【短編】攻略を諦めたら、騎士様に溺愛されました。悪役でも幸せになれますか?
こんにちは。お越しいただき、ありがとうございます。
少しでも楽しんで頂けましたら、嬉しいです!!
彼女は、大好きな乙女ゲームに転生をした。しかも、ヒロインだ。
これは推しの王子様、レイモンド様との恋愛も夢じゃない! などと意気込んで学園に入学たのだが、レイモンドは悪役令嬢のローズリンゼットに夢中だった。
その姿に色んな意味で衝撃を受けた彼女は、ある結論に行き着いた。
(ここは巷で流行りの悪役令嬢が主人公の世界なんだわ。つまり、ヒロイン転生の私が実は悪役パターン。悪役令嬢がヒロインで、ヒロインが悪役令嬢……。神様も紛らわしいことをしてくれたものだわ)
彼女は一瞬で推しのレイモンドを諦めた。いや、それだけじゃない。攻略対象全員を諦めたのだ。
(命一番。恋だの愛だのにかけられる命なんかないわ)
こうして、物語は全く進まない……かのように思われた。
(見てる見てる見てる見てる!! なんでいつも見てくるの!? 私、何にもしていないんだけど)
ローズリンゼット公爵令嬢の強い視線を感じ、メイリーンは逃げていた。彼女は毎日じっとメイリーンのことを見詰めてくるのだ。
それは、授業中のこともあれば、休憩時間や放課後のこともある。
(とにかく、私が悪役にならないためには関わらないのが一番よ。そもそも、ローズリンゼットだって転生者でしょ? あんなのがここにあるわけないんだもの)
少しでもローズリンゼットから離れようとメイリーンは令嬢として許されるギリギリのスピードで逃げた。
(あそこの角を曲がったら、図書館に逃げよう)
私語厳禁とされる図書館であれば、話しかけられることもないだろう、と安心したのがいけなかった。
角を曲がったところで目の前にフッと大きな影が現れ、メイリーンは尻餅をついた。
「いたたた……。すみません。お怪我はありませんか?」
「こっちこそ悪かった。フィラフ嬢の方こそ、どこか痛めたんじゃないか?」
差し出された手をメイリーンはお礼を言いながら掴んだ。掴んだのだが、相手が誰なのか分かってしまった瞬間、血の気が引いた。
(嘘でしょ!? なんでリアムスが……。あれだけ避けてたのに)
メイリーンがぶつかったのは、攻略対象である騎士のリアムスだった。入学してから半年。遂に、攻略対象と接触してしまったのだ。
「何をそんなに急いでたんだ?」
前には攻略対象である騎士のリアムス。後ろにはローズリンゼット。絶体絶命のピンチにメイリーンは礼儀も全て投げ捨てて逃げ出したかった。
だが、学園は貴族社会の縮図のようなもの。子爵令嬢であるメイリーンには、自分より身分の高い伯爵家の三男であるリアムス相手に逃げるという選択肢はない。
しかも、自分がぶつかって迷惑をかけた相手だ。身分関係なく逃げたら失礼というものだろう。
(何で今日に限ってローズリンゼットは追いかけてくるのよ! いつもは見てるだけじゃない!!)
メイリーンは、一瞬だけ悩んだもののローズリンゼットから逃げることを選んだ。
ローズリンゼットに捕まれば、悪役令嬢としてのスタートを切ってしまうかもしれないという恐怖がメイリーンを突き動かしたのである。
「お願いします。ちょっとだけでいいので背中を貸してください」
そういうや否やメイリーンはリアムスの大きな背中の後ろに隠れた。
(イベントでは、これで逃げ切れてたよね。究極の選択とは言え、リアムスのイベントを進めちゃったけど大丈夫かな……)
不安げな様子のメイリーンを見たリアムスは、何から逃げているのか疑問に思ったが、こちらに向かってくる人物を見て納得した。
「あら、リアムス様。ごきげんよう。メイリーンさんはいらっしゃらなかったかしら? 大事なお話がありますの」
メイリーンはちらりと視線を向けてきたリアムスに首を振って答える。
(お願い、教えないで!!)
「すまないが、フィラフ嬢は見ていない。そのような変な面をするから逃げられるのではないか?」
「変じゃありませんわ! おかめはこの世の美でしてよ!!」
おかめのお面をつけたローズリンゼットは声高らかにおかめの素晴らしさについて語りだす。
「美だか何だかは俺には分からないが、面で視野が狭まると危険だぞ」
「ご心配には及びませんわ。ばっちり見えておりますもの。おかめを着けてから、人とぶつかったことも転んだこともありませんわ」
(ばっちり見えていたら、俺の後ろに隠れているシュラフ嬢はすぐに見つかっていると思うけどな)
おかめを着けたことで視野が狭いローズリンゼットは気が付いていないが、リアムスの足元にはメイリーンの靴がのぞいている。
「今日こそは……と思いましたけれど、出直すことに致しますわ。リアムス様、お手間をかけましたわね」
おかめを着けながら颯爽と歩くローズリンゼットに生徒たちは視線を合わさないようにしながら避けていく。
(モーセの十戒みたい……)
ひょこりとリアムスの背中から顔だけ出し、メイリーンはローズリンゼットを見送った。
「ありがとうございました。助かりました」
(ローズリンゼットから逃げてるところを助けてもらったから、リアムスの出会いイベントは達成かぁ……。攻略する気はないんだから、イベント発生しないでよー)
盛大なため息を吐き出したい気持ちを抑え、深々と頭を下げれば、ポンッと優しい手が頭に乗せられた。
「俺で良ければ相談にのるぞ」
リアムスの優しい声色と手に、メイリーンはすがりたい気持ちが芽生えた。
けれど、攻略対象に近付けば近づくほど悪役への道が開かれる気がして、メイリーンは小さく頭を振る。
「ありがとうございます。でも、大丈夫です」
「……これは、俺からの命令だ。何に困っているのか言うように」
「えっ?」
(命令? 何で? そんなこと聞いてもリアムスの得になることなんて何もないのに)
「ここだとゆっくり話もできないな。場所を変えよう」
そう言って、少し強引にリアムスはメイリーンの腕をとった。
連れて行かれたのは、こじんまりとした小さな温室だった。
手入れは行き届いているものの、校舎の近くにもっと豪華な温室があるためか、先客はいない。
(ここって、リアムスルートでヒロインと密会する場所だわ。何でここなのよ……)
「ここなら誰にも会わずに話ができる。変な噂が立つのは嫌だろ?」
(し、親切心だった! リアムス、ごめんね。あなたはそういう人よね。頼れるお兄ちゃん的なポジションだもんね。人気はそこまでじゃなかったけど、私は好きだったよ!! 三番目に!!)
などとメイリーンが失礼なことを考えている間に、リアムスはメイリーンのためにベンチにハンカチを敷いて座るように促した。
その紳士な行動にメイリーンのなかでリアムスの好感度は急上昇。彼女の中の推しランキングが一つ上がった。
「何でローズリンゼット嬢に追われてたんだ?」
「それが、分からないんです」
「話したことは?」
「一度もありません」
メイリーン自身、ローズリンゼットと接触しないように細心の注意を払ってきたので、本当に理由が分からなかった。
「……ローズリンゼット嬢の面をどう思う?」
「個性的だな……と思います」
「それじゃないか?」
「それ、ですか?」
メイリーンには、リアムスはのそれが何を指しているのか全く分からなかった。
「他の者は皆、眉をひそめたり、馬鹿にしたりしている。良くて無関心というところだ。そんな友好的とは言えない反応ばかりのなかに、一人だけ嫌悪もなく見てくる視線があったら、どう思う?」
「……仲良くなれるかも」
「そうだ。ローズリンゼット嬢にとって、フィラフ嬢は唯一仲良くなれそうな相手というわけだ」
(えっ? じゃあ、ローズリンゼットは私と友達になろうとしていたの?)
「これから一体どうしたら……」
「仲良くすればいいんじゃないか? 変な面は着けているが、相手は公爵家の令嬢で王子の婚約者だ。損をすることはない」
「それが嫌だから、困って──」
しまった、とメイリーンは慌てて口を押さえたが、時既に遅し。口から出た言葉はリアムスの耳にしっかりと届いている。
「えっと……、そのぉ…………」
言い訳をしようとしても、頭が真っ白で何も思い浮かばず、メイリーンは自身の靴の爪先とにらめっこをした。
その間にも、リアムスからの質問が飛ぶ。
「ローズリンゼット嬢が嫌いか?」
「いえ」
「じゃあ、怖いか?」
「そう……ですね」
「側にいれば、王妃付きになれるかもしれないぞ」
「そういうのに興味はありませんので」
「将来有望な相手に出会いやすくなる」
「身の丈にあった方と結婚します」
「卒業後の伝はあった方がいいんじゃないか?」
「田舎の領地に帰るので必要ないですね」
(そもそも、無事に卒業できるかも分からないもの)
リアムスの質問が途切れたので、メイリーンは顔を上げると、真剣な瞳にぶつかった。
「フィラフ嬢には、欲はないのか?」
「ありますよ。美味しいごはんを食べたいなぁとか、頭が良くなりたいなぁとか」
(無事にゲームの期間が終わりますようにとか)
「それは、随分と──」
(──可愛らしいことを言う)
声を押し殺して笑うリアムスに視線を奪われたメイリーンは慌てて視線を外した。
「フィラフ嬢……、俺があなたの盾になると言ったら迷惑か?」
「えっ?」
「俺だけでは守りきれないから、騎士仲間も紹介しよう。女性同士でペアを組む時は彼女と組むといい」
「どうして……」
(そんなに良くしてくれるの? 私はあなたを……ゲーム内でのリアムスを知っているけど、あなたにとってはクラスメイトでしかないのに)
「下心かな」
「はい!?」
「フィラフ嬢と仲良くなりたいんだ。だから親切にする。誰にでもするわけじゃない」
あまりにもさらっと言われてしまい、メイリーンは困惑と恥ずかしさで視線が再び足下へと舞い戻っていく。
それなのに、リアムスはメイリーンの視線の先へとしゃがみ込んでしまった。
「これから仲良くしような、メイリーン。俺のことは気軽にリアムスって呼んでくれ」
「そんな、恐れ多い……」
(攻略するつもりはないから困る。それなのに、なんでドキドキするのよ……)
「試しに呼んでみな? それとも意識しちゃって呼べないか?」
(えっ!? これじゃあ、呼ばなかったら私がリアムスを好きみたいじゃない。うぅぅ、嵌められた……)
「リアムス……様」
「様もいらない」
「これ以上は無理です。ご容赦ください」
耳まで真っ赤に染めたメイリーンの反応にリアムスは口の端を上げた。
「メイリーンの希望は俺が叶える。だから、他の男にその可愛い姿を見せないでくれよ」
そっと手をとると、綺麗に切り揃えられた爪の先にリアムスは唇を落とす。
(ちょっと面白そうだからと声をかけたつもりだったが、こんなにも心を動かされるとは……。俺は貴族のご令嬢たちの貪欲さに飽き飽きしてたんだなぁ。これではレイモンドのことを言えないじゃないか)
指先を見詰めたまま動かなくなってしまったメイリーンにリアムスは笑みを溢すと、エスコートをしながら温室を後にした。
(噂にならないように温室に連れてきたが、噂になりたくて目立つようにエスコートするだなんて我ながらどうかしてる……)
そう思いながらもリアムスはわざと人の多い道を選んでメイリーンを馬車まで送ったのであった。
次の日、学園に着くとメイリーンは多くの視線にさらされた。リアムスの作戦は見事に成功し、自身とメイリーンの仲を見せつけたのである。
「メイリーン、おはよう」
「あ、リアムス様。おはようございます」
朝から爽やかな笑みを浮かべながら接近するリアムスにメイリーンは警戒した。
(昨日、温室での記憶が途中からないわ。私が妙に注目されている理由をリアムスなら知っている? そもそも、記憶がなくなったのだってリアムスのせいで──)
昨日の口づけを思いだし、メイリーンは自身の右手の爪を見た。
(他のご令嬢たちみたいにマニキュアを塗ったりして綺麗にしておくんだった……)
そう思ってしまった自分に驚き、メイリーンは恥ずかしくなった。攻略しないと決めたのに、少しでも良く見せようとする自分に嫌気がする。
芽生え始めた気持ちを隠すように、口付けられた右手を握りしめた。
「昼にでも、昨日話していた騎士仲間を紹介してもいいか?」
「ありがとうございます。お願いします」
有り難いと思う反面、リアムスと仲の良い女性騎士を羨ましいと思う気持ちに気が付かないふりをして、メイリーンは頭を下げた。
(紹介してくれたら、リアムスもきっと私と関わることもなくなるはず。昨日は仲良くなりたいと言ってくれたけど、今まで攻略していこなかったもの。私といるメリットなんかないわ)
授業が始まるまでリアムスは色々と話しかけたが、メイリーンはどこか上の空だった。
そんな様子をローズリンゼットはおかめの面の下から静かに見つめていた。
昼休み、メイリーンは学園内にあるカフェでクラスメイトのとてもかっこいい騎士を紹介してもらった。
「私はビアンカ。ビアって呼んでね。可愛らしいお嬢さん」
パチリとウィンクする姿はとても様になっていて、メイリーンは頬を染めた。
「ビア……」
(お姉さまとお呼びしたい)
メイリーンが呟けば、リアムスは少し眉を寄せた。そんな様子をビアンカは楽しげに眺め、口の端を上げた。
「ビアンカ。メイリーンを誘惑するのは止めてくれないか」
「心が狭いよ、リアムス。そんなんじゃ、振り向いてもらえないと思うけど」
「余計なお世話だ」
気軽なやりとりに、メイリーンの胸はちくりと痛んだが、それも一瞬のこと。
「メイリーンの傍にいるのは基本的に俺だ。どうしても一緒にいられない令嬢のみの授業の時は頼む」
「……普段から私が傍にいるんでもいいんじゃない? リアムスはそれがいいだろうけど、メイリーンの気持ちもあるでしょう?」
リアムスとビアンカの視線がメイリーンへと注がれた。だが、メイリーンはもっと強い視線を感じた。
(まさか──)
そのまさかだった。ローズリンゼットがじっとこちらを見ているのだ。そんなローズリンゼットの隣にはレイモンドが当然のようにいる。
メイリーンは二人の問いかけに答えることなく、急いでまだお皿に残っていた昼食を口に詰め込むと立ち上がった。
「申し訳ありませんが、急用を思い出したので、お先に失礼してもよろしいでしょうか」
「俺も食べ終わってる。一緒に行こう」
リアムスは席を立ち、ビアンカは小さく手を振った。
「私はもう少しゆっくりしていくよ。あまり一緒にいるとリアムスに嫌がられそうだからね」
からかったことで困ったような顔をするメイリーンと、全く動じないリアムスをビアンカは見送った。
(さて。私の方はローズリンゼット様に話でも聞いてみようかな。どうしてあんなに熱烈な視線をメイリーンに向けるんだか。
悪意はないようだけど、身分の高い相手からあんなに見られたら、か弱い令嬢には怖いだろう。ましてや、あのお面じゃねぇ……)
怖いもの知らずのビアンカは、ローズリンゼットの方へと足を踏み出した。彼女もまた、おかめに対して嫌悪感はない。だが、関心もなかった。
学生をしながら騎士団に所属するのは、学業以外の時間をほぼ訓練にあてることになる。生半可な気持ちでできるものではないのだ。しかも、女性であるビアンカは、周りからの偏見もついてくる。
そんな彼女にとって、おかめなど些細なもの。
(か弱い令嬢を守るのも、高貴な令嬢のお気持ちを聞いて願いを叶えるのも騎士の務めだよね。折角なら、ローズリンゼット様の美しいといわれるお顔も拝見したいものだなぁ)
四人の脳筋な兄を持ち、いかに一般的な女性はか弱いかを幼い頃から教え込まれたビアンカにとっての騎士道は少しずれている。
彼女にとっての騎士とは、か弱い者……女性や子どもを守ることなのだ。
ビアンカは鼻歌でも歌いそうなほど上機嫌にローズリンゼットへと微笑みかける。
「私もご一緒してよろしいですか?」
「もちろんですわ。ビアンカさん」
食事時のため、額から鼻までが隠れた半仮面のおかめをつけているローズリンゼットの口元は弧を描いた。
声も妖艶であるが、見えている口元もまた色気がある。だが、そのすべてを半仮面のおかめが台無しにしていた。
その日の放課後、騎士団の訓練に向かう前にビアンカはメイリーンへと声をかけた。
「これ、ローズリンゼット様から」
そう言って渡されたものは、おかめ。
「えっと……」
(何でビアがローズリンゼットからおかめを預かってるの? ……ものすごくいらないんだけど)
「ローズリンゼット様に、メイリーンに何の用事があるのか聞いてきた」
「えっ!?」
「そうしたら、このおかめっていうお面を贈りたかったみたい。受け取ってくれたら、用事もなく話しかけないって言ってくれたよ」
ビアンカの言葉にメイリーンはごくりと唾を飲み込んだ。
(これを受け取れば、ローズリンゼットと関わることなく無事に卒業ができる?)
半信半疑ながらも、震える手でメイリーンは受け取った。
「ビアもおかめをもらったの?」
「ううん。私はまったく関心ないから、もらうことはないと思う」
「私も関心があるわけじゃ──」
最後まで言い切る前にメイリーンは、後ろを振り向いた。やはり、そこにはおかめ。ローズリンゼットが今度は柱の影から見ていた。
ローズリンゼットとしては隠れたつもりでも、レイモンドは堂々と隣に立っている。何よりおかめが半分しか隠れていない。
「ローズリンゼット様か。悪意も殺気もないのに、よく気が付くね」
(悪意や殺気よりも分かりやすいと思うんだけど……)
つっこんで良いのか分からず、メイリーンは曖昧な笑みを浮かべた。
おかめを受け取ってから時は流れ、およそ一年半が経った。それはメイリーンにとって、とても平和な時間だった。
約束通りローズリンゼットから声をかけられることはなく、時折何か言いたげな視線を向けられるのみ。
リアムスもビアンカも騎士団の訓練が忙しいため、メイリーンと休日に出掛けることはなかったが、たまにメイリーンが訓練の休憩時間に差し入れを持っていった。
学園でのイベントのパートナーは、いつもメイリーンとリアムスで組んだ。
クラス編成は成績順のため、クラスメイトもほとんど変わることなく、最上学年である三年生へと進級する。
「メイ、待たせたな」
「ううん。訓練お疲れ様です」
リアムスが少しでもメイリーンと一緒にいたくて、護衛という名目で押しきるように始めた一緒に登下校することも、今や日常と化した。
「リアムス様、そろそろ本格的に婚約者を探さないとですよね」
「そうだな」
「ローズリンゼット様も約束通り見ているだけで接触もありません。そろそろ別々に登校しませんか?」
静かにそう告げるメイリーンに、リアムスは溜め息をついた。
「俺が好きなのはメイだけだ。婚約するならメイとする」
「私とリアムス様では家格が釣り合いません」
(私じゃ、リアムスの後ろ楯になれないもの。ゲームでは上手くいったからといって、現実で上手くいく保証なんかない。私じゃダメなのよ)
リアムスの瞳に映る恋情を直視できなくて、メイリーンは視線をそらした。
「俺のことが嫌いか?」
「……そんなことないです」
「じゃあ、何がダメなんだ?」
「私よりも、もっとリアムス様にピッタリの女性がいるはずです」
「それは、俺が決めることだ。俺がずっと一緒にいたいのはメイだけだ。分かってるんだろ? 俺が諦めないことくらい」
顎を持ち上げられ、メイリーンはリアムスの方を向かされる。それでも、頑なに視線を合わさなかった。
視線があったが最後、囚われて逃げられなくなる予感がしたからだ。
「メイ、こっちを見ろ」
「無理です」
「俺のこと意識してるのか? 好きじゃないなら、見れるだろ?」
(またそういうことを言う!!)
視線を合わせれば絡み取られてしまうが、避ければ好きだと言っていることになる。
メイリーンは、リアムスの意地の悪さに涙目になった。
「好きとか嫌いの問題じゃありません。貴族の結婚は家同士の結び付きを強めるためのもの。私に価値はありません」
結局、リアムスを見ることはできず、メイリーンは固い声で返事をした。その目には、涙が溜まったままである。
「メイ、俺は三男だ。家は兄が継ぐ。それに、我が家の地位は磐石だ。家格の差なんて気にする必要もないんだ」
リアムスは、包み込むようにメイリーンを抱き締めた。その力は弱く、逃げようと思えばすぐに抜け出せる。
(いっそのこと逃げ出せないように囲ってくれたら、その胸に飛び込めるのに)
メイリーンはリアムスから逃げることも身を預けることもなく、温かい腕の中で涙を溢した。
リアムスはメイリーンの涙を指で受け止めたあと、彼女の肩に顔を埋め、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「俺はこのまま騎士として本格的に勤める。今までのように訓練や王都の見回りだけじゃなく、地方にも行かなくてはならない。寂しい思いをさせるかもしれない。貴族らしい暮らしをさせてやれないかもしれない。……それでも、俺といてくれないか?」
リアムスの声は震えていた。それでもメイリーンは答えられなかった。代わりにポタポタと涙がこぼれ落ちる。
(ごめんなさい、リアムス。私にはあなたが好きだからと、あなたの胸に飛び込める純粋さも強さもない。今、あなたの告白に頷くわけにはいかない──)
ゲームのリアムスルートのエンディングに彼が騎士団長にまで上り詰めるとあった。その一文が、頷いてしまいたいと願う彼女の心を踏み止まらせる。
(守られているだけの私じゃダメなのよ。変わらなきゃ……)
メイリーンは初めてリアムスの背へと手を回した。
リアムスはメイリーンに答えを求めることなく、囲うように抱いていた腕に力を込めた。
その日からメイリーンは変わった。
リアムスと関わることで視線は集めてきたものの、彼女は目立たず静かに過ごしてきた。
そんなメイリーンが、今まで表に出すことのなかった優秀さと美しさを、自分の手で未来を切り開くために発揮し始めたのだ。
学業ではレイモンドやローズリンゼットを押さえ、学年一位となった。
今まで使わなかった前世の記憶を使って、目新しく見た目も可愛いお菓子や料理を流行らせ、化粧やドレスも個々に似合うものをアドバイスし、ネイルアートもした。
安物のドレスをアレンジして自らが流行りの最先端となった。
静かに微笑んでいた大人しい子爵令嬢は、誰もが振り向くような可憐な令嬢へと変貌を遂げたのだ。
そんなメイリーンをリアムスとビアンカは複雑な気持ちで見詰めていた。
メイリーンは目立つのが苦手で、のんびりとお茶をしたり、読書をしたりと静かに過ごすことを好むことを知っていたからだ。
「今のメイも素敵だけど、俺はそのままの君も好きだよ」
「私は変わらなきゃいけないんです」
(リアムス様の隣にいるためにも、私には力が必要なの。学園にいる間に私の有用性をアピールしないと。
リアムス様の負担になったりしない。私もリアムス様を支えられるようになるんだから)
強い、強い想いがそこにあった。
だが、光が強ければ強いほど、影は濃くなるもの。メイリーンを快く思わない者が確かに存在した。
ローズリンゼットは屋上から双眼鏡を使い、メイリーンを見詰めた。そして、おかめの下で悩ましげな溜め息をついたのだった。
学園の卒業の日が来た。つつがなく式は終わり、パーティーが始まろうとしている。
メイリーンは、悪役となることなくここまで来ることができたが、既にそんなことはどうでも良かった。
(今日こそ、リアムスに告白するのよ)
最近のメイリーンは、リアムスに告白しようとしては失敗することを繰り返していた。
いざとなると、まるで魚のように口をハクハクと動かすだけで緊張のあまり声が出なかったのである。
「メイ、綺麗だよ。誰にも見せたくないくらいだ」
リアムスに耳元で囁かれ、メイリーンはリンゴのように真っ赤に染まった。
(い、今がチャンスなのでは!?)
だが、いつものように口をハクハクと動かすだけで声は出てこない。
何も答えられないメイリーンに、リアムスは優しく微笑むと、出会った頃のように右手の爪先に唇を落とした。
違うのはマニキュアをきれいに塗られているということ。
「行こうか」
メイリーンはリアムスにエスコートしてもらい、卒業パーティーへと向かった。
きらびやかな会場に負けず劣らずメイリーンは美しく、注目を浴びた。
リアムスもまた学生ながら騎士として励み、三男ながらも将来の有望さからたくさんの令嬢が親しくなりたいと望んだ。
「俺と踊ってくれますか?」
「……うれしい。もちろんです」
二人はダンスを踊った。婚約者ではないので、たった一度しかパーティーの中では踊れない。
けれど、ファーストダンスは二人の親しさを存分に周囲にアピールすることとなる。
くるり、くるりと音楽に合わせて踊るメイリーンとリアムスは、誰も邪魔できないほどに二人の世界だった。
(好き……、大好き。心臓がはち切れちゃいそう)
(好きだ、離したくない。俺の気持ちを受け入れてくれるだろうか。もし、受け入れてもらえなくても、もう手離せない)
見詰め合い、誰の目から見ても両思いの二人。なぜ未だに婚約していないのか不思議に思うほどに、ハートが飛び散っている。
楽しい時間はあっという間に終わりを告げた。名残惜しく二人は体を離すと、一緒に壁際へと向かう。
メイリーンもリアムスも、他の人と踊るつもりはなかった。
そこへ、騎士仲間がやってきて、リアムスとビアンカの卒業を祝いに来た団長が呼んでいると言う。
「私は大丈夫ですから、行ってきてください」
「だが……。ビアンカが戻ってきてから……」
「大丈夫ですって。ほら、上司をお待たせするなんて失礼ですよ。行ってください」
メイリーンに背中をぐいぐいと押され、何度も心配そうに振り向きながらリアムスは団長のもとへと向かう。
そんな様子を、レイモンドと躍りながらローズリンゼットは見ていた。
(学園で一人になるのは、どれくらいぶりだろう)
そう思うほど、メイリーンの隣にはリアムスかビアンカがいた。
「あの、フィラフさん……」
名前を呼ばれて視線を向ければ、涙目で俯く一人の令嬢がいた。
その令嬢のドレスの裾は赤ワインだろうか、大きなシミを作っている。
(シミになるような飲食物は、会場にはないはず。……ということは、いじめかしら)
名前を呼んだきり、なかなか口を開かない令嬢にメイリーンは優しく声をかけた。
「大丈夫ですか?」
「ド……ドレスに溢されてしまって……。フィラフさんなら、どうにかできるんじゃないかって……。今日は、田舎から両親が来ているんです。こんな姿を見たら……」
声を震わせながら答える令嬢の手をとって、メイリーンは微笑んだ。
「大丈夫ですよ。会場で一番素敵になって、皆さんをびっくりさせちゃいましょう」
令嬢の名前はミリアと言い、男爵家の令嬢だった。
ミリアはメイリーンに連れられて歩いている間、しきりに謝罪を口にし、メイリーンはその度に大丈夫だと励ました。
そして、もう少しで女性用の休憩室に着くというところで、無人のはずの部屋の扉が開き、メイリーンは腕を引っ張られた。
「ごきげんよう。メイリーン・フィラフさん?」
くすくすと意地の悪い笑みを浮かべた三人の令嬢と体の大きな男が二人いた。
「ミリア、あなたはもういいわ。行きなさい」
「……フィラフさん、ごめんなさい」
そう言って走り去るミリアに、メイリーンは嵌められたのだと気が付いた。
「……目的は何ですか?」
「目障りなのよ」
真ん中にいるリーダー格の令嬢が殺気のこもった目でメイリーンを見る。
「リアムス様とあなたじゃまったく釣り合いませんわ」
「エレザベート様こそ、リアムス様の隣に相応しいというのに、図々しい」
エレザベートと呼ばれた令嬢の隣で、キャンキャンと取り巻きが吠えている。
(つまり、私がリアムスといるのが気に入らない。エレザベートが私に代わってリアムスの隣にいたい……と。ふざけてるわ)
「誰と一緒にいるのかはリアムス様が決めることです。あなたたちが決めていいことじゃないわ」
「何ですって!?」
エレザベートは手を振りかざし、メイリーンの頬をバチーーンッと音がなるほど強く叩いた。
メイリーンの左頬は赤く腫れ、指輪が擦れたのか傷ができている。
「暴力で訴えるような人をリアムス様が好きになるはずないじゃない。こんなことをしたって、リアムス様はあなたのことを好きにはならないわ」
頬を打たれたにも関わらず、メイリーンは怯まなかった。
(リアムスは見た目や家格で人を見るような人じゃない。リアムスは──)
「強気でいられるのも今のうちよ。他の男の手で汚されたあなたを見たら、どう思うのでしょうね? やってしまいなさい」
エレザベートの声に、にちゃにちゃとした笑みを浮かべながら男たちは近づいてきた。
そして、逃げようとしたメイリーンの腕を掴んだ。
「暴れなければ、優しくしてやるからな」
「どんな不細工かと思えば、上玉じゃねーか」
男はメイリーンの細い首筋に鼻を寄せ、匂いを嗅ぐとべろりと舐めた。
「へぇ。泣くのを我慢しちゃって可愛いじゃん。いつまで、もつかな」
もう一人の男がドレスの裾に手をかけたその時──。
鍵がかけられた部屋の扉が破壊された。その勢いのまま、リアムスが部屋へと飛び込んでくる。
「メイに触るな!!」
リアムスは、一瞬で男二人を殴り飛ばすとメイリーンを抱き締めた。
「メイリーン」
「リアムス様……」
そこからは怒濤の展開だった。ビアンカや騎士団長もやって来て、エレザベートや取り巻き、男たちを捕らえた。
その間もリアムスはメイリーンを抱き締めて離さなかった。
「助けに来てくれるって、信じてました」
「……ローズリンゼット様が教えてくれたんだ。守れなくて、ごめん」
掠れた弱々しい声でリアムスは呟く。メイリーンを抱き締めているリアムスの手は小さく震えていた。
「いいえ。リアムス様は守ってくださいました。私の体は清いままだもの。それに、あなたが来るまでの間も、あなたとの日々が私の心を強くしてくれた。守ってくれたの……」
メイリーンは、リアムスの頬に手をあてると目に涙を溜めて微笑んだ。
「リアムス様が好き。私ももっともっと強くなるわ。だからこれから先、ずっとずっと一緒にいてくれませんか?」
その言葉を聞いたリアムスは目を大きく見開いたあと、返事を躊躇った。
(俺といることで、またメイが傷付くかもしれない。今だって、こんなに頬が腫れて……。確かに純潔は守れたかもしれない。けれど──)
「やっぱり、今更でしたか? 他の男に触られた私なんか……」
「そんなことはない! 俺はメイを愛している!!」
リアムスが俯いていた顔を上げれば、悪戯が成功したと言わんばかりの表情をしたメイリーンと目があった。
(あぁ……、俺の返事が分かってて言ったのか)
頬は痛そうなのに、楽しそうに笑うメイリーンにリアムスも釣られて笑みを溢した。
「俺は一生メイには勝てないんだろうな」
「そんなことないですよ。私はずっとリアムスに負けっぱなしですから」
さらりと名前を呼び捨てにした彼女に、リアムスは感極まって口付けた。
その口付けは、気まずくなったビアンカが咳払いをするまで続いた。
あれからすぐにメイリーンとリアムスは婚約をした。結婚は式の準備が終わり次第する予定だ。
メイリーンを嵌めた令嬢たちは修道院に、男たちは強制労働へと送られた。ミリアは同情の余地があるとされ週に一回の奉仕活動を行うこととなった。
「フォイラ嬢の処罰はあんなに軽くて良かったのか?」
「エレザベート様たちに、領地の支援を打ち切ると脅されてたのだもの。ミリアさんだって被害者よ」
リアムスは納得していないが、メイリーンがそう言うなら……と、それ以上は何も言わなかった。
そして今日、メイリーンはローズリンゼットと会うことになっている。
(ずっと避けていたけど、助けてもらったんだもの。お礼をしないと……)
卒業と同時にレイモンドとローズリンゼットは結婚をしたため、王城へと招かれたメイリーンはひどく緊張をしていた。
ローズリンゼットが待つ部屋へと入ると、その顔にはいつものおかめがいる。
「ようこそ、メイリーンさん。おかけになって」
優雅なおかめに促され、メイリーンはふかふかのソファへと腰をかけた。
「助けてくださり、ありがとうございました」
深々と頭を下げるメイリーンに、ローズリンゼットはおかめの下で笑みを浮かべた。
そのあとは、驚くほど穏やかな時間をメイリーンは過ごした。
「あの、どうしておかめを着けているんですか?」
ずっと疑問だったことをメイリーンは口にした。今だって額から鼻まではおかめの半仮面をしながら、ローズリンゼットはお茶を飲んでいる。
「それは、おかめこそが美だからよ」
「はぁ……」
(一体、ローズリンゼット様のなかの美しさってどうなってるの?)
メイリーンは心のなかで首を傾げながら、続きを促した。
すると、ローズリンゼットの中の美とは前世でいう平安美人であることが分かった。
「あの、ローズリンゼット様は乙女ゲームって知っていますか?」
「いいえ、知らないわ」
テレビやラジオ、自動車などあらゆるものを聞いたが、ローズリンゼットは知らないという。
(まさか、転生者じゃない? だけど、おかめはこの世界にないものだし……)
「源氏物語って……」
「紫の上のお話ね! 最後まで読む前に世を去ってしまったから、続きが気になってたの。もしかして、ご存知かし……ら……?」
ローズリンゼットは小さく首を傾げ、メイリーンに源氏物語をなぜ知っているのか尋ねた。
その質問に何て答えようか迷った末、メイリーンはこう答えた。
「私はローズリンゼット様よりも未来から、この世界に来たんです」
(私、ずっと勘違いしてた。ローズリンゼット様のことを避けて、どんな人か見ようともしていなかった。リアムスのことだって。
誰よりも相手を見ていなかったのは私だ……)
メイリーンはまた遊びに来ることを約束すると、リアムスがいる騎士団へと足を向けた。
誰に声をかけるわけでもなく、メイリーンはリアムスが終わるのを外で待つ。
彼女は学園でリアムスに出会った頃からのことを思い出していた。
「メイ!?」
その日の業務を終えたリアムスが驚きの声をあげたのを見て、メイリーンはリアムスの胸へと飛び込んだ。
「リアムス、あなたに出会えてよかった。愛しているわ」
「俺もメイを愛している。世界中の誰よりも」
メイリーンとリアムスは、どちらからともなく手を繋ぐと、夕焼けのなかを歩きはじめた。
その日にあったことや、これからのこと。話題が尽きることはない。
二人の行く先には、共に生きていく未来が待っていた。
──end──
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