三十話 俺はお前が
「おい、とりあえずこれ飲め」
「んむぅ……」
普段では考えられない、腑抜けきった状態で床に転がるアスリヤに対し、俺は井戸から汲んできた水を差しだす。通じてるのか通じてないのか分からない反応だった。
「……飲ますぞ」
杯を無理矢理口に付け、傾かせる。口に入らなかった水が幾分か零れてはいるが、何とか飲んではいるようだ。
「これ、おいしくないれす……」
「自分で持って飲め。吐いたら叩き出すからな」
何とかアスリヤ自身に杯を持たせ、近くにあった椅子に座る。大したことはしていないのにも関わらずどっと疲れたような気がした。
「ついさっき自分の部下が殺されたってのに、何してんだ。……いや、殺されたからこそ、か」
小言のような愚痴を吐き出した後、翻すようにそう思い至る。親しい人間や仲間が死んで、酒や怪しげな薬でそれを忘れようとするヤツは何人も見てきた。
コイツも同じなのかもしれない。そう思えば、ある程度は納得が出来た。なぜ俺の家に来たかは意味が分からないが。
「……はれ、かいなさん?」
今初めて俺の存在に気づいたようにアスリヤがこちらを見る。目の焦点は合ってないし呂律も怪しい。多少酒は抜けたがまだまだのようだった。
「ああ、そうだ」
「おひさしぶりです」
「さっき会ったばっかだろうが」
「へへ……」
何が楽しいのかへらへらと笑ってはいるが、会話自体は成立している。ギリギリ。このまま、なんでここに来たかまで聞き出せればいいが。
「お前、なんでここに来た?」
「へ?」
「普段使ってる宿があるだろ。酔っ払ってたとしても帰るならそこだ。なんでわざわざここなんだ」
「わたしは……れりあさんに連れられて……」
「レリア?……アイツか」
聞き覚えのある名前だった。そして同時に納得する。具体的に何があったか分からないが、酔い潰れたコイツを俺の家に差し向けるというのは、いかにもアイツがやりそうなことだったからだ。酒場の店員のアイツなら俺が勧誘を受けていることだって知っているだろう
そして、目的は恐らく無い。強いて言えば面白そうだったから、だろう。
「……まあいい。床くらいは貸してやる。朝になったら出て行けよ」
「れりあさんが……だいてもらえって……」
「っ、マジで何やってんだアイツ……!」
何を吹き込まれたか、何となく窺い知れる返事だった。嫌がらせにもほどがある。あのにまにまとした顔が目に浮かぶようだった。
「お前もお前だ。酔っぱらってるとはいえ素直に聞き入れやがって。バカ言ってないでさっさと寝ろ」
「――だめ、ですか?」
「あ?」
「わたしでは、だめなんですか……」
予想していなかった反応に思わず戸惑う。そこで食い下がるとは思わなかった。
「誰であろうとだ。気分じゃない。というかお前、自分が何言ってるか分かってんのか?」
「わかって、ますよ。だってれりあさん言ってました。そうすれば、知りたいことが知れて……つらいことも忘れられるって」
へらへらとしたその笑顔は、笑顔のようで引きつっている。
酔う、という感覚を俺は知らない。だから本当のことは分からないが、今のコイツは普段の生真面目さを脱ぎ去った、素の面を晒しているように見えた。
身内が死に、世界の理不尽さを疎み、自棄になった、どこにでもいるただの人間。きっと明日には元に戻っているだろう。だがこの瞬間はそうだと――思いかけた。
「それに、わたしのかんゆうを受けてくれるかもしれないって」
「……は」
違う。コイツは何も変わっていない。今この瞬間も、世界と人々とやらの為に俺を戦力に求めている。
辛いという言葉は本音だろう。それを忘れたいというのも。だが結局は、自分本位になりきらない。全てを曖昧にしたくて酒に呑まれたのにも関わらず、他者を求めるという行為にも律儀に理由を付けやがる。
「お前は、どこまでいってもクソ真面目だな」
「?」
「勧誘は受けない。そういう気分でもない。話はそれで終わりだ。――それにな、アスリヤ。俺はお前が嫌いだ」
改めて確信したその感情を正面からぶつける。通じてるか、明日になっても覚えてるかは関係なかった。今ここで、そう言ってやりたかった。
それを最後に立ち上がり、自室に戻ろうとした時、さっき投げた硬貨が床に転がってるのが見えた。そこにはそれが裏であることを示す盾の紋章が刻まれている。
「……」
気にも留めず、俺は再び動き出した。




