九十二話 開戦
「よぉ、サフィ」
街中で友人と出会った時のような、気安い声音。楽しげに、軽やかに。足元の瓦礫を踏み壊しながらカイナは立ち止まった。
「カイくん?」
対し、サフィが浮かべたのは純粋な困惑だった。自身の目的が達成されるまでカイナとはもう顔を合わせる事もない。そう、覚悟のようなモノを抱いていたからこそだった。
「……随分と派手にやってんな。何やってんだお前?」
「え?え、えっと……」
「歯切れが悪いな。ま、お前はいつもそんな感じだったが」
困惑は更に加速する。それはカイナの変容によるモノだった。
以前再会した時の、何処となく覇気が失われたカイナ。表情に力は無く、瞳には昏さがあった。
それこそがサフィが目的を果たそうとする理由の一つであり、目的を果たさなければ変えられないモノだとも断じていた。
しかし、今この瞬間のカイナは。
「当ててやろうか?お前、何で俺がここに居るのかって事を気にしてんだろ」
「う、うん」
「は……俺が何処に居ようが俺の勝手だ。お前が疑問を抱くような事じゃない。違うか?」
「ちっ、違わないよ!」
「分かってんじゃねえか。なら気にすんな」
距離が離れていても伝わる。
表情には生気が満ち、鋭い眼光がサフィを貫く。言葉遣いにはどこか棘が混じり、それでも浮かべる笑みは本物で。
まるで――昔のカイナのようだと。自然と零れ落ちるように、サフィはそう思っていた。
「俺もお前が何をしようとしてんのかは、正直言って今はどうでもいいんだ。だからごちゃごちゃ話すとすれば後だ、後。それよりも……なあサフィ、俺らって喧嘩した事あったっけか?」
自身の目的をどうでもいいと言われた事よりも、続く質問に対する困惑の方がサフィにとっては大きかった。
喧嘩。それも自分とカイナの。そんなものある筈が無い。起こり得る筈が無い。サフィがカイナと望んで対立を起こす事など、ある筈が無いのだから。
声には出なかった。しかしその表情が、何よりも雄弁に答えを表していた。
「やっぱ無いよな。そもそも俺以外ともした事ねえか。じゃあまあ、これからやんのは喧嘩の一種って事で。――サフィ、俺と戦え」
「へ……」
「聞こえなかったか?戦えっつってんだよ。お互いに手加減抜きの本気でな」
意図が読めない。困惑の理由はそこにあった。いくら思考しても、カイナが何を意図しているのか分からない。
「な、なんで?」
だからこそ、そう問うてしまうのは必然だろう。
「理由が必要か?俺がやれと言ったらやる、ついて来いと言ったらついて来る。それがお前だろ」
「……!」
そして、その返答に目を見張ってしまうのもまた必然だった。それこそがサフィという人間であると。
カイナの後ろを歩く。それ以外の自由意志は無い。そういう人間だった筈だった。
自身が無意識に返していた問い。それが意味する己の変質に、サフィの心は小さく軋む。
「まさか、やらないなんて言わないよな」
「わ、分かった!やる!やるよ!」
「それで良いんだよ。幼馴染同士が喧嘩の一回や二回、してねえ方がおかしいんだ。ここらでやっとくぞ」
無茶苦茶な論理。しかしサフィは従わざるを得ない。サフィという人間はそうあるべきだと、そう思ってしまったのだから。
「俺とお前、二人の勝負だ。――じゃ、やるか」
そうして、肩を回しながら放たれた、どこまでも気安いその言葉によって、二人の戦いは静かに始まった。




