ローズ家の晩餐
フランツ・エルマンと出会ったのは騎士になったあとだった。
王都マイアの上流階級の家に生まれたカタリナはエルマン家を知っていたし、もちろんあちらもローズ家を知っていただろう。いや、ローズ家のカタリナというよりも、貴族の令嬢でありながらも騎士の道を選んだ変わり者と認識されていたのかもしれない。イレスダートでは女の騎士はめずらしくはないものの、ローズ家は騎士の家系ではなかったからだ。
十二歳のときに髪を切った。
母親譲りの撫子色の髪だった。カタリナの父親はその色が綺麗だといつも口にしていた。ばっさりと切られた髪はまるで男のようで、カタリナを見て父親は蒼白になったこともちゃんと覚えている。けれども、そんなことは関係なかった。十四歳の年には婚約の相手の家に挨拶に行く。だから機会はいましかないと、そう思ったのだ。
五つ上のフランツ・エルマンはすでに士官学校を卒業していたが、彼の名を下級生たちも良く知っていた。なにしろ名門エルマン家の長子である。彼の伯父は聖騎士として、そうしてフランツもおなじ道をたどる。周囲の期待や重圧などに負けるような人間だったのならば、カタリナは彼をただ一人の騎士と認めるだけだったと、そう思う。敬意と憧憬、はじめに彼に対して持った感情はそのふたつだ。
フランツから遅れること五年、彼と同様にカタリナも首席で学位を習得した。
士官学校では男子と女子の専用の校舎が分かれているとはいえ、様々な噂が流れてくるものの、その頃には性的差別や蔑視、あるいは親の力などといった声はきこえなくなっていた。そう、彼らもまた騎士だ。戦場に出てしまえば男も女も関係がなくなる。生き残る者は相手よりも強かった者か運が良かった者、そのどちらかだ。
しかし、周囲は思っていたよりもずっとカタリナを評価してくれていたらしい。元老院である父親ならば一人娘をどうにかして血生臭い場所から遠ざけようとするはずなのに、カタリナが配属されたのは白騎士団である。自身が一番驚いていたし、騎士になってもなお父親は考え直すようにと言いつづけていた。カタリナは首を縦には振らなかった。
当時のフランツ・エルマンはまだ副団長の身であったものの、彼はじきにその上に立つだろうと言われていた。カタリナもそう思っていた。彼の下で働けるのは身に余る光栄だと、掘り起こせばそればあまり良い思い出とはいえないものではあったのだが。
「すこし、片付けたらどうですか?」
溜まりかねてカタリナは言った。上官に対してする口の利き方ではないことくらいはわかっていたが、しかしこの有様はあまりにひどい。彼の部屋はとにかく散らかっていて、いつもカタリナが片付けをする羽目になる。私はいつフランツの小間使いになったのか。あなたにはちゃんとした扈従がいるではないか。こんなことをするために白騎士団に入ったのではない。ひょっとして、女をそのためにここに入れたのですか?
堰を切ったように次から次へと出てきたが、もうどうにも止められなかった。
感情のままに喋ったものだから最後には涙が流れていた。ああ、これで見限られてしまう。これだから女は嫌なのだと、そう言われてしまう。ところが、フランツはただ一言だけを返す。すまない、次からは気をつける。
その約束は口約束だけだったので、彼はときどき忘れているようだ。彼の扈従はフランツの休暇のたびにうんざりとした顔を見せる。聖騎士に説教できるのはカタリナ様、あなたくらいですよ。
とはいえ、彼とともに働くのは嫌ではなかった。
いまよりもうすこし若いカタリナは己の正しさを疑っていなかったし、それゆえに向こう見ずなところもあったのかもしれない。若さのせいだと、フランツは言う。子ども扱いされているみたいだ。カタリナは彼の声をまともに受け取らなかったが、しかし王都マイアで起きたとある貴人に関わる事件を、カタリナはいまも後悔している。
「私たちに、あれ以上できることなどなかった」
カタリナを慰めるための声ではなく、彼は自分を納得させるために言ったのだろう。それが、騎士にあるべき姿だ。でもこうも思う。あのとき、もっと辛抱強く話をつづけていたならば、彼らに関わるすべてを洗い流していたならば、と。悔やんだところで時は戻せないし、当事者となった裏切りの騎士の汚名が晴れるわけでもなければ、犠牲となった貴人が帰ってくるわけでもない。
わかっては、いるのだ。
せめて自分もあの事件に関わった一人として、忘れずにいよう。カタリナは騎士がどうあるべきなのかを、知った。
それからほどなくして、カタリナよりも先に聖騎士になった者がいる。アストレアの公子だ。
実際に会って話したのは数えるくらいだ。森と湖に守られた国アストレア。その澄んだ水は美しい青の色をしているときく。公子の目は清冽な水の色のようだった。握手を交わしたその手はカタリナとおなじくらい荒れていたし、古い豆も新しい豆もあった。実際に戦場で戦うものでなければ、こうならない。安全な王都から指示を与えているだけの人間とはちがう。だからこそ公子が悪人だとはどうしても思えない。
「なにか、考えごとかな?」
はっとして、カタリナは顔をあげた。食事の前の祈りの時間があまりに長すぎたようだ。カタリナはとっさに笑みを作る。
夜の食事は家族がそろってから。そう決めたのは父親だった。席に着くのは父と娘の二人だけ、母親はカタリナが幼少の頃に病死した。
グラスに果実酒が注がれて、ようやく食事がはじまる。
ローズ伯爵が食前の祈りをつづけているのは、亡き妻が敬虔なヴァルハルワ教徒だったためだ。互いに多忙な身ではあるが、どちらかが欠けても食事ははじまらない。それにももう慣れてしまった。おそらく、父もそうだろう。
晩餐のあいだに交わす会話といえばたわいもないものばかり、どちらも職務に関わる話題は避けている。早春に行われた軍事会議、城塞都市の情勢に初夏の長雨による北の被害、白の王宮から姿を消した王女、それから聖騎士――。
フランツが苦言を呈した理由もちゃんとわかっている。
カタリナは、この国の聖騎士だ。何を差し置いても守らなければならないものがある。理解はしているつもりだ。
「カタリナ」
いつのまにか手が止まっていたようだ。カタリナは白パンをちぎって口のなかに放り込む。ちょうど運ばれてきた白身魚と格闘をする。芋を裏ごしした冷製スープと蕪とレンズ豆の煮物、果実酒は一杯で断ったので酒肴の乾酪も鰊の燻製も並ばない。大貴族の食卓としてはさびしいものだが、ローズ伯がそれを自ら望んでいる。
「お前は、何も心配しなくていいのだよ」
父はきっとすべてを知っているのだろう。自分一人が抱えている懊悩ではないと、そう言っている。
「国王陛下をお支えするのが我々の仕事だ。それから、レオナ殿下は必ず私たちがお守りする」
カタリナはうなずく。父には何もかもがお見通しのようだ。このところの父は食後にたのしんでいた蒸留酒もやめてしまった。それほどに疲れているのだろうか。いや、長くつづく戦争を憂いているのかもしれない。秋が終わればすぐに冬が来る。王都からの物資の支援が途絶えたら北の民はたちまちに餓えてしまう。もともと華美な生活を好まない人ではあったが、家財を売ってその金を届けされているのだろう。カタリナは気づかないふりをしている。
目が合って、父は微笑んだ。やさしい目だ。カタリナとおなじ瑠璃色の瞳、けれどもカタリナにはおなじやさしさは作れない。
「さて、お前の希望通りに話は通してきたよ」
「ありがとうございます。父上」
食後のデザートは洋梨のタルトとオリシスの香茶だ。やはり、父は疲れている。料理長が気を利かせてくれたのだろう。洋梨のタルトはローズ伯の好物だった。
「しかしね、カタリナ。私はまだ諦めてはいないのだよ」
フォークを動かしていた手を止める。なんのことか、わからなかった。
「婚礼の衣装はあれの部屋にいまも仕舞っている。それは美しい花嫁だった。髪が短くとも構わないじゃないか。私はお前に着てほしいのだよ」
ちゃんとした笑みで返すつもりが、ぎこちなさは否めなかった。父親とはそういう生きものだ。それはわかってはいるものの、どうしていまになってそんな話をするのか。
母親との思い出は少なくとも、この家には肖像画が残されている。自分の妻だからか、父はちょっとばかり誇張している。カタリナの母はふくよかだが美しくはなかった。ついでに言うならば、髪が短いのだってカタリナがそうしているだけだ。もっとも、婚礼の衣装をカタリナの体型に合わせる頃には髪も伸びているだろう。腕や背中に残ったままの傷を消すのだって大変だ。
「私は、騎士です」
「フランツ・エルマンを愛しているならば、どうして彼の妻にならなかった?」
あやうくフォークを取り落とすところだった。カタリナは目を瞠る。自分の父親だ。気づかれていることくらい、わかっていたというのに。
「私、は……」
「たしかに彼はエルマン家をほとんど不在にするだろう。さびしい思いをするかもしれない。でもね、カタリナ。彼は最後にはお前のところにちゃんと帰ってくる」
カタリナは下唇に歯を立てる。それはつまり彼の子を産み、家を守る女になるということ。たしかにそういう幸せもあるのだろう。
「いいえ、父上。私もフランツも、この国の聖騎士なのです。他に望むものなどありません」
フランツは白騎士団団長の座を引き継いだ。後を追うように、カタリナもまた副団長となり、聖騎士の称号を下賜された。もうそれだけで十分ではないか。カタリナはそういう笑みをする。
ローズ伯はそれ以上何も言わなかった。だからカタリナも、もう一人の聖騎士の名をそこに出さなかった。




