三十三話 永雪域
聞いたことはあった。だが実際には行ったことも見たこともない。そんな光景が目の前にある。
「ここからが、永雪域……」
厚着をし、露出を最小限にした防寒装備のアスリヤが呆然と呟く。俺も、傍から見れば同じように呆然としているのだろう。
全てが暗い白銀に包まれている。空も地面も木も。ここでそれを拒むことは出来ない。フードに僅かに滑り込んだ雪の冷たさが、それを実感させる。
冷たく、無機質な世界だった。
☆
永雪域はエルシャの北部に広がる地域のことだ。その名の通り季節や時期を問わず常に降る雪に閉ざされた場所であり、それがどこまで広がっているのかも、果てがあるのかも分からない謎の地。
過去には何度か探索や冒険の手が及んだらしいが、人間にとっては悪条件すぎるのもあり、今では注目されることはほとんど無い。
「永雪域は危険な場所です。雪や気温はもちろんですが、魔物の存在もほぼ確実と言っていいでしょう。だからこそ、貴方の手を借りたい」
そう言ってアスリヤはテーブルの上に袋を置いた。中に入ってるのは硬貨だ。報酬は既に用意している、ということだろう。
「幾つか質問がある。お前に帯同している兵士が何人か居るだろう。アイツらは」
「彼らはエルシャに帰らせました」
「何?」
「……ここからの私の行動は、正直言って独断的です。成果があるかも分からない。そもそも目的に会えるのかも分からない。賭けと言ってもいいでしょう。それに彼らを付き合わせることは出来ない。彼らは王都に帰り、組織的な動きをして貰います」
「……だから俺、か」
「はい。独断的とはいえあまり時間をかけたくはない。だからこそ少人数の強行軍を想定していますが、私が知る傭兵でありその条件下でも十分に働いてくれそうなのは、貴方しか居ません」
「面倒なことを歓迎してるわけではないんだがな」
「それでも、報酬が良ければやる、のでしょう?」
「まあな」
「報酬はこの袋だけではありません。通常の指名依頼の相場の約三倍を用意しています。何か文句はありますか?」
「……ないな」
「おおー、カイナのこと分かってきてるわねえ」
「貴女は黙っててください!」
威嚇する猫のように怒鳴られ、同じく猫のように席を立ち退散するレリア。その空いた席に、アスリヤは溜息を吐きながら座った。
「あの、カイナさん、先日は、その……」
「アイツに酒と一緒に色々と吹き込まれたってのは聞いた。それを聞いた今、謝られても困る」
「そ、そうですか?」
「それに……記憶が曖昧なんだろ?ならあの日のことは互いに無かったことにすれば良い。それでも謝意があるなら、この依頼の報酬にでも上乗せしといてくれ」
「……分かりました」
完全に割り切れてはいない。そんな風に、ぎこちなくアスリヤは頷いた。




