六十八話 加速
「あーあ、こりゃダメっスねえ……」
力の無い声音とは裏腹に、軽薄な口調で女は呟いた。そこは建物や居住が並ぶ市街であり、本来であれば多くの人々が行き交い喧噪が絶えない場所である筈だった。
血と死体、そして数々の倒壊した建物と瓦礫が、本来であればある筈だった日常と平和がそこに無いことを端的に示していた。
「……ふう」
女は無事な建物の側に寄り、背を預けながら腰を下ろす。自身の失った左腕の根元を残った右手で抑えながら。
――恐らく自分が最も速く異変に対応した。女はそう考える。
祈りの最中、勇者が空中を歩き出したのを見た時、女は言いようの無い感覚を抱き単独かつ全速力で広場から脱出を試みた。その甲斐あってこうして市街地にまで逃げ延びることは出来た。
問題はその過程であの光弾を喰らったこと。勇者の手は女が逃げ延びた先である市街地にまで伸び始めていること。
そして、混乱と逃走の最中で止血が遅れ、多量の血を失っていること。
「他の人よりかは、回避できる余地はあったんスけどねえ」
女は偶然ながらも知っていた。勇者に何らかの異常が起こっているという可能性を。それを重く受け止めて、怯えていればこうはならなかったと。
「まーでも仕方ないっスよ。帰って来たって聞いた時点で杞憂だったって普通は思うし、アタシでも受けられる上にあんだけ美味しい依頼を無視するってのは。他の皆も受けてたし……」
己を慰めつつも、自嘲の意がそこには込められていた。
「何とかならないもんっスかね。誰かアレを……いや、勝てる人居るんスかね。というかアレが居なくなったところで、このままじゃ死ぬな。しょうもないなあアタシ。あ、アスリヤちゃん来てくれないかな。王都のどこかには居るだろうし。……やっぱり、治癒系のギフトが欲しかったなあ」
自身の呼吸が少しづつ浅くなっていくのを感じながら、女は自然と自らの顔を覆う包帯へと手を伸ばしていた。
閉じ込められていたモノを解放するようにそれを解く。そして露わになった顔の内、焼け爛れた左半分を残った右手でなぞった。
「左ばっかり……何かに呪われてるのかな。でもそうだとしたら、今日まで良く生き延びてきたってことか」
その行為に満足したように女は笑みを浮かべ、身体の脱力に身を任せるように地面へと寝そべる。
「うん、良くやった方だよ。――起きたら全て上手くいってますように……」
安らかな睡魔のままに、女は目をつぶった。
☆
勇者は広場に集まった人間への攻撃を終えた後、その外にも手を伸ばし始めた。
「ありさん ありさん ならんで あるく」
始めは儀式を外から見守っていた人々だった。何が起きているか理解出来ず、ただその場で呆然としていた者。
「きょうも あしたも ならんで あるく」
危機感から逃げ出した者。立場故に何かしらの対応を試みた者。全てが等しく血と変わった。
「まーえに つづいて ひたすら あるく」
突然、そして理解不能の暴虐。止められる者は誰一人としていない。
「ありさん ありさん しあわせそうで うらやましいな」
☆
今は、まだ。




