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イレスダートの聖騎士  作者: 朝倉
三章 微笑みと、約束と、笑顔と

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孤児の少年

 カナーン地方最大の都市であるサリタ。

 周辺の国から自由都市と認められている一方で海岸都市や貿易都市、または白壁の街とも呼ばれている。その理由がレオナにもすぐにわかった。

 青空の下に広がる建物はどれも白い色ばかりで、まるでおとぎの国に迷い込んだみたいだ。

 小道を二人で並んで行くにはちょっと狭い。連なる白い家の壁には色取り取りの花が添えられている。オレンジ色の三角屋根もとても可愛らしくて、見あげながら歩いていたレオナは坂道で何度かつまずきかけた。

 うつくしい街だと思う。

 レオナは王都マイアを、白の王宮の外をほとんど知らなかった。少女の頃に預けられていた修道院でもその敷地より先には出られなかったし、身を寄せたアストレアやオリシスだってそうだ。目にしたものすべてが新鮮で、感動を覚えたのは本当だけれど、ここはまたちがった素晴らしさを感じる。

 南から吹くあたたかな風が心地良い。絵葉書のような景色を立ち止まっていつまでも見ていたくなる。イレスダートの外の国も、こんなにもうつくしいのね。よそ見ばかりをしていたレオナは、また転びそうになった。

「大丈夫ですか?」

 傍付きがレオナの腕を掴んでくれなければ、前を行くクライドの背中に突っ込んでいた。異国の剣士はきっと迷惑そうな顔をする。だから一緒に行きたくなかったんだ。

「ええ……、ごめんなさい。ちゃんと気をつけるわ」

 ルテキアがそれ以上言わなかったのも、レオナとおなじ気持ちだからかもしれない。アストレア、それからオリシスを追われてここにたどり着いた。こんな気持ちになるのはいけないとわかっているし、シャルロットを忘れたわけでもない。でも、この街はほんのすこしだけ、レオナからつらくて悲しいことから引き離してくれる。

 思い詰めないでください。ルテキアの目がそう言ってくれた気がした。たぶん、幼なじみも彼の麾下きかであるジークに、似たようなことを言われただろう。

 だいじょうぶ。レオナは傍付きに向けて微笑む。ルテキアはやっぱり何も言ってくれなかった。

 レオナはちゃんと前を向いて、クライドに置いて行かれないようにする。異国の剣士はレオナなんていないみたいに、早足でどんどん進んでいくものだから、追いつくのも大変だ。けれども、これはきっとクライドも金髪の少女を心配しているからだと、レオナはそう思う。

「ねえ、クライド」

 やっと追いついた。翠玉石エメラルド色の瞳はレオナをちらと映したものの、またすぐ視線は外れてしまった。

「あなたは、イレスダート以外の国も、たくさん知っているのね」

 いきなり何だと言わんばかりの顔をする。それがちょっとおかしかった。

「だって、この街にとってもくわしいもの。迷っているみたいに、見えないから」

 宿を出て、小道を進んでゆく。下り坂の途中でまた別の小道へと入ると裏路地がつづく。すれちがう人はレオナのような白肌ではなく、よく日に焼けた健康的な色をしている。じろじろと寄越してくる視線も無遠慮なもので、おそらくはサリタの住民なのだろう。この先には古い修道院しかない。他国の貴人にしか見えない者たちが何の要件だ。そう言いたげだ。

「この街には来たことがある」

「すてきな街ね、ここは」

「あんたは何も知らないから、そんな暢気なことが言える」

 温室育ちの姫さまにはわからない。クライドは皆まで言わなかったが、だいたい合っていると思う。

「じゃあ、クライドは他に何を知っているの? この街のこと」

「世の中には知らなくてもいいことが山ほどある」

「そんなの、ずるいわ。わたしはいま、この街にいるのに」

「そうじゃない」

 クライドはため息を吐いた。

「俺もあんたも、ここじゃ余所者だ。身分なんて関係ない」

 会話をここで終わらせたいのか、クライドはまたレオナを置いて行こうとする。

「クライド」

 呼んだところで今度は返事もない。

「まって、クライド」

 どうにか追いついた。横からのぞき込めば、迷惑そうな表情が見えた。まだ何かあるのか。言われる前にレオナはつづける。

「ありがとう」

 クライドはまじろぎ、レオナはにっこりとする。

「な、なんだ? いきなり」

「だって、お礼をまだ言っていなかったでしょう?」

 青い屋根と十字架が見えてきた。きっとあれが目指している修道院だ。

「別に。礼を言われるようなことはしていない」

 でも、クライドが来てくれなかったら、こんなに早くはたどりつけなかった。

 もしかしたらこれは照れ隠しなのかもしれない。もうクライドはレオナの目を見てくれないし、口籠もってしまった。異国の剣士の物言いは正直で、その上初対面なのにいきなりレオナを「姫さん」と呼んだ。その呼び方はあんまり好きではなかったので失礼な人だと思ったし、最初の印象はけっして良いものではなかった。でも、意外な一面を見たような気がする。

「ふふふ」

「頼むから、ちゃんと歩いてくれ」

 転んで怪我でもされたら困る。一応は気に掛けてくれているらしい。だからレオナも歩調を合わせる。そのときだった。

「きゃっ!」

「うわっ!」

 声は下からきこえた。視線をずっと上にしていたので、前から来る子どもには気づかなかった。レオナとぶつかった子どもは尻餅をつく。とっさに手を差し伸べたものの、きつい眼差しでにらみ返された。

「な、なんだよ! ちゃんと前を向いて歩けよっ!」

 年の頃は七、八歳くらいだろうか。そのくらいの年齢の子どもにしては細身で背も低い。けれども口調はしっかりしていて、レオナは驚きつつもすぐに謝罪する。

「ご、ごめんなさい。あの……、けがはない?」

 レオナは少年に視線を合わせる。

「痛いって言ったら、いくらくれるの?」

「えっ?」

「ここと、ここ。擦りむいたんだけど」

 少年は自分の肘と膝を指差す。レオナはうなずいた。

「おいっ!」

「なりません!」

 クライドとルテキアは同時に止めたが、レオナはもう少年に触れていた。おまじない。レオナはそうつぶやく。少年はきょとんとしている。魔力を最小限に抑えていたので、緑の光も一瞬だった。

「ね? もう痛くないでしょう?」

「えっ……。う、うん……」

 大事にならなくてよかった。でも、まだ怒っているのかもしれない。レオナの微笑みを無視して、少年はそのまま行ってしまう。ところが――。

「はーい。ちょっと、待った!」

 両手を大袈裟なくらいに広げて、少年を待ち構えていたのは赤髪の青年だった。頭には何枚も重ねた布が巻かれている。どこからかの旅人のように見えるのは、彼が纏っている外套に年季が入っているからだ。しかし、それにしてはおかしい。赤髪の青年は、少年と知り合いのようだ。

「うわっ、デューイだ」

「お前なあ。失敗したからって、やつあたりはないだろう?」

 デューイと呼ばれた青年の声に、少年は顔を真っ赤にさせる。

「ち、ちがうよっ! あいつらが、おれを騙すから……」

「な。言っただろ? お前にはまだ早いって」

 何の話だろう。レオナは少年と赤髪の青年を交互に見る。少年の方と目が合った。

「あいつ、なんにも持ってなかった」

 レオナには届かない声だったが、赤髪の青年はにやっとする。

「だいたい、獲物を間違えてるんだよ、お前は。あんないかにも育ちの良さそうなお嬢さんが持ってるわけないだろ? 狙うならお付きの奴だよ」

 えもの。おじょうさん。ねらう。かろうじて拾えた単語はそれだけだ。赤髪の青年デューイは、ちいさな少年の肩に腕を回しながら耳打ちをしている。

 そうか、彼らは――。レオナにもこの二人の目的が見えてきた。ルテキアがもの言いたげな目をしているのも、そのためだろう。

「う、うるさいな! デューイのくせに、えらそうに説教するなよっ!」

 子どもは赤髪の青年の腕をすり抜けて、今度こそ坂を駆けあがって行った。ちいさい背中を最後まで見届けずに、デューイはこっちを振り返る。

「あんたたち、巡礼者? それとも旅人? 気をつけなよ。この街はさ、ああいう子どもだっているんだ」

「お前はどうなんだ?」

 傍付きが庇うようにレオナの前に立つ。デューイは首を傾げる。

「俺ぇ? 心外だなあ。せっかく忠告してやってんのに」

 しかし、ルテキアは目の奥から警戒の色を消さない。まいったなあ。赤髪の青年は頭を掻きながら言う。

「何も盗ってないって。ほら、自分でたしかめてみなよ。大丈夫、だろ?」

 そう言われたところで、ルテキアはまだ相好そうごうを崩さない。レオナは自分が修道院にいたときのことを思い出した。

 イレスダートは北を除けば、ほとんどが沃土よくどに恵まれた豊かな国だ。

 貧困からはほど遠く、少なくとも王都マイアでは窃盗などの犯罪は起こらない。でも、修道女たちは教えてくれる。神の教えに反してでも、犯罪に手を染める者もいるのだと。そうしなければ、生きてはいけないのだとも。

「あの子は、あなたの家族なの?」

「ん? ルロイか? いいや、ちがうよ。そんなんじゃないけど、でもあいつのことはよく知ってる。この先に修道院があるんだよ。ルロイはあそこの子だよ」

「そう……」

 つまりは孤児の少年だ。たしかに、あの子どもの着ている服は襤褸ぼろだった。

「なあ、あんた誤解してないか? 別に俺はルロイをそそのかしたりしてないって。あいつが勝手にはじめたんだよ」

「でも、あんなにちいさい子が……」

「言いたいこと、わかるよ。だからさ、俺はあいつを止めてんの。心配しなくてもそのうち帰って来るって。それよりも、さ」

 デューイはレオナではなく、うしろのクライドを見る。正確にはその腕のなかにいるシャルロットだ。

「そこの彼女、具合悪いんだろ? よかったら案内してやろうか? 俺、そこに顔が利くし」

「必要ない。場所は俺が知ってる」

「ふうん。けどさ、あんたその子の兄さんってわけでもないんだろ?」

 クライドがここまで黙りこくっていたのは、面倒を避けたかったからだ。でも、とレオナは口のなかで言う。この人、そんなに悪いひとには見えない。

「それじゃ、マザーも警戒すると思うんだよね。ルロイが世話になったって。俺が言えば安心するんじゃあないかな?」

 赤髪の青年は、人好きのする笑みでそう言った。










 海岸へとつづく大通りから遠く、中心部からも外れた場所にあるのがこの街の修道院だ。

 聖王国イレスダートと西の大国ラ・ガーディア。ふたつの大国を行き来する巡礼者のために作られたのだとか、あるいはもともとカナーン地方に住む民のためであったとか。やがて修道院の周りに人が集まるようになり、そうしてサリタという街が造られたのは、自由を宣言するよりも百年ほど前の話だ。

「ずいぶんとお疲れの様子ですが、ゆっくりと休めば熱も下がるでしょう。心配は要りませんよ」

 レオナたちを迎えてくれた老婦人はやさしく微笑む。この女性がマザーなのだろう。他の修道士や助祭の姿はなく、司祭も不在のようだった。眼鏡の奥から見える薄藍の瞳はとても綺麗で穏やかだけれど、どこか疲れている。太陽を透かしたような白金の髪の毛もひどく傷んでいるし、この修道院はマザーが一人で任されているのかもしれない。仔細しさいをきこうにも、デューイは子どもたちに見つかってもみくちゃにされていた。お土産をねだったり、面白い話をせがんだりと、子どもたちはデューイに懐いている様子だ。 

 ほっと肩の力を抜いたレオナはマザーに尋ねる。ここで祈りを捧げられる場所はひとつだけだ。突き当たりをすぐですよと、マザーは教えてくれる。ちいさな修道院ですから迷うこともありません。レオナが一人になりたいのだと、察したのかルテキアは同行しなかったし、クライドも子どもたちに捕まってしまった。異国人の褐色の肌がめずらしかったらしい。

 古い修道院の奥へと進んで行く。たしかに迷わずにたどり着けたものの、ここも老朽化がはじまっていた。

 聖イシュタニアの像はレオナがこれまで見てきた聖母とおなじだと思えずに、祭壇や並べられた椅子だって簡素なものだった。この街の人々は自由と引き換えに信仰心を捨ててしまったのだろうか。己の罪を認めなければ贖罪など必要がなくなる。けれども、レオナが女神の前で膝を折るのは自分のためではなく、他者への祈りだ。

 アルウェンさまの魂が、どうかあるべきところへと還りますように。

 レオナはまだオリシス公の死を受け入れてはいなかったし、自分がイレスダートを離れた場所にいることだって信じられずにいる。でも、夢なんかじゃない。レオナの唇は否定を紡ぐ。そうだ。あの白の少年がアルウェンを殺したのだ。異形の子ども。白の少年は運命だとうそぶいた。そんなもの、わたしは認めたりはしない。それなのにどうしてだろう、レオナはあの白の少年を知っているような気がするのだ。

「おいのりをしているの?」

 レオナは顔をあげる。さっき見た子どもたちのなかにはいなかった。栗毛の子どもがこっちを見つめている。

「ええ、そうよ。大切なひとを、亡くしてしまったから」

「そのひとは、おねえちゃんの家族?」

「いいえ。でも……、おなじくらい悲しいの」

 六歳くらいの男の子だった。ここにいるということは、彼も孤児なのかもしれない。栗毛の少年ははにかんだ笑顔のまま、こちらへと歩いてくる。ところがちょっとした段差でつまずいてしまった。頭から倒れてしまった少年をレオナはすぐ抱き起こしてやる。彼の身体はびっくりするくらいに軽かった。

「だいじょうぶ?」

 栗毛の少年はうなずく。

「あれ、おかしいな? お昼はね、もっと見えるんだけどな」

「あなた、もしかして……」

 目が見えないのだ、この少年は。レオナは皆まで言わなくてよかったと思う。彼の表情からすっと笑みが消えてしまった。

「うん。あのね、ぼくがもっとちいさかったときに、病気になったんだって。そこから、だんだん見えなくなって……」

「そう……」

 レオナは少年の髪に触れて、次に頬に触れた。やっぱり、見えていない。緑色の光はレオナが少年から手を離すと、すぐに消えた。

「ぼく……、あんまりおぼえていないけど、ずっとまえに熱が出て、それで目がさめたらここにいて。おかあさん、いなくなってた」

 こういうときに、どういう声を出せばいいのだろう。彼が見えていなかったとしても、せめて悲しい顔をするのはやめようと、レオナは唇を噛む。

「でもね、さびしくなんてないよ。ここにはともだち、いっぱいいるんだ。デューイもね、よくきてくれるんだよ。それに、ぼくにはにいさん、いるから」

「おにいさん?」

「うん。ルロイはね、ぼくのおにいさん」

 ここに来る前に会った少年だ。そうか、兄弟だったんだ。二人ともおなじくらいの子どもよりもずっと痩せている。ここには他に七、八人くらいの子どもがいた。ヴァルハルワ教会からはある程度の援助があるといっても、子どもたちを満足に食べさせるには足りないのだろう。来るべきではなかったのかもしれない。レオナは瞼を閉じる。兄のルロイはレオナからお金を盗ろうとした。失敗したのはレオナが硬貨を持っていなかったからで、けれども標的にされるような容貌をしている。世間知らずのお姫さん。クライドの言うとおりだ。

「おねえさん?」

「ううん、なんでもない」

 レオナが笑みを作ると、少年も安心したかのように笑顔になった。

「ぼくは、キリル。おねえさんは?」

「わたしは、レオナよ」

 レオナ。栗毛の少年は繰り返す。

「こんど、ルロイにも会ってあげてね。ルロイはね、よくほかの子とけんかするんだけど、でもぼくにはやさしいんだ」

 わかる気がする。あの子どもは余所者や大人を警戒していた。

「きっと、レオナもルロイとなかよくなれるよ」

 自慢の兄なのだろう。嬉しそうに微笑むキリルにレオナは曖昧な表情をする。もう嫌われてしまっただなんて、言えなかった。

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