第58話 君のもとへ
シーンは立ち上がり、エイミーの元に行きたいと泣いた。それは死にたいという意味だろうか?
悲しみに暮れるシーンを見ていれなかったが、サンドラはギルガを抱いて日々を過ごしつつ、シーンへ励ましの言葉を送った。
ある日一人の男が訪ねてきて、シーンに会いたいというので、サンドラはその男を連れて来て、二人の話に同席した。
シーンは力なく、その男のほうを見る。
「チャーリー……」
「公爵閣下、お久しぶりです」
「君はどうしてここに?」
「閣下が、エイミー奥さまを亡くしてお嘆きになっていると聞いたので、こうしてやってきたのです」
「君が私を助けてくれるのかい?」
「ええ。エイミー奥さまの魂はきっと死んではおりません。霊峰メルボルンで竜となって生きております」
「そ、それは本当かい?」
「本当でございます」
シーンは立ち上がり旅装を始めたのでサンドラはギルガを抱きながらシーンへとすがり付いた。
「シーン! エイミーを探しに行くの?」
「ああ一目彼女に会いたいんだ」
「そんな! 私とギルガはどうするの!?」
シーンはサンドラとギルガを一瞥したが顔を伏せた。
「ゴメン……」
シーンは防寒のための皮の服を来て、皮のマントを羽織るとチャーリーを伴って出ていってしまった。
サンドラはそこに泣き伏した。
◇
それから数ヶ月。シーンはエイミーに会いたい一心でチャーリーとともに、メルボルンの山を登っていた。
険しい山を二人で協力して登ったのだ。岩壁にロープを渡し、岩間の小さいスペースに食事を取る。厳しい生活に苦労をした。
だがしかし、やがて中腹に大きな宮殿を見つけた。岩を削って作られたような大きな宮殿で、女官が貴人を迎えるように門の掃き掃除をしていた。
そしてシーンとチャーリーを見るとペコリと頭を下げたのだ。
「お待ちしておりました。我が主人が中でお待ちです」
という言葉に二人は面食らって顔を見合わせた。
宮殿の中には百人ほどの女官が役目をこなしているようで、男性の姿は一つもない。
やがて玉座の間が開かれるとそこには懐かしいエイミーの顔があった。
シーンはそれに叫ぶ。
「エイミー!」
エイミーも嬉しそうに立ち上がって駆け寄り、二人は玉座の間の中央で抱き合った。
「エイミー! 会いたかった」
「シーンさま。お気付きと思いますが、私はエイミーではございません」
「え、ああ。ハジャナだったかな?」
「ええその通り。ここは普通の人間には見えるはずもない異界。シーンさまは特別ですからお迎え致しました」
二人はそのまま涙を流して抱き合った。
「迎えに来たんだ。一緒に帰ろう。私は君が忘れられない。また私の屋敷で共に暮らしてくれるね?」
「いいえ。私はこの宮殿からでることが出来ません。どうかわがままをおっしゃらないで」
「し、しかし、キミは私の家族だ。私たちの家は都にあるのだぞ? 息子も待ってる」
ハジャナは笑って答えた。
「家族が恋しいなら都にお帰りになればよろしいではありませんか」
「だがこんな場所に君を置いてはいけないよ。私はキミと共にいたいんだ」
「ここは私と夫が共に作り暮らした宮殿ですよ。昔、私とディエイゴは草に寝転び、山野を駆け、泥まみれになって遊びながら地上にたくさんの動物を産み落としました。やがて大地が満ちたとき、ここに居を構え永遠に暮らそうとしたのです。ここを捨てるわけには参りません」
「でも私は君をもう離したくはない」
「ではここで一緒に住んではどうでしょう?」
ハジャナの提案にシーンは戸惑った。しかしハジャナは続ける。
「私の夫の魂と一時は結び付いたシーンさまも、私たちと融合する権利がありますわ。私たちの身体は一つとなり、永遠を生きるのです。いかがです?」
シーンはハジャナの提案に答えられずにいた。エイミーのことは愛しているし、病気を治してくれた恩も情もある。
エイミーとの毎日は青春だった。つらい学校生活の心の拠り所。エイミーがいたからこそ乗りきれた。思い出もたくさんある。
しかし思い出されるサンドラの顔、顔、顔──。
笑っている顔、泣いている顔、困っている顔、怒っている顔、意地悪な顔──。
エイミーもサンドラも捨てることは出来ない。
自分はなぜここにいるのだろう。愛しているサンドラを置いて、選択を迫られている。
優しいエイミーならきっと一緒についてきてくれたはずだったのに……。
ハジャナはシーンに近付いてその手を取った。
「さあ玉座にお座りなさい。あなたが私の主人となるのです。そうすれば私たちは永遠に一緒になれます。永遠ですよ」
「うん、それは……」
ハジャナが指を鳴らす。シーンの背後に人影を感じた。
「ここは……? シーン!?」
その声に振り向くとサンドラだった。サンドラも戸惑っている様子である。
ハジャナは一人玉座へと進み、シーンへと笑いいざなう。
「さあシーンさま。どちらかお選びください。サンドラの元に行けば私とはもうお仕舞い。永遠に会えません。サンドラは所詮は人間。十年経てば容色も失い、三十年経てば病気が多くなり、五十年経てばあなたを忘れ死を待つ床に伏すただの人間。よい時など僅かな時間ですよ。しかし私はそうではありません。千年を共に生き、四季を眺め、野原に遊び、愛を分かち合うことが出来ます。運命や一時の下らない思いを選ぶなど愚かです。さあこちらに来て玉座へ」
サンドラはシーンに駆け寄ろうとしたが足が動かない。その場で叫ぶしかない。
「シーン!」
泣きながら叫ぶサンドラと、笑い誘うハジャナ。シーンは中に挟まれて交互に見るも立っている場所は玉座のほうが近い。
「シーンさま。私と別れて気づいたでしょう。あなたは芯から私を求めています。長い間愛し合った日々を思い出してください。サンドラには正妻にしたことで運命の義理は果たしました。さあ私と一つになりましょう!」
サンドラはそれに対してシーンへと叫ぶ。
「シーン! そちらにいってはダメよ! 確かに人間である私との時間は短いかもしれない。でもあなたも人間なの! あなたの住む場所はこっちなのよ!」
エイミーは指を立てて言う。
「うるさいわね、サンドラ。私の大事な人を奪っておいて。最初は許してあげようと思ったけど、もう結構だわ」
そう言ってその指を振るうと、サンドラの足元にぽっかりと穴が空き、サンドラはその穴に落ちそうになったが、なんとか穴の入り口にすがり付いて踏ん張った。
ハジャナはそれを見て笑う。
「さあシーンさま。もう憂いはありません。どうぞこちらへ」
そうエイミーの顔で笑い、手招きしたのだ。
しかしシーンはサンドラの元に走り、サンドラの脇に手を回し、穴の縁で踏ん張ってその身体を引き上げた。
二人はその場に倒れ込んでしばらくそのまま。息継ぎは喘いで呼吸が整わなかったが、ようやくシーンはサンドラに語りかけた。
「サンドラ……、大丈夫かい?」
「ああ……シーン」
「ごめんよ。エイミーへの思いを捨てきれなかったんだ。でもやっぱり君のことを愛している……」
「ありがとう、シーン……。私を選んでくれて」
二人でしっかりと抱き合って辺りを見回すと、そこに穴などはなく、宮殿もなく、ただの岩山だ。
さらにハジャナがいた玉座は崖になっており、そのまま進むとシーンは崖から落ちていたのだった。
二人の頭上から暖かい光が降り注ぎ声が聞こえる。それはエイミーの声だった。
「シーンさま。試すような真似をしてごめんなさい。あなたの本当の運命の人は抱き締めているその人なのです。もうサンドラを離してはなりません。私は運命の輪の外にいる生命体。私と愛し合った日を忘れられないのは私があなたを夫として情を移したからに過ぎません。しかし実際の夫は私の手元の壺に魂がございます。あなたは私から解放されたのです。心に正直にサンドラを愛してください。そして子供のギルガを愛してあげてください」
「エイミー! 君はどこに行くんだい?」
「ふふ。私は元からエイミーではなかったのです。ただ夫の魂を追いかけて行っただけ。神は私たちを許してくださいました。もうじき夫の肉体は復活し、私たちは一つに融合します。私はここにいて夫と共にあなたたちを見守りましょう。さあ戻るべき場所に戻るのです──」
気がつくと、シーンとサンドラ、そしてチャーリーは都の入り口に立っていた。何もかもが夢なのか現実なのかも分からない不思議な出来事だった。
「一つになる永久なる愛か……」
シーンはポツリと呟いた。それにサンドラは答える。
「きっと二人にはそれが最高の選択なんだわ。でも私は、お互いに笑い、泣いて苦労を共にする人生のほうがいい。幸せのかたちはそれぞれだもの」
シーンは大きく頷いた。
「その通りだな」
二人ははるか遠くを見つめた。その日は快晴で、普段見ることのできない霊峰メルボルンがうっすらと見ることができたのだった。
◇
それからシーンとサンドラは、前の生活に戻り結婚生活を楽しんだ。ギルガの下に二人の弟と二人の妹ができた。
シーンはさらに戦功をたて、国王となったギリアムより英雄称号の最上である英雄を賜り、軍事のトップ元帥となった。
シーンとサンドラの毎日はとても楽しいもので、二人の髪に白髪が混じっても、仲睦まじいものであった。
やがてギルガは教会に修道士として入ることとなり、神竜の血を引く子として崇められ、教皇となり霊峰メルボルンを祀り多くの人々に影響を与えた。
その両親であるシーンとサンドラも聖人とされたのだ。
また二人の子供は公爵位と伯爵位を引き継ぎ、子々孫々まで栄えたのであった。




