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イレスダートの聖騎士  作者: 朝倉
三章 微笑みと、約束と、笑顔と

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自由都市サリタ

 オリシス公国を南東へと進めば沃土よくどに乏しい荒野がつづく。

 乾いた風と砂塵の街には、いまは風が強くて近づけないという。その反対のオリシスより南西へと行けば、やがて海岸都市へとたどり着く。いずれにしてもイレスダートの国境を越えた先は、ブレイヴにとって未知の土地だ。

 雨と雷と。嵐を逃れるようにしてブレイヴはカナーン地方へと入った。

 聖王国イレスダートと西の大国ラ・ガーディアとのあいだには、自由都市サリタがある。その名のとおり、ここでは商業も宗教もすべてが自由に行われている。そう、この地には民を統べるべく王が存在しないのだ。

 士官学校でイレスダートの外の国を学んだとき、王なくして国は成り立つのかと、ブレイヴは疑問に感じたことがある。統治する者なくしては、社会の秩序が乱れてしまうのではないかと、そう思ったのだ。

 講義を担当していた教官はとにかく早口で教科書どおりの声しかしなかったので、ブレイヴはそのあとで他の教官を捕まえた。のちのムスタール公爵ヘルムートだ。

 黒騎士はちょっと苦笑しながらも、ブレイヴの声を真剣にきいてくれる。心配は要らない。自由都市が認められてまだ百年ほどの歴史しかないが、しかしそのあいだに大きな混乱はなかった。なぜだと思うね? 質問で返されてブレイヴはしばし黙考する。この地方にたしかに王はいなかったが、市民のなかから選ばれた市長がいる。貴族、商家、農家。どんな身分の者でも構わない。民が認めた長は、つまりは王の代わりなのだろう。

 イレスダートで生まれ育ったブレイヴとって、王政は正しく当たり前であった。主君に剣を捧げるのが騎士の使命で、アストレアの公子として生まれたブレイヴには、他の選択肢もなかった。

 でも、ここはちがう。

 市長を信頼し、あるいは敬愛する者だっているだろう。しかし、彼らは騎士ではないし、市長を王のようには扱わない。そうだ。民の心にはいつだって自由がある。自由都市サリタ。ここは、あらゆる権利と自由が認められる。そういう場所だ。

「だが、そんなものは建前だし、自分たちだけの権利だと思っている。ここの奴らが余所者を嫌う理由はそれだ。厄介ごとを持ってこられては困るからな」

 イレスダートとラ・ガーディアとの中間地ということもあり、この街は旅人や巡礼者で溢れている。

 貴人を対象とした高級な宿場から、宿泊だけで済ませる安宿から様々で、けれどもクライドは大通りから外れた場所へと入って行った。外壁はそれなりに古びているが中は改装したのか整っているし、それなりの広さだった。異国の剣士はサリタの街にも詳しいようだ。

 貴人を護衛する騎士と、道案内の旅人と。そんな組み合わせもめずらしくはないはずだが、宿主はブレイヴたちを値踏みするような目で見る。とはいえ、金さえ払えば泊めてくれるようで、銀貨を手渡せば途端に商人の顔になった。

「着いたばかりで悪いが、今後の身の振り方を早いところ決めておいてくれ」

 たしかに、この街は余所者には当たりが強そうだ。

 四部屋を銀貨五枚で借りた。しかし、他に客が入れば、宿の主人はブレイヴたちを追い出そうとする。もちろん本気ではない。こちらは急に締め出されても困るので、もう一枚銀貨を主人の掌に載せる。主人はイレスダートの貴人たちだと見破っているから強気でいられる。そもそも、銀貨はすでに一枚多く取られたのだと、クライドは嘆息した。なんともしたたかな商人だ。追っ手が来れば、ここの主人は簡単にブレイヴを売るだろう。

「別に、あんたを責めているわけじゃない」

 ここに着いてからというもの、ブレイヴは黙り込んでいる。疲れていたのも本音で、けれどもどうにも息が詰まるのか、クライドはそう言った。

「いや、充分だ」

 彼の声は正しいし、なにより充分すぎるくらいに助けて貰っている。これは忠告じゃない。警告みたいに強い声も感謝しなければならない。そもそもクライドは、ここにいるはずのない人間だ。

「それに、責めてくれてもかまわない。きみを巻き込んでしまったのは、たしかだから」

「なんだ、それは」

 笑みを作るのに失敗した。彼の目に鋭さが増した。

「あんた、どういうつもりなんだ? ずいぶんと見縊みくびられたものだな。俺は巻き込まれたなんて思っちゃいない。それとも、罵ってほしいのか? それであんたの気は済むかもしれないが、そんなことをしてもなんにもならない」

「お言葉ですが、公子は」

「ジーク」

 気色ばんだクライドにも臆さずブレイヴの麾下きかは口を挟む。しかし、ブレイヴは目顔でジークを制した。彼がここまで早口になるのも、それでいて饒舌なのもはじめてだった。怒っているのかもしれない。クライドは無遠慮に嘆息した。

「あんたがここでどんな声をしたところで、アルウェンは帰ってこない」

 彼の言うとおりだ。目の奥が熱くなる。

「そうだな……、すまない」

 クライドが謝罪を求めているわけではないこともわかっている。でも、他の言葉はなかった。たぶん、自分は許されたいのだろう。

「責めるなよ、自分を。まだ何も分からないままだ。悲しむな、とは言わないが……」

 励ましにしてはあまりに素っ気なく、彼はこういうのが苦手なたちのようだ。視線は外れて、けれども彼は独り言みたいに零した。

「俺も悲しい。アルウェンには世話になったんだ。なのに何もできなかった。後悔は残る」

 クライドはずっと冷静だった。いまだってそうだ。以前、彼とオリシス公の関係をきいたとき、自分は雇われただけの傭兵に過ぎないと言った。疑ったわけではなくとも、そうは見えなかった。契約だってとっくに切れているし、金だけが繋がりだというのなら、こんなに悲しんだりはしない。

「クライド……。ごめん、わかってる」

 彼はそれ以上何も言わなかった。配慮に欠けた発言だった。クライドが怒るのも当然で、軽率な声をしてしまった自分が心底嫌になる。でも、ここで立ち止まっている場合じゃない。ブレイヴにはこんなところで足を止めている時間など、そう多く許されていないのだ。

「王都が、白の王宮が関わっているのでしょうか?」

 つぶやくような声はジークだ。上手く話をそこから逸らしてくれている。なにより、従者もずっと疑問に感じていたのだろう。

「考えられなくはないが、その可能性はおそらく低い。あれは、まだこどもだった。そういった暗殺者を養育している話はきいたことがない。それに……」

 白肌と白い髪、それから青玉石サファイア色の瞳。あの子どもの姿は異端に見えた。うつくしすぎるのだ。無垢な笑みを思い出すだけでぞっとする。

「公子……?」

「いや、なんでもない」

 あれは、人間ではなかった。そう言いかけて、ブレイヴは声を止める。いま、こうして生きているのがふしぎなくらいだ。やはり自分は悪運が強いのだろう。もしくは、アルウェンが生かしてくれたのか。どちらにしても、ブレイヴは生きてここにいる。考えるべきなのはこれからのことだ。

 ふたたび沈黙が訪れたとき、扉をたたく音がきこえた。

 すぐにジークが応対し、扉の隙間から顔をのぞかせているのは幼なじみだった。

「おはなし中にごめんなさい。すこし、いいかしら?」

 断るような理由もにないので、レオナをそのまま部屋に招き入れる。ジークがカウチに掛けるようにと勧めたものの、幼なじみはにっこり笑うだけだった。こちらがずっと立ち話をつづけていたので、自分もそうするべきだと思ったようだ。しかし、彼女の顔にも疲労の色が濃く見える。

「レオナ。きみも、もうすこし休んでいても」

「わたしは、だいじょうぶ。でも、ロッテが……」

 ブレイヴに訴える彼女の瞳が潤んでいる。そうだ。ブレイヴが巻き込んでしまったのはクライドだけではない。アルウェンの養女シャルロット。気を失った少女をあのままにはできずに、けっきょくここまで連れてきてしまった。

「シャルロットの熱がさがらないの」

 嵐の夜だった。追っ手を考えれば、一刻も早く国境を抜ける必要があった。雨が上がって風が変わって、乾いた荒野をひたすらに西へと進んだ。休息もせずろくに食事も取らずに、無理を押してまで先を急いでしまった。どれほどの負担になっただろう。ブレイヴは騎士だからいい。でも、そうじゃない者だってここにはいる。

 自由都市サリタに入るすこし前にシャルロットは熱を出した。

 すぐに宿を取り休ませてはいるものの、まだ目覚めないままでルテキアが付き添っている。ここには医学に明るい者もいないので、幼なじみが心配する気持ちもわかる。

「おい。間違っても、医者を呼ぶだなんて考えるなよ」

 しかし、先に釘を刺されてしまった。

「それは、どういう意味だ?」

「わからないのか? 何度も言っているが、俺もあんたたちもここじゃ余所者だ。宿の主人の目を見ただろう? まともな医者を呼ぶとは思えない」

 ブレイヴはまじろぐ。穿うがち過ぎではないか。そういう目顔をしてみたところで、彼の表情はそのままだ。

「自分で探しに行ったとして、けっきょくはおなじだ。門前払いされるか、よくて金貨を十枚要求されるか」

「まさか、そんな違法行為が認められるのですか?」

「ああ。なにしろ俺たちは余所者だからな」

 なるほど。ここまで言い切るということは、彼がこの街の洗礼を受けたという何よりの証拠なのかもしれない。たまらず口を挟んだジークもそこで口を閉ざしてしまった。

「そんな……、そんなのってないわ。このままじゃロッテが、」

「レオナ」

 白の王宮という箱庭で育った幼なじみは物の価値を知らない。オリシスから逃げたブレイヴにそれほどの大金はなかったし、どうにか金貨を掻き集めても適切な処置で少女を看てくれるかどうか。そうなったとき、彼女はきっと絶望するだろう。きっとまた自分を責めてしまう。そんなことを、させたくはない。

「べつに、俺は見捨てるだなんて言ってない」

 ぶっきらぼうに、それだけぽつりと落としたクライドは、やはり気まずそうにしている。ブレイヴは思わず笑ってしまった。

「わかってる。でも、他に方法があるだろうか?」

 温室育ちの姫さまだ。クライドはレオナをそう見ている。けれども、そんな意地悪をするつもりもないようで、だからブレイヴは苦笑しながらもつづきを促す。

「この街の外れに修道院があったはずだ。……いや、孤児院だったか。ともかく、そこに」

「行ってみよう。当てにはならない医者よりもずっと良いと思う」

 今度はブレイヴが先に言う。たぶん、それがいまできる一番良い方法だ。

「では、私が行ってまいりましょう」

「いや、俺が行く。言っただろう? 孤児院って。あんたみたいな騎士サマが行くには仰々しい」

「でしたら、あなたもそこまで変わらないと思いますが」

「俺は場所も知ってる」

 ブレイヴとレオナは目を見合わせる。クライドは正直すぎるのだ。彼の物言いは嘘が隠されてないし、悪気がない。さっきまではレオナと口論するところだったのに、今度はジークと喧嘩がはじまりそうだ。

「ともかく、あんたたちはここで大人しくしてくれ。どうしても外に出たいのなら、レナードにでも買い物を頼めばいいだろ。まずはその格好からだ。せめて普通の旅人のように見えるようにしてくれ」

 背中に大剣を背負っているクライドの方が目立ちそうだとは、あえて言わなかった。彼の外套はなかなか年季が入っていて、それに異国人だと一目でわかる褐色の肌がある。イレスダートの貴人がこの街に訪れるにしても時が時なのかもしれない。オリシス公暗殺の報はイレスダート国内に収まらずに、じきにここにも届けられる。わざわざ疑われるような真似をするなということだ。

「まって。わたしも、行くわ」

 さっさと部屋を出て行こうとしたクライドを幼なじみが引き留める。彼はめんどくさそうに眉間に皺を作ったものの、レオナは一歩も引かずにまずにっこりとする。

「孤児院、なのでしょう? あなたがロッテを連れて行ったら、きっとこどもたちをびっくりさせてしまうわ。だいじょうぶ。ルテキアもきてくれるから」

 そういう問題じゃない。クライドはそう訴える目をしたが、幼なじみの声に賛成だったのでブレイヴも彼女とおなじ笑みを作った。ブレイヴのうしろではジークがこっそり笑っている。誰も味方がいないとわかると、クライドはまたため息を吐いた。

「勝手にしろ」

 

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