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イレスダートの聖騎士  作者: 朝倉
三章 微笑みと、約束と、笑顔と

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過去と罪

 大通りを真っ直ぐ進むとそのうちに教会が見えてくる。そこからゆるやかな坂道を上って行き、路地裏へと入れば細道がつづく。擦れちがう人もほとんどいなくなったのは、教会の鐘の音が止んだからだ。

 そういえばと、ブレイヴは思い出す。オリシス公は敬虔なヴァルハルワ教徒ではなかったのかもしれない。それでも、アルウェンは扈従こじゅうも伴わずに、痛めた足を庇いながらもこの坂道を行く。彼がなぜこんな場所に石碑を設けたのか、そこへとたどり着いてブレイヴはやっと理解した。

「良い眺めだろう? ここからオリシスの城下街が一望できる」

 アルウェンはブレイヴが来るのを待ってくれたらしい。彼は微笑し、それから左手に持っていた花束を石碑へと捧げた。カンパニュラの花だった。

 アルウェンは祈りの挙措きょそをして、ブレイヴもそれにつづく。あの花の意味は何だっただろう。祈りを終えて、ブレイヴが思考しているあいだもずっとアルウェンは動かなかった。

「オリシスの街は美しいですね」

 見え透いたお世辞などではなかったから、アルウェンも笑みで返してくれる。イレスダートは良い国だ。異国から来た剣士はこの街を見てそう言った。ブレイヴもおなじことを思う。

 雨上がりのにおいがする。街路樹も花園も綺麗に手入れされていて、夏が近づくにつれてその色彩は豊かになる。規則正しい間隔で建てられた青藍色の三角屋根の家が並んでいる。洗濯女が出てきておつかいを頼まれた幼い兄弟と挨拶を交わしている。馴染みの顔らしく、洗濯女はエプロンのポケットからお菓子を取り出した。弟は大喜びをして兄はちゃんとお礼を言ってから坂道を下って行く。兄弟と反対を行く老爺ろうやの足取りはゆっくりと、追い越して行った娘の足取りは軽やかだった。これから露天市に行くのだろう。お目当ては旅商人の売る骨董品だ。

 午後のゆったりとした時間ならば、店主も紛いものを薦めたりはしない。

 恋人への贈りものならば懐中時計を、世話になった知人には硝子の茶器を、もうすぐ誕生日を迎える友達には鏡など、目移りするものばかりだ。次に露天市場に行くときにはこの時間が良い。そう教えてくれたのはアルウェンだった。オリシス公はときどき城を抜け出すそうで、けれども彼の妻テレーゼへのお土産は忘れない。行きつけの花屋があるのだろう。ああ、そうだ。カンパニュラの花言葉は感謝だ。

「ところで、君にはひとつ苦情を言わねばならない。なに、身構えることもないが、しかしアストレアの軍師は薄情な男のようだからな」

 臣下の不始末は主が責任を負わねばならない。それは当然だ。ブレイヴはもうすこし背筋をちゃんと伸ばす。ここが、どういう場所かもわかっている。

「申しわけありません、彼は……」

「セルジュはまだ戻っていないのか? アストレアにも?」

 ブレイヴはうなずきで返す。急に居心地が悪くなってきた。たぶんアルウェンは責めるつもりで言っているのではない。でも、ブレイヴはアストレアの軍師の居場所を知らないし、教えてほしいくらいだった。思考がそのまま顔に出ていたのかもしれない。アルウェンは苦笑する。

「私は怒っているのではないのだよ。失敗をしない軍師などいないからね。彼はまだ若かったし、なにより責任を一人で負うことはない。だからこそ、私は彼を許した」

「存じております」

 けれども、オリシス公は自分自身を許せてはいない。だからひと月に一度、自分の足でこの場所へと来る。

「人は過ちを犯す生きものだ。しかし、過去は変えられなくともやり直すことはできる」

 まるで自分に言いきかせているみたいだ。ブレイヴはしっかりアルウェンの瞳を見つめる。この人は強い。自分の弱さも過ちもぜんぶ認めているし、声にすることだってなにひとつ躊躇わない。

 人は、どこまで許されるのだろうかとブレイヴは思う。戦争において絶対という言葉など存在しないのだ。そう、アルウェンは以前言っていた。そうしてそのとおりになった。大敗を喫したオリシス公は戦場で戦えない身体となり、普通の生活をするにも支障をきたしている。でも、彼はまだ騎士だ。それなのに白の王宮はアルウェンを騎士とは認めずに王都から、国王アナクレオンから遠ざける。オリシスはイレスダートが公国のひとつ、北東のイドニアやムスタールに次ぐ大国である。しかし、国の存亡をかけたあの軍事会議の末席にも、アルウェンの姿はなかった。それが、すべて。

「そんな目をするものではないよ、ブレイヴ。私はもうテレーゼを泣かせるようなことはしない。その前にロアが私を止めるだろうし、それにシャルロットもいる」

 信じてもいいのだろうか。いま、どういう表情でいるべきなのかブレイヴはわからなくなる。アストレアの軍師のように逃げればいい。けれどもアルウェンはどこにも行けない。彼が失ったのは剣だけではなく、アルウェンを信じて戦ったオリシスの騎士たち、残された家族や友人にオリシス公はいまも償いつづけている。

「私はね、運命というものを信じない。だが人は、時にその言葉に縋ってしまう。そういうさがなのだよ」

「わかります。私も、おなじでしたから」

 声にするべきかを迷った。失ったものの重さがちがうと言われれば、それまでかもしれない。しかし、過去をひどく後悔することがあるのはブレイヴもそうだ。

「恩人か。……いや、君の教官だったな」

「はい。ですが、あの人は私たちの友でした。一度もそう呼ぶことは叶いませんでしたが……」

「負い目があるからか? 君はやはり真面目すぎる。そうやって自分を苦しめていて、騎士が帰ってくるわけでもないだろう? そんなものを望むような人間だったのか? 彼は」

 いいえ、と。否定を紡ぐための声がうまく出てこない。皆まで語らずともアルウェンはきっと知っている。士官学校を卒業してもブレイヴはアストレアに戻らずに王都に留まっていた。とある伯爵のところで世話になり、偶然に再会したのがかつての教官ともう一人の友だった。いや、偶然にしては出来すぎている。あれは四年前、アナクレオンが即位してしばらく王都マイアは荒れていた。

「国王派と元老院派か。どちらに味方するのが得策か。王都の大貴族たちは伺候しこうに忙しくしていたというわけだ」

 風がすこし出てきた。今日はとてもよく晴れていて寒くはなかったが、アルウェンは左腕をしきりに触っている。いまも治ってはいない傷が痛むのだろう。

「それにはヴァルハルワ教も絡んでいるな。陛下は教会を殊に嫌っているから、敬虔な信者が不安に思うのも当然だろう」

「国王派の貴人たちも恐れていました。けれども、それは誤解です。陛下が信仰を奪うなどけっして、」

「とはいえ、君は彼らの動きを知るために諸侯に近づいた。そうだろう?」

 ブレイヴは首肯する。そして、そこには先に騎士がいた。目的はブレイヴとおなじ、貴人たちを監視するためだ。

「貴族同士の派閥争いなど白の王宮内では良くある話だ。好きにさせておけば良い。……だが、アナクレオンはわずかな綻びさえ見逃さない」

「私は、陛下を疑ったことなど一度だってありません。ですが、ときどきわからなくなるのです」

「正直だな。それを陛下の前で言えば良かったのだ」

 存外、アルウェンという人は意地悪だとそう思った。ブレイヴはかぶりを振る。できるわけがない。できなかったのだ、自分は。

「国王陛下を擁護するわけではないが、しかしその選択はただしい。派閥争いで対立し騒動を起こすだけならばともかく、武力を集めるとなればそれはもう叛意と見做される」

 ブレイヴは歯噛みする。そうだ、()()()()()()()()。あの頃、いったいいつから不協和音が生じていたのだろう。ブレイヴが王命でとある伯爵家に入ったとき、騎士はすでにそこにいた。あとから来たブレイヴの友人は何も知らなかった。はじめは派閥争いを収めるために、そうしてブレイヴたちは呼ばれたはずだ。しかし、国王派と元老院派の貴人たちは衝突を繰り返し、次第に事は白の王宮まで動かしてゆく。

「双方を鎮めるためには誰かが悪人となる必要があった。それが、君の教官だな?」

「いいえ、彼は犠牲となったのです。貴族たちの、白の王宮の、国のために」

 そして、ブレイヴは生かされた。裏切りの騎士と、彼はいまも王都の人間からそう呼ばれている。大貴族や商家、それから騎士に。錚々《そうそう》たる人物らがそこには関わっていて、しかし彼らを利用していたのがかの騎士だった。

「あの日の()()()()()のはわずかな人間だけです。だからこそ、私は彼をいまも友とは呼べないのです」

 声が、震える。過去に戻れるわけでもないのに、それで手に入れたものだってあるのに、それでもブレイヴは悔恨と懺悔を口にする。ふた呼吸の沈黙があった。騎士とは思えない醜態だ。きっとアルウェンには失望されただろう。

「君は陛下を恨んでいるのか?」

「……いいえ」

 ため息がきこえた。やはり、そうなった。

「正直すぎるのだ、君は。だが、こうも考えるべきではないかな? 陛下はそうまでして、君を聖騎士にしなければならなかった」

 ブレイヴはまじろいだ。罪の意識に囚われてばかりで気づけなかった。アルウェンが笑んでいる。出来の悪い弟を見るときのような、そういう目をしている。

「かの騎士は罪人となったが、それで派閥争いもなくなった。失ったものは多くとも、その反対に得たものもあると、そう考えるべきではないのかな?」

「それを犠牲と呼ばずにして、何と言いましょう?」

 拳が震える。怒りは誰に対してでもなく自分自身に向けてだ。領地を押収され、没落した貴族がいる。己が身の潔白を明かすために死を選んだ貴人がいる。他者を守るために正義に背いた道を選んだ騎士がいる。彼らの未来を奪った側にいるのがブレイヴだ。その後日、騒擾を鎮めた一人としてブレイヴは白の王宮に呼ばれた。王はブレイヴに聖騎士の称号を下賜かしした。

「正しくはない。しかし、間違ってなどいなかった。私は、ずっと自分にそう言いきかせてきたのです。戦争に犠牲は避けられません。それは、わかっています。だとしても、王都も白の王宮もけっして戦場なんかじゃない。それなのに騎士である私が生き残ってしまった」

「それは詭弁だな、ブレイヴ。君は騎士だがいずれは国を治める立場にある。アストレアの公子は君だ。ならば、戦場だけではなく内政も忘れてはならない」

「教えてください、アルウェン様。私の言っていることは理想なのでしょうか?」

「その答えは、君自身が良くわかっているのではないか?」

 ブレイヴは視線を外す。オリシス公は自分の過ちを受け入れているし認めているからこそ、ブレイヴを諭している。己がどうあるべきなのか。他者に教えてもらわなければ理解できないブレイヴとはちがう。権道けんどうを認めよと、そう言っている。

「私には君が死にたがっているようにも見える。罪の意識に苦しまなくてもいい。誰かの代わりになる必要もなければ、君の代わりにしても他にはいないのだ」

 母エレノアとおなじことをアルウェンも言う。年長者の声は素直に受け取るものだと、たぶんこれは説教なのだろう。

「騎士の仕事は戦場で死ぬことだけがそれではない。母親は覚悟をして息子を北へと送り出すとしても、幼なじみはそうにはいかない。君が帰ってこなければ、一番泣くのはレオナだな」

「それは……、」

「そうだ。それこそが、答えだよ。ブレイヴ」

 ブレイヴは呼吸を止めて、二拍置いてからゆっくりと息を吐き出した。どうして忘れていたのだろう。いや、失念していたわけではない。聖騎士だった父親に憧れを抱くのはいずれ騎士となる少年には自然な感情だ。でも、それだけじゃない。聖騎士でなければならなかった。そうでなければ、きっと彼女は守れない。

「綺麗事です、それは」

「単純で良い理由だと、私はそう思う。何も間違ってなどいない」

「ですが、それでは私は騎士ではなくなってしまいます」

「そうではない」

 アルウェンは微笑する。半人前の生徒だと教師は苦労する。そう言いたいのかもしれない。 

「そうではないのだよ。それでは人形と何も変わらない。私たちには心がある。だから正義も不善も、悪意も欲心も見極めることができる。ブレイヴ、これだけは覚えておきなさい。騎士は王命に従わなければならないが、しかし王の言葉がすべてが正しいとは限らない。私たちは人間であるし、王もまた人間だ。人の道に背けば誰かがそれを正さなければならない」

「まさか、陛下が……」

「仮定の話だ。だが、そのときが訪れたら君はどうする?」

 考えられない。しかし、オリシスに来て最初に二人きりで話したそのときにアルウェンはおなじことを言った。見定めなければならない。まるで、君主が道を踏み外すかのような物言いをする。もしかしたら、白の王宮はブレイヴが考えているよりもずっと腐っているのかもしれない。アナクレオンという人は英邁えいまいな王だが元老院の跳梁ちょうりょうを許してしまっているのだと、そう言いたいのだろうか。

「奴らは白の王宮の、いやイレスダートの毒となる。少なくともアナクレオンはそう見ている」

 ブレイヴには否定が紡げない。あの軍事会議の日に場を支配していたのは元老院だ。オリシス公は預言者でもなかったし、狂言を口にするような人でもない。そうだ。これは騎士の言葉とはちがう。親しい友を案じる声なのだとブレイヴは思う。

「年寄りの説教にしては長すぎたかな? だから私は教師には向いていなかった」

「いえ、そんなことは……」

「ふむ。君はどうにも真面目を通り越して堅物の人間だな。それでは講義から抜け出したこともないのだろう?」

「それくらいは、私にだってあります」

「ふふふ、それが本当ならばヘルムートがよく見逃してくれたな」

 アルウェンはもう一人の友人の名前を出す。ムスタール公爵であるヘルムートは爵位を継ぐその前にブレイヴの教官だった。強がりを言っているのだと思われているのなら、ちょっと面白くない。アルウェンが意地悪っぽく笑うからなおさらだ。

「さて、戻ろうか。あまり遅くなるとテレーゼが心配するし、なにより宰相がうるさいからね」

 オリシス公でも叱られることがあるのだろうか。それは見てみたいような気もする。

「ええ、アルウェン様にたっぷり説教をされたと、皆様にはそう申しましょう」

 アルウェンはまじろぎ、それからブレイヴの肩をちょっとたたいた。

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