小さなぼくの、小さな日常
そこは小さな小さな港町で、小さな小さな船が小さな小さな魚を取って、人々は日々、暮らしていた。ぼくは昔から船の往来を眺めるのが趣味みたいになっていて、暇さえあればひとりでずっと港にいた。おかげでいつも手足は黒く焼けていて、服を脱いでも白いTシャツを着ているみたいだった。
もっと小さな頃は、母にせがんでは港に連れてきてもらっていた、と思う。でもいつからか、何をするでもなく眺め続けるぼくに飽きたのか安心したのか、一人で行っておいで、と言われるようになった。時々少しのおやつと水筒を持たせてくれて、それがある日は更に長いこと港に居座った。おやつと水筒があるだけで、知らない場所に遠足に行くような気分になれた。
「あんたさ、漁師になりたいの?」
五軒先のおじさんが魚のおすそ分けをくれた日、夕飯を作りながら母がそう尋ねてきた。
振り返った母に首を振ると、困ったような表情で見つめられた。
「だって海……船?好きなんじゃないの」
もう一度首を振ると、いよいよ母は訝しげな顔になって、何も言わずに料理に戻った。
「……」
「……」
「……ほら、おじさんのとこ、子どもがいないでしょう。もしあんたが漁師になりたいなら、弟子入りでもしたら、って母さん思ったんだけど」
振り返らずに母が言う。
この町では男の子はみんな、家の仕事を継ぐ。女の子はお嫁に行く。それが変わらない、この港町の呼吸。
うちは農家だ。裏の山でいろいろ育てている。だからぼくもそれを継ぐ。
ぼくは別に、海が、船が、好きなわけではない。
漁師になりたいと思うわけでもない。
毎日毎日港に行くのは、眺めたいから行くのだ。
ただそれだけで、漁師に憧れるとか、農家が嫌だとか、そういうことはないのにな。
ぼくはこの町の呼吸に合わせて、農家を継いで、港を眺める。今までも、これからも。
ただ、それだけ。この町、に漂って生きていく。
「おかあさん。ぼく、この町がすきなだけだよ」