第8話 拳闘
エイミーが来てから、シーンの人生は明るくなったものの、貴族学校には決められた日にいかなくてはいけない。いじめられるのでそれが嫌で仕方なかったが、シーンにはそれをアルベルトやジュノンに伝える術がなかったのだ。
シーンのために馬車が用意されるが、彼の足取りは重い。
「シーンさま。私は本を読んでますから、学校を楽しんで来て下さいな。グラムーン司令のお屋敷にはたくさん本があって楽しいわ」
「うお……」
「そりゃぁ、私もシーンさまと一緒に遊びたいですけど勉強も大事ですもの」
「うぉ、うぉ、うぉ……」
「ああ、大丈夫ですよ。シーンさまには女王からもらった蜜薬がありましたもの。普通の人にはない力があります。だから安心して」
それを聞くとシーンはエイミーに微笑んだ。海藻を被せたような長い金髪の奥の目は凛々しく、太い眉毛は男神のように整っている。彼はエイミーにVサインを送ると馬車は進み出した。
貴族学校は並み居る高貴な身分のお方が一堂に会す場所。だからこそ設備は整っているし、清潔を保たれている。
しかしここに通う者たちは、生まれ持っての主君であり、ほとんどが領地持ちの爵位を持つ父がいる。
望めば与えられる者たち。精神も太り、鋭く考える能力は退化していた。
シーンはそんな中に一人混ぜられてしまう。
入学したての頃は、たくさんの友達と遊ぶことを考えていたが、今までの年月、楽しい遊びをしてくれるものなどいなかった。
いじめるだけだ。マヌケでウスノロなシーンが泣きわめくのが優越感を招く。
そんなシーンが今日も席に着く。サンドラはそれを横目で見ながら指を鳴らした。途端、教室中の男達が立ち上がり、机を端の方へ片して大きな広間にしてしまった。
シーンだけ教室の真ん中にポツンと座っている。それにサンドラは声を張り上げた。
「さぁ。ボクシングをしましょ。チャンピオンは教室の真ん中に自信を持って座ってるわ。防衛するつもりね。挑戦者は誰?」
これはサンドラの計略であった。最近生意気なシーンをスポーツの名目で殴る。先生が来ても言い訳が立つというわけだ。
貴族の子弟たちはそれぞれ堅いグローブをはめた。堅いので殴られたら痛い。シーンは満足にグローブをはめれないだろうと、嫌がる彼に大きく風船のように膨らんだグローブをはめた。こんな物で殴られても痛くはない。
「さあ準備は整ったは。まずはハリド侯爵家のエリック~」
「おーう」
エリックは自信があるのが鋭い拳を振るいながらタンクトップ姿で現れた。
「うお、うお、うお」
シーンは叫んでこの狂気の教室から出ようとしたが、他の生徒たちに中央に戻されてしまう。そこにサンドラの声だった。
「まあ。シーンたら自信がありそうだわ。さすがチャンピオンね」
誰かが試合の合図に用意されたゴングを鳴らす。エリックは突進して、ウスノロなシーンの腹を数度殴った。それに教室中が歓声を上げる。
「──痛えーッ!」
エリックは腕を押さえて身を引き、その叫び声に教室中がどよめく。
「な、なんだコイツ。腹に鉄板入れていやがんのかよ。拳が潰れちまう」
むろんシーンはそんなことはしていない。しかし女王から貰った蜜薬はシーンの本来の力を引き出していた。盛り上がる丸太のような腕、厚い胸板、割れた腹筋。それらはダボダボの貴族の服に隠されて誰も気付かなかったのだ。
エリックは腹が駄目なら足と、ボクシングの試合に関わらず、ローキックを打ち込んだが、鉄杭に蹴りを叩き込むのと同じこと。今度は足を痛めた。
「ぐあ!」
またも足を押さえて飛び上がるエリックにサンドラは冷たい眼差し。惚れているサンドラにそんな目で見られたエリックは固まってしまった。
その時、シーンは鋭いブローをエリックの脇腹に叩き込んだ。
足の角度。身の落とし方。腕の位置。どれを取っても完璧な姿に誰しもポカンとそれを見ていた。
その刹那、エリックの体は宙を舞い、四人ほど固まったグループの方へと落ちてゆく。グループの連中はそれを受け止めようとするものの、落下してくるエリックの体重に堪えきれず、全員が無様に床に倒れてしまった。
どう見てもエリックは気絶したままで完全なるダウン。カウントをとる必要もなかった。
「ふ、ふん。たまたま10兆分の一のラッキーパンチが当たっただけよ。シーンにそんな力があるわけないもの。エリックは不運だっただけ。他に誰かいない?」
サンドラの言葉に先ほどまでシーンを舐めきっていた男子たちは顔を見合わせ、名指しされないように気配を消した。
「ほら。チャンピオンは肩で息してるわよ。スタミナ切れだわ。エリックの仇を討とうとするものはいないの?」
それでも誰も手を上げようとしない。グローブをしていたものは後ろに隠れようとした。
「はぁ~。情けないわね。私の取り巻きに加えてやるって言ってるのよ。ホラ、あなたたちも」
サンドラは自分を囲む女子達に指で合図すると、男子を煽るような声援を送り出す。そして「サンドラの取り巻き」と言う言葉は効果があったようで、腕に自信がありそうなものが三人、前に出て来た。
「ほ、本当に、サンドラさまのグループに入れて貰えるんでしょうね?」
「当たり前よ。無粋なこと聞かないで」
「あのぅ。私は拳闘を習ってまして、拳は凶器なのであえて先ほどは出なかっただけです」
「あ、そう。頼もしいわピエール」
「私はエリックさまを支えた折に片手を傷めまして。しかしシーンさんくらいなら、片手で充分です。が、出来れば最後の方の挑戦者にしてください」
「はいはい。それでいいわよ」
それぞれ男爵家の令息たちだ。この教室の中では下層階級なのだが、サンドラの取り巻きに入れると言うことはかなりステイタスが上がると喜び勇んで出て来たのだ。
三人はグローブをはめて遠巻きに構える。出来れば様子を見たいのだ。しかしサンドラからすればさっさと試合を進めたい。いつものようにシーンが無様に床に這いつくばるところを見たいのだ。
「ほらぁ。指示待ち人間たち! さっさと試合をしなさいよ! 三人がかりでやっちゃいなさい!」
それはまるっきりフェアではない。しかし、それは三人にとっては女神からの声援。一気に勇気が湧いてシーンに飛びかかっていった。
だが、シーンからキュッキュッ、キュッキュッと床と靴がこすれる音が聞こえたかと思うと、三人は一人、また一人と倒れて床に這いつくばってしまった。
教室中が水を打ったように静かになる。シーンは教室の真ん中に立ち尽くしたまま。
そこに担当の教師が入って来た。
「ん? これは何の騒ぎだ? 級長のサンドラ嬢。状況を説明してくれたまえ」
それにサンドラは慌てて答えた。
「おはようございます。先生。男子たちが勝手にボクシングを始めまして。私たちは野蛮だと止めたのですが……」
教師がそちらに目をやるとたしかにグローブをはめた者たち。そして中央にはシーンが立っている。
「なるほど。堅いグローブをはめてる奴らで試合をして、シーンはそれを見てテンションが上がっておもちゃのグローブをはめたと、こんな経緯かな? いずれにせよシーンは病気だ。余り危険で興奮させるようなことはせんでくれよ。それじゃ授業を始めよう。机を元の位置に。シーンの机は誰か手伝ってやってくれたまえ」
なかなか筋の通った先生で、生徒達はそれに従った。シーンはいつものように唸りながら席に着く。いつものシーンだ。サンドラは席について悔しそうに親指の爪を噛んだ。
「シーンのやつ、いつの間にかボクシングを習っていたのだわ。無様に倒れていればいいのに。憶えてらっしゃい!」
そう小声で恨み言を呟いた。




