確執
ブレイヴが城塞都市ガレリアへと入ってからひと月が過ぎた。
城塞都市の東に屹立するガレリア山脈は雪を被っている。日中に積雪は見られなくなったものの、やはり朝晩はひどく冷える。見張り塔へと交代に急ぐ兵士たちも分厚い外套を着込んでいて、合同訓練に参加する少年兵たちの動きも鈍かった。
イレスダートの聖騎士が来ても、彼らは歓迎などせずに、物珍しそうに見つめるばかりだった。それも、三日が経てば変わる。ブレイヴは子ども相手でもやさしくはない。少年たちに戦う術を教えるのはブレイヴの役目だ。
どの顔もまだ幼く痩躯で、剣など持ったこともない子どもが最初に集まる。剣に慣れたら次は槍を、視力に特に自信がある者は先に弓術を教わる。馬術を習う身分にある子どもなど、ほんのわずかだ。少年たちには子どもらしい無邪気さも見られずに、覇気もない。なんというか無気力なのだ。はじめから戦うことが好きな人間などいないと、ブレイヴは思う。いや、少年たちには意思そのものがないのだ。彼らは逃げ出すことができない。ガレリアのために、ひいてはイレスダートのためにたたかう。それが、彼らの義務だ。ブレイヴは少年たちに同情はしない。ただ、彼らが生き残る術を教える。それだけだ。
途中で少年兵がブレイヴを呼びに来た。
思わずため息を落としたブレイヴを、麾下の騎士が目顔で諫める。愚痴をこぼすのは簡単だ。けれど、早く行かなければ叱責されるのはブレイヴだけではなく、少年兵だ。少年の顔には面皰の跡の他にも青痣がはっきりと残っている。理由なき暴力を受けているのかもしれない。少年は怯えた目でブレイヴを見ていた。
指揮官に与えられる部屋は兵舎の奥にあたり、それなりに広い。ブレイヴはまず遅れたことを詫びて、それから要件を問うた。しかし、しばらく待ってみても返答はなく、ブレイヴの視線は床へと落ちる。
そこここに転がっているのは空の瓶だ。ガレリア産の葡萄酒に、オリシスのものもある。わざわざ南の公国から取り寄せたのだろうか。部屋に入ってから鼻についたのは酒精のにおいだが、外はまだ充分に明るかった。それなのにカウチに沈んでいる上官の顔はすでに赤く、目もどこか虚ろだ。ブレイヴが部下を伴い入室しても、その手はグラスを離さずにいる。
ブレイヴはいま一度、要件を伺うことにした。すると、次はすぐに舌打ちが返ってきた。一応、耳はちゃんときこえているらしい。上官はブレイヴを睨みつけている。
「聖騎士殿は、上官の指示がなければ報告を怠るのか?」
嫌みたらしい物言だ。そうこられては頭を低くするしかない。
「はっ。申し訳ございません」
報告は常々行っていたのだが、ここは早々に折れるのが無難だろう。ブレイヴは己の感情とは反対の挙止をする。うしろから無言の圧力を感じていたからだ。控えている二人の従者、その一人はブレイヴよりも年長である。声はなくとも諫める言葉はきこえてくる。ここで誤ればあとで説教をされるのはブレイヴだ。
しかし、この光景はいくらか奇妙なものだった。
ブレイヴの祖国アストレアはいかに小国といえどイレスダートの公国のひとつであり、ブレイヴは公子という身分にある。その歴史は浅くともブレイヴは聖騎士の称号を下賜されているし、いまのガレリアでは誰よりも指揮官にふさわしい立場だ。そうしなかったのは目に見えない上下の関係を優先させたまでのこと、なにより国王アナクレオンはブレイヴにそれを命じなかった。ブレイヴも新来者が厚顔でいるつもりもなく、面倒を持ち込みたくもない。ただ、こうして逐一呼び出されるのだから、謙虚にしていてもたいした意味もないのかもしれないが。
ブレイヴの視線はまだ下にある。上官の許しがあるまでこのままだ。形だけの陳謝なのでさして怒りはなくとも不信感は増すばかり、もっとも嫌悪の方が勝っていることに、ブレイヴ自身も気がついていなかった。
このランドルフという男は王都マイアの上流貴族の一人だ。
もとは没落貴族でありながらも二代でその地位を覆したという。そこだけ見ればブレイヴと似ているが、本人は認めないだろう。若い頃にはそれなりに苦労をしたらしいものの、ブレイヴは仔細を知らない。どうであれ、現在が肝心なのである。おなじ労苦を要求されても、それこそ迷惑な話だ。こうしたやり取りもただの嫌がらせとしか思えない。
「なに、貴公を呼んだのは真意をたしかめたかっただけだ」
「真意、ですか?」
やっとブレイヴは姿勢を戻した。ランドルフは底意地の悪い笑みを浮かべている。やたら幅の広くて四角い顔でも、異様に大きい鷲鼻が印象にまず残る。次に目が行くのは顎を覆う髭だろうか。手入れのひとつもしていないのか、清潔感などまるでなく、見た者をやはり不快にさせる。目と唇の形もどうにもいびつで、しかし眼光はするどく攻撃的だ。性格も容貌をそのまま写したように凶暴にて強欲、他人があげた功績を横取りするような男である。いざ戦闘となれば自身は安全な場所にて指揮するだけで、とはいえ運だけは人並み以上のものを持っているらしい。ランドルフは負け戦をほとんど知らなかった。それも一種の才能なのかもしれない。敗戦時には責任のすべてを、部下へと押しつけてきたのであっても。
「よくも厚かましい口が利けるものだな」
まったく身に覚えのない言葉だ。記憶を手繰るだけ時間の無駄だろう。
「申し訳ございませんが、おっしゃる意味がよく」
「なぜ追わなかった?」
きき返したところで遮られる。上官自身は遠回しな言い方を好むくせに、伝わらないとわかれば癪に障るようだ。追求はつづく。
「ルドラスが動いたというのに、なぜあそこで追い詰めなかった?」
「それは、」
「出陣したのに敵を討たずに逃げ帰るなど、聖騎士殿はずいぶんと弱腰なものだな」
にべもなく、ただ捲し立てる物言いに対してまったく腹が立たないかといえば、嘘になる。ため息を落としたいところでも耐えるしかなかった。呼吸のひとつにしても慎重になるべく状況で、しかしブレイヴは思考を別へと変える。ランドルフが言っているのは三日ほど前のことだ。もちろんこの件はすぐに伝えたが、上官は特に動じた様子もなく報告だけ受け取っていた。敵の数、現れた時間帯など、状況は口頭だけではなく記録として残すために文書にも認めている。確認ならばいつでもできるはずだ。
ろくに目も通してもいないのだろう。机の上に置かれた山積みの羊皮紙がそれを物語っている。腹立たしいよりも先にきたのが失望だった。
「お言葉ですが、ルドラスに明らかな進軍というものは見られません。ですから、あれは様子見だというべき行為でしょう」
思ったよりも声が低くなっていたのかもしれない。ランドルフの顔が恐ろしい形相に変わってゆく。
「貴様、私を侮辱するというのか?」
「いいえ、事実を申しあげたまでのことです」
ここで退くという選択をブレイヴはしなかった。下手に出たところでランドルフは納得するとは思えず、となれば小細工など用いずに向かい合い、そうして黙らせるしかない。やはり、あとで従者に長い説教をされそうだ。
二呼吸を空ける。私情を挟まないようにと、考え抜き、そこから選んだものだけを言う。
「アナクレオン陛下は無駄な戦いを望んではおられません。しかしながら、危機感を抱かれる卿の気持ちもわかります。だからこそ討てと、おっしゃる意味も。その本意は私とておなじこと。脅威となれば見過ごすわけにはまいりません。それでも、ルドラス相手に失敗はならないのです。時を、待つしか他に方法も」
そう。王は争いを望んでいないのだ。悪戯にルドラスの騎士を全滅させれば、それこそ一気に情勢は動く。このガレリアですべての敵を抑えることが可能であればそれがいい。だが、要人たちが懸念したとおりに七万もの敵兵が隠れていたとすれば、とてもガレリアだけでは持たないだろう。北の蛮族がイレスダートの地を踏むそのときを、またしても許してしまう。
さすがのランドルフも、国王の名を出されては押し黙るしかなかったらしい。そしてもうひとつ、ブレイヴはあたかも上官の心中を察した台詞を口にした。本来の味方のなかに敵を作ることはないのだ。
ランドルフはしばし黙り込んでいた。首肯したようではなくとも、何かを思考しているようには見える。
「なるほど……」
やがて、その醜い唇が笑みの形をした。沈黙は演出のようで、あらかじめ口のなかで用意していたままを出しているのだろう。ランドルフの目に軽侮が見え隠れする。
「聖騎士殿の考えは理解した。だが、他の意見もきいてみようではないか」
白々しい物言いだ。ブレイヴは歯噛みする。このくだりを誰かに預けたところで誰もブレイヴには味方しないし、事態はより悪化するだろう。ところが、ランドルフの視線はブレイヴをこえて、そのうしろへと向かう。
「そこにいる赤髪の男に訊いてみるとするか」
反射的にブレイヴは振り返っていた。想定外の事態に彼は自分ではなく、他の者を訴える目をする。
「そうだ、お前だ。この私とそこの聖騎士と、どちらが正しいかどうか。答えてみよ」
ランドルフは顎でしゃくり、彼はますます萎縮したように瞬きを多くした。ブレイヴが伴った従者のうちの一人だが、赤髪の彼はまだ成人したばかりの騎士であり、いわば新米騎士だ。問うべき相手を明らかに間違っていても、ランドルフの笑みはそうは言っていない。
「え、ええっと、その……、俺は、」
とりあえず落ち着くように、ブレイヴはそういう目顔をする。騎士とは何も戦場で剣を持つだけが仕事ではない。こうしたことも、慣れておく必要もある。
「俺……いや、私には、わかりかねます」
彼は正直な声を口にした。ブレイヴは心中で安堵のため息をしたものの、ただしいこたえであったかどうか、むしろ逆かもしれない。気味の悪い空白の時間は、ランドルフの怒りそのものだろう。だが次を紡ごうにも呂律が回らない上官はやはり酩酊にあったようだ。そこで、このやり取り自体が面倒になったのか強引に話を打ち切り、そしてブレイヴたちを部屋から追い出した。
ブレイヴはやっと肩で息を吐く。
扉の向こうから硝子の砕ける音がきこえたのはそのときだった。ブレイヴは自らの言動を悔やみかけてやめる。ただでさえ、ひびの入ったような関係はあっけなく割れてしまった。遅かれ早かれこうなっていたにちがいない。もう一人の従者の諫める声もなかった。
ブレイヴを聖騎士の顔へと戻したのは、ガレリアの少年兵たちだった。
何の意思も示さず感情も見せなかった彼らは、しかしブレイヴを聖騎士と呼び、そうしていつしか慕ってくれていた。少年たちはブレイヴを希望として見る。そういう目を、している。だからブレイヴは正義よりも、己の信念をただしいと認めた。ブレイヴの王とおなじ道にあるのだと、そう思ったのだ。




