3. 帰レナィ、永遠
耐えられなかった。
「…………」
悲鳴すら上げられず、私はその場にへたりこんだ。
リンコは、黒い幹の隙間に腕を奥深く差し込む格好で、身動きの取れないまま、蔓のような枝に絡められている。痙攣してビクッ、ビクッと動く様子は、吐き気を催すほど無惨なものだった。
「……助からないわよ、彼女は」
後ろから声がして、私はハッと振り向いた。
そこには、非常に整った顔をした女性が立っていた。
白いドレスからなびく長い白布、一枚歯の高い履物、そして、蝋燭の髪飾り。
──ゲームで見た、ロスカのキャラが、そのまま三次元化して、そこに立っていた。
「一度掛けた呪いは、どんなことをしても取り消せないの。藁人形の釘を抜いても、名前を書いた紙を破り捨てても」
不安定な履物を器用に運んで、私に近付いてくる。穏やかな、けれど、感情の欠片もないその表情は、私の目を釘付けにした。
「彼女は後悔したわ。そして、自分で打った釘を抜こうとした。
でも、果たされた呪いは、この木が飲み込んでいくの。
だから、釘を抜こうとしていた彼女の手も、木に飲み込まれてしまったのよ」
ロスカがすぐ近くにやって来た。異様に高いヒールのせいで、恐ろしく高い位置から、ロスカは私を見下ろした。
「あなたには、彼女は助けられない」
再びガサッと耳障りな音がして、私は悲鳴を上げて耳を塞いだ。
「大丈夫、随分前に意識は失ってるわ。時々、神経の反射で痙攣はするけど、痛みは感じてないから」
ロスカは微笑すら浮かべたような表情のまま、リンコに目を向けた。
「明日になれば、頭まで木に飲まれるわ。そうすれば、呼吸も止まるし、楽になる」
「やめて……」
全力で耳を塞いでも入ってくるロスカの声に、私は震える声を上げた。
「お願い……、リンコを、助けて……」
耳を押さえたまま、私は土下座した。
「私の……せいなの……、私が、昨日、来られなかったから……」
「あなたは関係ないわ。全ては、彼女の意思なんだもの」
ロスカの声は、脳内に直接響くようだった。
「彼女は、自分の恨みの大きさから目を背けていた。そして、現実を見て怖くなって、恨みをなかった事にしようとしたの。……自分のために」
淡々とした声は、私の心を容赦なく抉っていく。
「彼女が、呪った相手を助けようとしたのは、自分の罪悪感を軽くしたかったから。本当に許したわけじゃないのに」
──全部、私が言ったこと。私が、自分の都合で提案して、リンコはその通りにしただけ。
反論は、言葉にならずに嗚咽となって口から漏れた。
「でも、それを選んだのは、彼女だから」
ロスカは、まるで心の声に答えるように返答をした。私は顔を上げ、ロスカに目を向けた。
ロスカは、穏やかな笑みを浮かべて私を見ていた。
「あなたは、帰るのよ。
そして二度と、ここに来てはいけない」
涙を垂れ流して動けないでいる私に、ロスカは手を差し出した。
「これ以上ここにいては、あなたの家族が心配するわ」
……視界が霞み、目を開いたら、自室の天井が見えた。明るい光と鳥の声が、窓から差し込む。
「早く起きなさい! 遅刻するわよ!」
母の声がした。私の脳裏に、病院で会ったリンコのお母さんの姿が浮かんだ。
──私が目を覚まさなかったら、うちの母も、あんな顔をするのだろうか。
私はベトベトに濡れた目を拭って、ベッドから起き上がった。
学校に行くと、私は担任に呼び出された。
生徒指導室に二人きりになると、彼女は神妙な顔で話し出した。
「『異世界ガチャ』の話、聞いたことある?」
目を見開いた私を見て、彼女はメガネを直した。
「あるゲームのガチャを特定の時間に、特定のルールに従って回すと、夢の中で異世界に行けるってやつ」
私が返事を返さないでいると、担任は声を少し低くした。
「モナさんの件で、何人かの生徒から、リンコちゃんがそれを試したって聞いたの」
「…………」
私は誰にも言ってない。どこからそんな話が?
動揺を察したのか、担任は一枚の紙を示した。
それは、スマホの画面をプリントしたものだった。
近距離通信の画面。そこには、メモをスクショしたものが写っていた。
──三日以内に、あんたは死ぬ。
泣き喚いて悔やめ。
「……前から噂は聞いてたの。でも、学校の怪談が今時風に進化した、ただの噂だと、私は信じてなかった。
でも、モナさんにリンコちゃん、それにエルカさんまで……」
その言葉で、私は思わず口を開いた。
「エルカ、さん……?」
モナの取り巻きの一人だ。人をバカにする態度が鼻につく性格で、私は避けていた。
「そういえば、あなた、転校した#ばかり__・__#で、メールグループに入ってなかったのね」
私が転校したのは、もう三ヶ月も前。それにあえて#ばかり__・__#という言葉を付けることに、問題を回避しようとする意識を感じて、私は再び口を閉ざした。
「私も昨日連絡を受けたのよ。
……エルカさん、マンションから飛び降りたの」
呼吸が止まった。目の前にある担任の顔が遠くに見える。
「幸い、命に別状はないわ。でも、言ってることが支離死滅で、なぜ飛び降りたりしたのか、分からないの。
カリンさんのお母さんから事情を聞いた子からのメールを通じて、クラス中で話題になって、朝から何人かに相談を受けたわ」
ここで、彼女は言葉を切った。そして、一語一句、慎重に選ぶように、ゆっくりと口を動かした。
「あなたは、その世界に、行ったことはないの?」
──その裏の意味は、私がエルカを呪ったのではないか? そう言っていると、私は感じた。
エルカは、リンコよりも私に、冷たい言葉を投げてくることが多かった。だから、意図的に避けているのを、モナの取り巻き連中は気付いていただろう。
だから、私がエルカを呪ったのだと告げ口をしたのか。
思い違いにも程がある。しかし、質問の内容である「あの世界に行った」には違いない。行っていないと答えれば嘘になる。だが、正直に言えば、呪いの自白と取られかねない。
私は少し考えた。考えているうちに、憤りが爆発的に膨らんでいく。
私は机にドンと叩いた。そして立ち上がりつつ、担任を睨んだ。
「私は呪いなんてやってません!」
そして背を向け、部屋を出ようとした。その背中に、冷静な言葉が突き刺さった。
「私は、呪いなんて一言も言ってないわ」
冷水を浴びせられた気分で、私は足を止めた。
「知ってるのね」
肩が震える。あふれ出る涙を止められない。
「これ以上犠牲が広がらないように、教えてちょうだい。何があったの?」
担任の手が私の肩にそっと置かれた。
私は泣き崩れた。
「……そう……」
担任は眉を寄せ、腕組みをした。私は全てを打ち明けた言葉の勢いのまま、思いのたけを吐いた。
「どうせ、信じてないんでしょ? 先生なんて、みんなそう。問題から遠ざかりたいから、なかったことにするのよ。
リンコのことだって、もっと早くに気付いてあげれば……」
「実はね、前から何度か、リンコちゃんには相談を受けていたの」
担任はため息混じりに言った。
「恐らく、リンコちゃんの悪口に参加してたのは、あなた以外、クラス全員。
クラスで話し合いの機会を持とうかと、リンコちゃんに提案したこともあったわ。でもね、リンコちゃん、それは嫌だって」
私は涙で霞んだ目で、メガネの奥の暗い表情を見た。
「リンコちゃん、色々趣味を持ってるでしょ? 話し合いをすれば、そういうところまで踏み込まれてしまうから、それはどうしても嫌だと」
担任は軽くため息を吐いた。
「直接力にはなれないけど、時々、話を聞いたり、リンコちゃんの様子には気を配ってたの。
でも、あなたが来てから、リンコちゃん、明るくなって。友達ができて良かったと、私は思ってたわ。……だから」
担任は優しく微笑んだ。
「あなたは、もう二度と、その世界に行ってはダメ。リンコちゃんも、そう願ってるわ」