第19話 押し掛け令嬢
サンドラは屋敷を飛び出し、共のものを率いて六頭立ての馬車を運転させて伯爵家の門の前に停まった。
そして表情は烈火の如く怒っている。断りの返書を送られ、プライドの赴くまま、お供に護衛を三人連れて伯爵家の門衛に直談判だった。
「私はムガル宰相の娘サンドラよ。シーンに用事があって来たの。ここを通しなさい」
「あ、あ、いや、サンドラ様。来訪があるとは聞いておりません。お通し出来ない決まりとなっています」
「今聞いたでしょ」
「いいえダメです。日を改めてアポイントメントを取って下さい」
「まぁ。ではグラムーン伯爵は大公爵家に逆らう不忠ものだとお上に届けられてもいいのね。その責務をあなたは負えるの?」
「い、いいえ」
「なら通しなさい。大丈夫よ。責任は全て私が持ちます」
持ちますと言われても、厄介はこのご令嬢なのだと門衛は思ったが、サンドラはずかずかと入って行ってしまった。伯爵家の使用人たちはこれを阻止しようと廊下で彼女を足止めするのだが、サンドラは権威を盾に使用人たちをやりこめてしまう。そして向かった先は屋敷の一番東にあるシーンの部屋であった。
その時、シーンはエイミーに膝枕で耳掃除されて長椅子でまどろんでいた。
「まあ~。シーン様ァ。大きいのがとれましたよ」
「ほんと? じゃ厨房のルーロに言ってフライにして貰おう」
「じゃあそれはシーン様のメインディッシュですね。ソースは? オレンジソース?」
「今日はデミグラスソースの気分だな」
そんな冗談を言い合う二人の元に、サンドラは眉を吊り上げ現れた。真紅のドレスに海色の扇子を握り、怒りに燃えている。
「まったく、汚い話ね!」
「サ、サンドラ!?」
シーンは驚いて膝枕から飛び起きる。そして神聖なる二人の部屋に入って来た我がまま娘へ立ち上がって詰め寄った。
「一体何のつもりだよ。ここは私たちの部屋。私の屋敷だ。キミが勝手に入って来ていい場所ではないぞ!?」
「わ、私たちですって? ま、まぁいいわ。そんな妾のことは放っておいて大事な話をしましょう」
「妾? エイミーは私の妻だ」
「なんですって!?」
「さあ、出ていって貰おう!」
「なっ。出ていけですって? 誰に向かって!」
「悪いか? ここはキミの場所ではない! 私がドアを開けよう」
シーンが長身で迫ると、サンドラは顔を真っ赤にして言葉をしばらく失ったがひるまなかった。
「ま、まぁいいわ。奥を取り締まるのは正妻の勤めよ。その女にもちゃんとグラムーン家の秩序を教えないとね」
「はぁ? キミは何を言ってるんだ」
「はーあ。まったくなにも分かってないんだから。大公爵のご令嬢サンドラ様が正妻の座についてやると言っているのよ。シーン。あなたは私についてこればいいの。お父様に言って副宰相の職責を頂くわ。将来はあなたが宰相よ」
「なんだそりゃ。なんでサンドラが私の正妻になるんだい。私にはエイミーがいるし、キミを娶る気持ちはこれっぽっちもないよ」
「まあ強がっちゃって。あらぁ~趣味の悪い調度品。色が気に入らないわ。形も最新型じゃないもの。全部変えないと」
「余計なお世話だ。帰ってくれたまえ」
サンドラの強引さを、完全にシーンは突っぱねる。しかしサンドラは腕組みをしてその場に居座った。
「帰らないわよ」
「ああ、そうかよ。私は今から妻と遊ぶから勝手にしなよ。さぁエイミー。庭で虫取りをしよう」
「あ、はい」
「む、虫取りですって? 汚らしい!」
サンドラの言葉などどこ吹く風。完全に二人の世界。二人ははしゃいで庭園を転げ回った。蝶々やトンボを追いかけ、テントウムシを手のひらで転がしている。そのうちに庭石に寄り添って座っているのをサンドラは惨めな気持ちで眺めていた。
「シーン! こっちへいらっしゃい!」
「いやだよ。キミはまた学校の時みたいに私に意地悪するのだな。キミがその部屋を気に入ったのなら勝手にしたまえ。私はエイミーと離れにいくから。なあエイミー。ここは騒がしいよ。西の別邸に行こう」
「ええそうね。あそこのお庭の小さな池には大きな魚がいるのよ?」
「お、お、お、大きな魚だってぇー? 主かもしれない。釣ろう。釣ろう!」
二人ははしゃいで、サンドラを置いて行ってしまった。サンドラは地団駄踏んで悔しがった。自分は大公爵で宰相の娘だ。望めば王族へ嫁げる。それが伯爵家にランクを落として降嫁してやる。副宰相の席だって用意できる。さらに昔はいじめていた、学校の最下層であったシーンに嫁いでやると言っているのに、彼は全く取り合わない。
「ふん! 何よ」
サンドラはシーンの部屋で口を尖らせそっぽを向いた。ただ時間だけが過ぎていく。
「まったく。あの女が悪いのだわ。お前たち。あんなの外に放りだしてしまいなさい!」
サンドラは後ろに控える三人の護衛に申しつけると、護衛たちは顔を見合わせた。
そんなことをしたらますます意中の人に嫌われるのでは。全てが逆効果だと思っても、君命には逆らえない。三人は、西にあるであろう別邸へと向かうと、サンドラもどんな風にシーンが許しを乞うのか見たくなって、彼らの背中を追いかけていった。
西にある別邸の小さな池に釣り糸を垂らし、二人は楽しんで釣りをしていた。
「全然釣れないなぁ」
「釣りは根気ですわよ」
「ヒマだからキスしよう」
「いいですわよ」
釣り糸を垂らしながら、二人は熱いキスをする。そこにくだんの四人がやって来て、仲の良いところを目の当たりにしてしまった。
護衛たちはこれはまったく勝ち目はないだろうと思っておるところに君命発動だ。
「あんな女、池に放り込んでしまいなさい!」
激高したサンドラが叫ぶと、護衛たちは仕方なく諸手を挙げて二人に近づく。シーンの方でもそれに気付いて、腰の剣に手をかけた。
「近寄れば斬るぞ!」
シーンはエイミーを守りながら別邸へ入ってしまおうと考えた。
「仕方ないわね。シーンの足でも折ってしまえば大人しくなるでしょ。看病は私がするわ」
サンドラの言い様にさすがのエイミーもため息をついた。
「はーッ。ほんとに勝手な人ねぇ」
「な、なんですって?」
「親の力を笠に着て脅すなんて。本当の友だちなんて誰もいないでしょ?」
「と、友だちなんて不要よ! 主人か、そうでないかだけよ!」
「それでは一人で死んでいくときに哀しんでくれる人が誰もいないわよ」
「な、なんですって!?」
「もう結構だわ。おうちにお帰りなさい」
「誰が帰るもんですか!」
しかし、エイミーは小さな小袋をだす。そして取り出したのは一輪のドライフラワー。今にも崩れそうなそれを手で揉み潰すと、砕けた花が香しい芳香を伴って辺りに舞い散る。
風下にいるサンドラと護衛たちはその匂いを嗅ぐと、両手をだらりと垂らして、自分たちの馬車の方へと帰って行く。
千鳥足のまま馬車へ乗り込むと、馬車は大公爵家を指して行ってしまった。




