第5話 都見物
シーンは占い師の老婆が言ったことなどどこ吹く風。気にもとめずに屋敷に帰るといつものようにエイミーと仲良く遊んだ。
アルベルトとジュノンは、二人の遊ぶ姿を見て、ふとエイミーは都見物に来たものの街に出たいとは言わないと思いだした。よく考えると、家来の反乱にあって着の身着のままここに来た彼女に、金銭的な余裕があると思えず、それで遠慮しているのであろうと気付いた。
エイミーにそれを話すと、伯爵家の庭園でシーンと遊ぶのがことのほか面白いので忘れていた。という遠慮深い言葉に二人はますます感心した。
「行っておいで。小間使いを二人つけるから、街でお買い物をしてくるといい。なあに。お金の心配はいらないよ。好きなものをたくさん買ってきなさい。ドレスやアクセサリー。小間使いにお金を渡しておくから」
そう言ってもエイミーはなかなか首を縦に振らない。
「あのう。グラムーン司令。一緒にシーン様もお連れしてよろしいですか? だったら私も街に出るのがとても楽しいと思うのです」
「なにシーンを? いやあ、そうしてくれるのはこちらも願ったり叶ったりだよ。いつも屋敷ばかりにいるからね。連れて行ってやっておくれ。ただ、キミは満足に買い物も出来ないと思うが」
アルベルトはシーンが家にいる分には親や使用人の加護がかるものの、街ともなるとそうもいかない。だがエイミーの頼みなので聞き入れることにした。
シーンほうは人がたくさんいる場所は好きなのだが、そこには学校の連中までいると思うと嫌だった。しかし、エイミーも一緒ということで、両親や使用人たちへ楽しそうに大きく手を振って出掛けていった。
馬車で巡るのは、観光の名所やドレスやアクセサリーの店。最初に服屋に立ち寄ると、女性用の新しいモデルのドレスが飾られている。シーンはマヌケ顔をショーウィンドウに押し付けてそれを見ていた。
「う、う、う、う」
「やだぁ。シーンさまったら。そんな都の最新モデルのドレスなんて私には似合いませんよぅ」
「あ、あ、あえ。えええ、えいいーい」
「私に? いいですわよぅ。あっちのシンプルなほうが動きやすいですわ」
エイミーがショーウィンドウから外れた店内の隅にあるシンプルな淡い色のドレスを指差すと、シーンもそれを見てニコリと笑い、店内にエイミーを伴って入っていった。
店主は、シーンの体格の良さと、立派な貴族の衣裳を見て、これは買って貰えるともみ手をしながら笑顔で近づいてきた。
シーンはエイミーが気に入ったドレスを指差して店主に命じる。
「あ、あ、あえを、えいいーい」
「え?」
店主が目を見開いてよく見ると、髪はざんばら。顔は自分の鼻かヨダレの汁で濡れている。立派な貴族の衣裳は扱いが悪いのか、状態がヒドい。これは噂に聞く、グラムーン伯爵家のうすのろシーンであろうと気付いた。
しかし、うすのろでもドレスを注文してくれるなら上客だ。
店主は、聞きづらいシーンの言葉を頭の中で予測変換して、近くにいるご令嬢がシンプルなドレスをご所望だと気付いた。
「これはお目が高い。こちらシンプルな中にも装飾が施されておりまして、人気の高いものでございます」
店主はエイミーを採寸しようとしたが、エイミーはそれを断った。
「本日着て帰りたいので、この飾られたものを直接買い求めたいけどどうかしら?」
「いえお嬢さま。こちらはほんの見本です。お嬢さまには正確にはお合いしません」
「大丈夫よ。ホラ」
エイミーが、飾られているドレスをポンポンと叩くと心なしか少しばかりサイズが小さくなり、胸の部分が大きくなったように感じた。
シーンは小間使いを呼んで、店主に金を支払わせ、そのままエイミーに着替えさせ、店を出た。
見本がエイミーの体に合ってしまった不思議に、店主はあんぐりと口を開けたままだった。
ドレスに着替えたエイミーのその姿の美しいこと。シーンは嬉しくなって、店の前で両手を上げて喜んだ。
「まあ、シーンさまったら。私、恥ずかしいわ」
エイミーのその姿にシーンも照れて顔を赤くした。小間使いたちは、なんとも微笑ましいご主人だと思った。
「どうです。せっかく街に出たのですから、お二人で音楽でもお聴きになったら。劇場のスピカホールで演奏会があるようですよ」
と小間使いの一人が提案すると、二人は目を輝かせた。
シーンは音楽が好きだ。不器用に手を叩いて喜んだので、それを見たエイミーは微笑んだ。
「ええ。面白そうだわ。北の都とはきっと音色が違うでしょうね。楽しみだわ。行きましょう、シーンさま」
「おう、おう、おう」
エイミーはシーンの腕に自分の腕を当然のように絡ませ寄りかかるように街の中を歩き出す。
しかし、それを見た街の者たちは誰もエイミーを羨ましいとも微笑ましいとも思わなかった。髪を振り乱し、顔は汚れている貴族らしからぬシーンに誰しもが顔をしかめる。
そんなことはお構いなしに、子どものようにはしゃぎあいながら二人は音楽ホールへと入っていった。会場はほぼ満席だったが、ここの支配人はアルベルトに恩があるもので、こんなシーンでも丁重に迎えて、とても良い席に二人を案内して座らせた。
シーンは打楽器が好きなようで、大きな弾む音に体を揺さぶっている。エイミーも楽しそうに聞いていた。だが、二人の席の近くに個室を作るようについたてに囲まれ、警護の者が数人立っている席があった。そこから若い声が聞こえる。
「まぁ。ご覧なさい。うすのろのシーンが生意気にも音楽を聴いているわよ」
その声を聞くとシーンは楽しそうに揺さぶっていた体を止めてしまった。そして表情が暗くなってゆく。ついたてから顔を覗かせたのは学校の同級生で、公爵令嬢のサンドラと、その腰巾着の令嬢と令息たち。
集まって一緒に音楽でも聞こうと示し合わせていたのであろう。シーンは運が悪かったとしか言いようがない。せっかく楽しいエイミーとの時間がつまらないものになってしまった。
シーンはエイミーの手を引いて立ち上がった。
「いおう……」
行こうと言いたいのだが、母音でしか発音が出来ない。しかしエイミーはそれを悟って気丈に立ち上がった。
彼らの後ろから心ない声が聞こえてくる。
「まあ! 雑音が聞こえて美しい音楽が聞こえないわ」
サンドラが意地悪く声を張り上げる。それこそが雑音だ。サンドラは去っていくシーンを見ながら腰巾着の貴族の子弟たちに命じた。
「シーンなんかが、もう音楽を聴きに来たくないと思うほど悪い思い出を作っておあげ。なぁに。なにも話せないんだもの誰が何をしたかなんて分からないわよ」
貴族の子弟たちが四、五人立ち上がり、シーンの後を追った。
シーンはすぐさま追い付かれた。みんな一様に意地悪そうな顔をしている。子弟たちはシーンが連れているエイミーに興味を持った。よく見てみれば絶世の美女である。
「ヒュー! シーンにはもったいねぇや」
「こっちへ来いよ」
子弟たちはエイミーの手を強引に引く。
「なにをなさるの!?」
「わー。声も可愛い」
「オレたちより少し年下かな?」
「楽しい遊びを教えてやるよ。シーンと一緒なんて物足りねぇだろう?」
そういって、いつもシーンをいじめるように、シーンからエイミーを奪おうとするが、シーンはその手を払いのけ、エイミーの前に立って妨害した。
「シーンさま!」
「痛え! こいつ、バカ力出しやがって!」
「うお! うお! うお!」
シーンが諸手を挙げると、実はかなりの長身だ。大きなクマに襲われたように、貴族の子弟たちはビビってしまった。
「な、なんだ、コイツ」
「気持ち悪い!」
そう悪態をついて精神的優位に立とうとするものの、シーンに怖じ気づき、身を引いたまま。
シーンの前髪の奥には吊り上がった凛々しい眉がある。そして炎が宿ったような目で睨まれると、貴族の子弟たちは身動き出来なかった。
シーンはそれ以上危害を加えようとはせずに、エイミーの手を取って出口へと向かう。エイミーはその横顔を見ていた。
「やっぱりシーンさまはあの時と同じ。同じなんだわ」
そう意味深にいってエイミーは大きく微笑んだ。
貴族の子弟たちは急いでサンドラの元に報告に行った。ようは、生意気にもシーンは自分たちに刃向かったと言い付けに行ったのだ。
そして強そうな護衛でも派遣して貰えればシーンはやられて自分たちの溜飲も下がると思ったのだ。しかしサンドラはシーン如きに逃げ帰ってきた腰巾着の貴族の子弟たちを、叱責した。
「シーンなんかにやられるなんて! もう私に近づかないで頂戴。それにしてもシーンめ。痛い目に合わせないといけないわね」
サンドラはその日は追撃をしようとはしなかった。シーンなど追う必要もない。うすのろでマヌケなシーンは自分の手のひらの内なのだからと思ってのことだった。




