ドラグナー
茫然自失としていた時間はそう長くはなかった。
セシリアが剣を構えている。アステアは合図を待っている。ベロニカの咆哮がきこえる。ブレイヴも剣へと手を伸ばした。
「戦うつもりはない」
彼、はそう言った。そのまま飛び掛かって首を落とす。ブレイヴはどうにか衝動を抑える。話をきいてからでも遅くはないと、そう思ったからだ。
「レオナを奪っておきながら敵意はない、と?」
笑えない冗談だ。ブレイヴの手が震えているのは怒りからだった。彼はブレイヴの声に目を瞬かせる。
「大袈裟だな。べつに、あのくらいじゃ死にはしない」
限界だ。けれどもブレイヴの右腕が動くよりも、セシリアが割って入る方が早かった。
「待ってください、ブレイヴ」
公子、と。アステアもつづく。ブレイヴは深呼吸を二度繰り返す。剣を収めるわけにはいかないが、相手を観察するくらいの冷静さは取り戻せた。
はたして、彼という言葉が正しいのだろうか。
背に流した深碧色の髪、透き通るような白皙の肌、青玉石色の眼。二十代前半のようだが彼か彼女か、見分けられなかったのは、中性的な顔立ちをしていたからだ。痩躯の長身の女性など別にめずらしくはない容貌で、落ち着いたアルトの声音も男女の判断に迷うところである。だが、年齢や性別などどうだっていい。相手は人間ではないのだ。ブレイヴは彼をそうだと認めている。
「ドラグナー、だな?」
彼の唇に微笑みが見えた。どうやら正解らしい。彼は最初に敵対するつもりはないと言った。では、味方だろうか。たしかに彼はブレイヴたちを救ったのかもしれない。エルグランの竜騎士が三人、対してこちらはセシリアとベロニカだけだ。多勢に無勢のところを助けてくれたなら素直に感謝するべきで、しかしあの黒い竜巻はブレイヴたちも攻撃した。信用はできない。ブレイヴはそういう目で彼を見る。
「彼女の傍にいれば、人間かそうでない者の区別がつくようだな」
「……レオナはどこに?」
わざわざ挑発に乗る必要はないだろう。ブレイヴはそれとなく話題を逸らす。そもそもブレイヴが知りたいのはひとつだけだ。
「竜の姫君は長のところにいる」
「長?」
他にも仲間がいるらしい。ではなおさら、こんなところでぐずぐずしていられない。
「人間を長の元に連れて行くのは気が進まないが、まあいいだろう。そろそろ彼女との話も終わっている頃だ」
やはり、あの風はレオナを攫ったのだ。ブレイヴは歯噛みする。セシリアとアステアがいなかったらブレイヴは彼を殺していた。いや、殺されていたのはブレイヴかもしれない。
彼ははじめにブレイヴを見て、次のアステアとセシリアへと視線を流した。
「四人か。まあ、問題はない」
何を言っているのだろう。とにかく早く幼なじみのところへ連れて行け。声に出そうとして、しかしそれは叶わなかった。身体に妙な力を感じたからだ。
癒やしの魔法とも防御の魔法ともちがった。とはいえ、さっきの風のような明確な悪意と殺意を感じたわけでもなかった。なにが起きたのだろうか。理解するまでに数秒を要して、やっとブレイヴはそこが先ほどまでいた地上ではないことに気がついた。
「すごい! いまのは、テレポートの力ですね!」
魔道士の少年が身を乗り出して言う。転移魔法。魔道士たちの文献に伝わっているような魔法、それは名うての魔道士であっても容易に扱える力ではないことくらい、ブレイヴも知っている。
「人間はわざわざそんな言葉で呼ぶのか? 私にとってはただの移動手段でしかないのだが」
つまり造作もないと、そう言いたいらしい。
これが竜人の力。ただの人間が真似ようものならば、すべての魔力も精神力も、それから体力も持っていかれる。それほど危険を孕んだ力を使ったとして成功するとは思えないし、望まぬところへと吹き飛ばされる可能性だってある。精も根も尽き果てて、廃人になる未来が待っている上に、大幅に寿命を縮めるだろう。
「待ってください、ベロニカが」
「人間に従順な飛竜ならば大人しく待っている。あれは私を竜人だと知っていたし、敵だと見做していない。最初に威嚇してきたのは攻撃されたと思い込んでいるからだ」
ベロニカは彼を信用したというわけか。上を見あげてもあまりに遠く、わずかに光が見えるくらいだ。ベロニカの姿は確認できずに、それでも不承不承ながらも、セシリアは彼の言葉を受け入れる。
「わかりました。ともかくまずは、レオナを探しましょう」
竜の谷の底には洞窟が広がっていた。
松明などの明かりもないのに足元を照らす光がある。これも彼の力なのかもしれない。彼を先頭にブレイヴがつづき、アステアとセシリアが付いてくる。迷いのない足取りは、ここが飛竜の棲息地であるにもかかわらず、まったく恐れているようには見えなかった。
竜人はブレイヴたち人間と、ほとんど変わらない見た目をしている。異端に感じるのはその美しさか。誑惑する容貌に既視感がある。白の少年。あの竜人も美しかった。
レオナという竜の血と力を受け継いだ幼なじみが傍にいても、ブレイヴは竜人という存在をよく知らなかった。
そもそも竜という生きものはおとぎ話のなかだけの存在だ。グラン王国で飛竜を見てやっと認めたくらいで、竜人と呼ばれる彼らを竜族と一括りにしてよいものか迷う。それにマイア王家が竜の末裔ならば、レオナだけではなくその兄妹であるアナクレオンやソニアも竜人と言えるのかどうか。おそらくは否だ。王家の子どもたちは神聖なる儀式によって、身体のどこかに聖痕が現れるという。聖痕を持っているのは王家でレオナだけ、だからブレイヴの幼なじみは異端な力を持っている。
「なにか、ききたそうな顔をしているな」
うしろに目でも付いているのか。失笑しそうになったものの、ブレイヴは彼の声に応えなかった。
「じきに長の元に着く。私は別にお前たちに話すことなどない」
あくまで案内役に徹するらしい。長、というからには他にも一族の者がいるのだろう。竜の一族。幼なじみとおなじ竜人。素直にセルジュの声に従っていればよかったと、後悔しても遅かった。
急に道が開けたと思えば、光に目が眩んだ。太陽光だ。こんな地底でも光が届いている。足元には緑の絨毯が敷かれている。清冽な水のにおいと音がするその先にはちいさな泉が見えた。地底の楽園。そこは美しすぎるほど美しく、ブレイヴは息をするのも忘れて、しばし立ち尽くしていた。
「ブレイヴ……?」
だから、そこに幼なじみがいたことに気づくのが遅れてしまった。
ブレイヴは泉の前でたたずんでいたレオナの元に駆け寄ると、その衝動のままに抱きしめた。びっくりした幼なじみがちいさく声をあげたのも無視して、ただただ彼女の無事をたしかめる。いま頃になって胴震いがした。
「ブレイヴ。わたし、わたしはだいじょうぶだから。……ね?」
腕のなかで幼なじみが微笑んでも、まだブレイヴは彼女を離したくなかった。レオナがいる。この手が届かなかったというのに、幼なじみはちゃんとブレイヴの前にいるし、大丈夫だとそう言う。
「あのね、どこも痛くないし、怪我だってしていない。だから……」
幼子をあやすみたいにレオナは言う。ブレイヴはやっと幼なじみの顔を見た。心配かけてごめんなさい。そう、微笑む彼女は目顔でブレイヴを誘導する。
《おや、人の子もここに来てしまったのかい》
それを声というべきなのだろうか。脳内に直接響いた声のような音、言葉。
ブレイヴは激しく瞬きを繰り返す。あまりに自然にそこにいたために、レオナに教えてもらうまでわからなかった。
《それも三人も。こんなに多い客人は、はじめてだよ》
アステアもセシリアもおなじ顔をしている。たぶん、ブレイヴも一緒だ。皆、信じられないものを見たときの表情でいる。
「私たちは風の一族。だが、竜は長だけ……、他の一族の者もここにはいない」
ブレイヴは案内役の竜人を見て、それからまた竜へと視線を戻した。鈍色の躯、視線をずっと上へとあげてやっとかち合った眸の色は青玉石色。グランルーザのどの飛竜よりも大きく、しかし飛竜たちのような若々しさはない。長というからには人間の寿命よりも遙かに長い時間を生きているのだろう。この竜の谷の楽園で。
《あの子たちは皆、余所へと行ってしまったが、それでいいんだよ。竜人は人間の世界で生きるべきだ》
母親のような慈愛に満ちた声が響く。
《ふらりと現れては、話し相手になってくれる変わり者は一人で十分だ》
皆の視線が彼へと集まる。彼は他人事みたいな顔をしている。
「やさしいひとね。こんなところに独りだなんて、さびしいもの」
「同情のつもりならば迷惑だ。それが私たちの運命なら、従うしかない」
「運命なんて……」
幼なじみはそこで唇を閉じた。飛竜のような小型の竜ならば空も飛べるだろう。しかし楽園に棲まう竜は、どこにも行かずにこの場所で長いときを生きているのかもしれない。
《いいんだよ、レオナ。竜人となりて人とともに生きるか、あるいはわたしのように竜として生きるか。選べるのはふたつだけ、それがわたしたちに遺された呪いだから》
「呪い……?」
《そう、呪いだよ。飛竜たちを見てごらん。あの子たちに知性はほとんど残っていない。でも、それを望んだのはあの子たちだ。人間になりたくなかったのだから》
「どういう、こと?」
レオナは彼と竜を交互に見た。ブレイヴも彼らの声を待つ。
「そんなことも忘れてしまったような竜人に教えるつもりはないし、人間たちに話したくもない」
《おやおや。意地悪をするものじゃないよ。レオナはまだまだ若いんだ。お前はもう三百年も生きているというのに、そんな子どもみたいなことを言ってはいけない》
「しかし、長……!」
まじろいだレオナの隣で、ブレイヴも笑ってしまうところだった。竜も竜人も、とにかく竜族が長寿だというのは理解できたし、彼が思ったよりも子どもだったというのもわかった。長にしてみれば、三百年生きていてもまだまだ子どもなのかもしれない。
ブレイヴは竜を見つめる。青玉石の眸がやさしい光を宿している。
《せっかくのお客さんだ。レオナもここに来てくれた。だから、すべてを教えてあげよう。竜と人の歴史も、竜人たちの運命も、その身に受けた呪いも》
偶然だったと、そう思う。
ブレイヴとレオナがイレスダートを追われて西を目指し、それからグラン王国へとやっとたどり着いた。飛竜たちの不調も偶発的なできごとだと、ブレイヴはそう認識している。それなのにどうしてだろう。彼らは幼なじみを待っていたと告げて、レオナがここに来るのを予期していたみたいに言う。
どこに向かわせようとしているのだろうか。ブレイヴは無意識に幼なじみの手を強く握っていた。レオナがどこか遠くへ行ってしまうようで、おそろしかったのだ。




