第51話 天使
その夜。エイミーはハッと目を覚ました。胸騒ぎを抑えて、グラムーン領の屋敷の端にある、使われていない物見の塔へと掛け上る。
一番上にある小部屋。そこには祭壇が用意され中央には香炉がある。エイミーは自分の手の中に灰を出現させ、香炉の中に入れると、それが舞い上がる。
舞い上がった瞬間、激昂して祭壇を叩き潰した。
「見るまでもない! 夫が私以外の女を抱くなんて! 天地が出来て以来初めてよ!」
叫んだ後で、大量の灰を両手に出現させ、転がった香炉を立てて、その灰を入れる。
すると、爆発音と共に香炉から灰が吹き出す。そこにエイミーは手を突っ込んだ。
そして、灰から手を引き出すと、そこには頭を捕まれた女性が苦悶の表情を浮かべていた。
「痛い、痛い! おやめになって! ハジャナお姉さま!」
「なにがお姉さまか! イアンナ! あんたとは二十万年も歳が離れてて今さら姉も妹もない! なにが運命の天使か! お前を丸めて豚のエサにしなくては気が収まらん!」
「私は、私の仕事をするだけです。お姉さまがお兄さまと地上を作ったように……」
「そのお兄さまは、めでたく私を忘れて他の女とねんごろよ! 弟妹にこんなことされて、落ち着いてなどいられるか!」
「あ、あれはディエイゴお兄さまではないのです! 人間のシーンです! 運命の相手と結ばれたのです!」
「ごまかしはお止め! その首引きちぎってやる!」
どうやらエイミーは他の場所にいるイアンナという女性を空間を移動させ、灰の中から引っ張り出そうとしているようだった。
しかし、バチンという音とともに灰は飛び散り、エイミーは壁に飛ばされ、手を離されたイアンナは灰の中に消えていった。
エイミーはすぐさま立ち上がり、石造りの壁に手を広げると、壁は音を立てて砕け、屋根は半壊し、塔はぐらついて少しだけ傾いた。
砕けた壁の穴から月が顔を出す。そこには以前にもいた白い鳩が羽を羽ばたかせ、やがて砕けた壁の上に止まった。
「またアンタかい、イルケイス。妹思いのよい兄ねぇ。姉のことには全然気を配らないみたいだけど」
「止めよハジャナ。イアンナには何の咎があろうか?」
「いちいちうるさいわねアンタ。今回のことで天使長に出世したんですって? 七番目の子にしては大出世だわ」
「仕事に出世など関係ない。今回の騒動で上の兄たちは投獄されてしまったからな。近いうちに地の獄に繋がれるだろう」
「そうらご覧なさい。アンタたちが余計なことをするから運命の輪にも入っていない、私たち夫婦もめちゃくちゃよ!」
「だからと言って運命を乱すな。シーンもサンドラも後に聖人に数えられ、その子は教皇となって神の教えを広めるのだ」
「その子?」
エイミーは自身の腹を撫でてニヤリと笑う。鳩は答えた。
「……そうだ。だがサンドラが育てれば問題ない」
「ほうら。そうやって無理やり運命を修正する。今回私が入らなければ、ここまで綺麗に修正されなかったのよ?」
「それは感謝している」
「だったらこのまま私がサンドラ役に徹するわ」
「それはいかん。今ならまだ神は被害者のお前にまで罪を問おうとはしないだろう。しかし力でシーンのサンドラへの恋心を無理に押さえ込み、子供を宿したことは永遠の命を失い、悪魔の一人に数えられてもおかしくない」
「あっそ。なら時の天使のアラバリウでも連れてきて時間を戻しなさいよ」
「アラバリウにそんな力はない」
「そう。アンタたちは結局出来ない、出来ないだわ。今回私が介入しなかったら……、夫の魂が痴呆のままだったら、サンドラとどうなったか言ってみましょうか?」
「う……!」
「痴呆のシーンは動くことも働くこともままならず屋敷に籠ったまま。サンドラはギリアムと婚約するも、浮気が見つかって怒った国王と宰相に罰として障害のあるシーンの元に嫁がされる。そして浮気して出来た子が教皇となる。これがアンタたちの考えた修正された運命よ」
「…………」
「本来の運命は、天使メタウルスより神の剣と槍を授けられたシーンが、トロルやベルゴールを倒し、サンドラと結婚して教皇となる子を産む……だったわね。そのメタウルスも投獄されたのなら世話ないわね」
「うむ……」
「ともかく、夫と私の仲を邪魔するなら誰であろうと容赦はしないわ」
「もうよせ!」
鳩は怒気を含めてエイミーに声を荒げるが、エイミーは怪しく笑いながら鳩に向かって手を伸ばす。すると鳩は必死で強く羽ばたくものの、エイミーの手に吸着するように握られてしまった。
「おしゃべりなイルケイス。もう説教は結構だわ」
「わ、私は神の使いにて、あなたの弟! それを殺すというのか?」
「そうよ。簡単にね」
エイミーが力を込めて手を握ると、鳩の羽が空中に舞う。
エイミーは笑いながら手を開くと、光が手の中から飛び出して、苦しそうに首を押さえる天使が宙にいた。
「は、ハジャナ。これ以上罪を重ねるな。ゲホゲホ!」
天使イルケイスは、天を目指して飛び去ろうとするが身体が動かない。恐る恐るエイミーのほうを見ると、エイミーはイルケイスを指差していた。
「まったく、実力の差が分かってないようね。天使長さん」
エイミーが指をクルリと回すと、イルケイスの姿は小さなネズミの姿に変わる。彼は空中でもがくが、すでに翼はなくなっていたので、空しく地面に落ちた。
そこには月に照らされた白猫がおり、ネズミとなったイルケイスを見ると舌なめずりをした。
「止めろ!」
と言いたいがチューとしか言えない。イルケイスはそのまま猫に飛びかかられ、食べられてしまった。
エイミーはそのさまを見て冷たく微笑んだが、びくんと身体を振るわせた。
「こ、この声は……」
エイミーは小さく呟く。そしてしばらくそのまま。その間に壊れた塔の壁や屋根は修復され、傾きすら治っていた。
「そうですか……。分かりました。でももう少し。あと僅かだけ時間をください……」
エイミーはそう一人ごとを呟くと肩をおとして小部屋を出る。そのことを屋敷の誰も眠っていて気付いてはいなかった。




