5. 執行
私は、教室に行くことにした。
私が、この事件を終わらせた。その自負が、私にそうさせた。
教室の戸を開くと、ギョッとした視線が私に注ぐ。それを無表情で受け止めて、私は言った。
「何?」
教室を見渡すと、誰もが目をスッと逸らした。私は気に留める様子を見せずに、席に着いた。
ホームルームが始まる。リンコ、モナ、エルカの席が、空いている。他にも何人か、欠席しているようだ。度重なる異変にショックを受けて体調を崩したと、担任は説明した。
どこかで、ボソボソと呟く声がした。
「絶対おかしいって」
「普通じゃないよ」
「ハゲグマだって……」
徐々に大きくなる声を制するように、担任がピシャリと言った。
「オオクマ先生が亡くなったのは、不慮の事故です。しかも、半年も前のこと。今回の件には関係ありません。
それに、モナさんは交通事故、リンコさんは急病、エルカさんは思春期特有の一時的な精神障害です。これ以上、妙な噂を広めないように!」
そんな言葉で、生徒たちが納得するはずもない。様々な噂が飛び交い、中には、私のところにリンコの様子を聞きに来た者もいた。私は、こうとだけ伝えた。
「終わるから。もう、終わるから」
それから三日間、何事もなかった。
既に噂は薄れ、タレントの不祥事の話題に移っていた。
相変わらず、リンコも、モナも、エルカも、登校していない。
──もう終わった。誰も死なない。
私は満足感に浸っていた。
誰も知らないだろうけど、この事件を終わらせたのは、私。
モナとエルカがいなくなって、他のクラスメイトたちも、私に普通に話しかけるようになっていた。私は居場所を見つけて、これまでにない充足感を得ていた。
部活に出かける友人たちを見送り、私は帰り支度を済ませた。
時計を見る。午後四時四十三分。
──嫌な時間。
あの事件は忘れようと、あのゲームはアンインストールした。もう、私には関係のないこと。これでいいんだ。このままで。
カバンを持ち、教室を出る。階段に近付いたところで、聞き覚えのある音がした。
──あのゲームの、起動音。
私は周囲を見渡した。誰だろう、あのゲームをしているのは。
……しかし、私の周囲には、誰もいなかった。
……まさか……。
私は恐る恐る、カバンのポケットからスマホを取り出した。
あのゲームのスタート画面が、そこに表示されていた。
「……嘘」
なんで? アンインストールしたのに?
硬直して画面を見つめる。すると、触れていないのにスタートボタンが押され、ホーム画面がロードされた。
「…………」
金縛りに遭ったように、体が動かない。私は立ち尽くしたまま、目を見開いて、勝手に動く画面を見入るしかなかった。
時計は、四時四十四分。
画面はガチャのものに動いた。
あのガチャが、あった。
「……やめて……」
精一杯絞り出した声は、震えて、誰にも届かない。
押さないで押さないで押さないで押さないで押さないで押さないで……!
心の中で必死に念じる。しかし、祈りは虚しく、滑らかな流れで、そのガチャのボタンが押された。
現れたのは、あの、忌まわしい装置。
嫌、嫌、嫌、嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌イヤイヤイヤ!!!
レバーがガシャンと下がる。ぐるぐると歯車が回り、画面が光に包まれた。
光がスッと消えた画面に映し出されたのは、ロスカだった。
「いやああああああ!!」
私はスマホを投げた。床に叩き付けられ、ディスプレイにヒビが走る。
私は逃げようと階段を振り向いた。しかし、足が動かない。バランスを崩して、そのまま倒れる。何とか身を起こして、スマホに目を向けた。
画面のヒビから、白い霧が噴き出していた。
「……やめて、やめて……」
ロスカが死んで、あの世界はなくなったんじゃないの? なんで私のところに来るの? なんで……!
霧は床を這って、私の足元に迫った。
「イヤ……イヤ……」
私は這った姿勢のまま逃げようと、後ろを振り返った。
──そこに、ロスカがいた。
口元に微笑を浮かべて、私を見下ろしている。
「きゃああああああ!!」
声の限りに叫んで、私は走り出した。
階段を駆け下りる。足が言うことを聞かずに、何度かよろめく。手すりに身を預けて、必死で進む。
一階下の踊り場に来た時、耳のすぐ横で風を切る音がした。
ヒュッ。
と、直後、目の前の壁がドン! と鳴った。
──そこに、鉈が突き立っているのを見て、私の足は力を失った。
「忘れ物を返しに来たの」
階段をゆっくりと、ロスカが#上って__・__#来た。
──私は階段を下りてた。なのに、なんでロスカが下から……!?
恐怖と混乱でパニックになる。腰が立たない。言葉も出ない。激しく呼吸をしながら、ズルズルと床を後退する。
いつしか、辺り一面が霧に包まれていた。ロスカの姿が、霞をまとって近付いてくる。
「それと、あなたの望みを叶えに」
カラン、カランと一枚歯の高下駄を鳴らして、ロスカは階段を上がり切った。
右手に金槌。左手に、五寸釘。
いつもの、感情の欠片もない微笑が、恐怖に慄く私を壁際に追い詰めた。
「呪いの連鎖を終わらせる、それが、あなたの望みね?」
喉がカラカラに乾いて声が出ない。大きく目を見開いて震える私のすぐ前に、ロスカは立った。霧が渦を巻き、栗色の髪が揺れる。
「それには、私が死ぬよりも、有効な方法があるの。
それはね、──あなたが死ぬこと」
その言葉は、私の心臓に楔を打ち込んだ。全身の血が凍るような感覚に襲われる。
「人間の恨みがある限り、私は何度でも生き返るの。それよりも、今一番強い恨みを持ってるあなたが死ぬのが、一番の方法よ」
ロスカの澄んだ視線が私を圧迫する。呼吸が苦しい。
「ね、そうしましょ?」
「イヤあああああ!!」
全身全霊の力を込めて、私はロスカを突き飛ばした。「キャッ」と短い悲鳴を上げて、ロスカは倒れた。──今だ!
私は階段を駆け下りた。
三階……二階……一階……!
──しかし、階段は続いている。出口は見えない。
「なんで!?」
私は焦った。
「どうして逃げるの?」
下階から、カラン、カランと、足音がした。
「自分の死の覚悟もないのに、どうして、人の死を願えるの?」
「ああああああ!!」
今度は階段を駆け上がる。ガクガクと震える足を奮い立たせて、体を引きずるように、霧に満たされた空間を、上へ上へと上る。──やはり、どこまで行っても、屋上にたどり着かない。
「無駄よ。この霧の中は、あの森と同じ、私の異界だから」
今度は階段の上に、ロスカの足が見えた。それは、カラン、カランと、階段を下りてくる。
もう、足に力が入らない。ズルズルと這いつくばって、踊り場の隅に背を預けるのが精一杯だった。
体が震える。涙が溢れる。徐々に近付いてくる「死」から、もう、逃れる術はないのか。
足音が止まった。相変わらず穏やかな美しい顔が、私を見下ろしていた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!!」
震える舌で呪詛のように言葉を紡ぐ。そんな私を見て、ロスカは初めて、悲しげな表情をした。
「呪いと復讐は、違うのよ。
死んでも残ってしまうほどの怨念を晴らすのが、私の仕事。なのに、ムカつくから、目障りだから、それだけの理由で、呪いを使う人が多すぎるの。
自分の都合で、他人の死を願う。
『死を願う』ということは、そんなに簡単に考えていいものじゃないのよ。
──後悔するのは、自分だから。
つまり、あなたが呪ったのは、あなた自身」
私の喉からは、嗚咽しか出てこなかった。
「モナもエルカもリンコも、いなくなって良かった、望む日常が手に入ったから、それでいい。……そう、思ってるでしょ?
でもね、呪いって、そういうものじゃないの」
涙で霞む向こうで、ロスカは優しく微笑んだ。
「後悔したって謝ったって、一度かけた呪いは取り消せないの。
苦しまないように、終わらせてあげる」
ロスカの手に、#藁人形__ルーシー__#があった。顔に貼られた、白い紙。そこに書かれていたのは、私の、名前、だった。
「 サ ヨ ナ ラ 」
五寸釘が、藁人形を貫いた。