下の、客室とは反対側の壁に窓が並んでいる。ここは安宿なので、窓ガラスは入っていない。漆喰の壁に木の枠をはめ込んだ穴だ。今は朝なので木の雨戸が開けられ、外の光と空気が廊下に直接入ってきている。
「ああ……じゃあ、明後日ぐらいに三人で行く、ってことにしようか」
「そーだな」
ミーヤとマアチはうなずきあった。生理中に、グチャドロの野外に行くのは非常に億劫だ。
「じゃあ、今日は俺、どこかで筋トレしてるよ。マアチはミーヤについててあげて。無理しないでね」
ボウは洗面所まで行ってコップを洗い、ドアの所に立っている妹に手渡した。そして自室に戻って出かける準備を始めた。
「オレも部屋に帰った方がいいか? ミーヤ、寝るか?」
「ううん、さっき起きたとこだし。おしゃべりでもしてたほうが気が紛れるよ」
「そっか。じゃ、なんか話そうぜ」
マアチはドアを閉め、コップを荷物置き場に置くと、ミーヤのベッドに座った。