2. 呪ヮレタラ、サヨゥナラ
──翌朝。
重い足取りで教室に向かう私を、リンコが待ち構えていた。強引に腕を引いて、屋上への階段を上る。
踊り場に出たリンコが、蒼白の顔で涙を流していて、私は驚いた。
「……どうしよう」
震えた嗚咽混じりの声で、リンコは告げた。
「モナ、車に轢かれて、意識不明の重体だって……」
私は息をのんで硬直した。その前で、リンコは膝から崩れ落ちた。
「私の、せいだ……」
顔を両手で覆ったリンコの肩が震えている。
「死ねとか言ってたけど、まさか、本気じゃないし。バチが当たって、痛い目を見ればいいな、とは、思ったけど……」
取り乱すリンコを見下ろしながら、私は動けなかった。
「私の恨みの強さが、こんなに強かったってこと?
昨日の夜、モナと仲良かった子から連絡が来て、ずっと考えてた。
……怖いよ」
チャイムが響く。私はハッとして、屈んでリンコの肩に手を置いた。
「死んでないんでしょ?」
リンコは涙で濡れた顔を上げた。
「命がまだあるんなら、呪いを取り消せばいいじゃない。
ロスカに、頼もう?」
リンコは充血した目を見開いて私を見た。
「今晩、私も、やってみるから」
「…………」
「一緒に、行こう。あの森へ」
放課後、リンコに聞いてゲームをダウンロードした。チュートリアルやイベントを進めて、星のかけら集め。足りないところは、音楽用にチャージしておいたポイントで、星のかけらを購入。
ちょうど444個にして、帰宅した。
四時半に目覚ましをセットして、ベッドに入る。
眠れなかった。
チャイムを聞いて、焦ってあんなことを言ってしまったが、私のせいじゃないし、そもそも交通事故なんて、ただの偶然だって全然あり得る。
もし、呪いのせいだとしても、モナは自業自得だ。リンコは、優しすぎるんだよ。
しかし何より、私のことでリンコが怒ってくれたことが、嬉しかった。
……時計の音だけが、暗い部屋に響く。
眠れない気紛れに、そのゲームを開いてみた。キャラクターのイラストが魅力的で、図鑑を見ているだけでも楽しめる。
その中に、「ロスカ」という名前のキャラがあった。明るい表情と元気なボイスが、呪いというスキルとミスマッチだ。それが、このキャラの魅力かもしれない。
時計が四時を指す。ドキドキと胸が高鳴る。
何度も慣れないゲームの操作を確認しつつ、その時を待つ。
四時半。鳴る前に目覚ましを止める。
四時四十分。ガチャ画面を開いて大きく息を吐く。
そして、四時四十四分──。
ガチャの画面に変化はない。焦りながら思考を巡らせ、ハッと気付いた時には、三十秒ほど経過していた。
──ロードし直さなければ、それは現れないのでは?
慌ててアプリを落とし、起動し直す。その十何秒かがもどかしい。
ガチャ画面に戻る。──あった!!
不自然な黒色のボタン。これだ!
私は画面を操作しようと指を置いた。……すると、違うガチャの画面に移った。
「……え!?」
どうやら、指が誤って、別のボタンに触れてしまったようだ。元の画面に戻せない。仕方なく、私はガチャのレバーを下げた。
見知らぬキャラクターの確認画面からガチャに戻るが、時計は、四時四十五分。
あのガチャはなかった。
血の気が引いた。
自己嫌悪が襲い掛かり、私はスマホを投げ出した。
頭を抱えた。自分で言っておきながら、なんてことを……!
ふと思い付き、私はスマホを拾い上げた。メールを開き、リンコに通話を送る。呼び出し音はするものの、出る気配はない。
「…………」
リンコは、あちらの世界へ行ったのだろうか? 忘れて、ただ寝過ごしているだけかもしれない。
自分の都合の良い方へだけ考える自分に嫌気が差して、私は枕に顔を押し付けた。
──翌朝。
教室に、リンコの姿はなかった。
妙に静まり返った教室に入ってきた担任が、神妙な顔で生徒たちに告げた。
「リンコさんが、急病で救急搬送されました」
その日の授業の内容は、全く頭に入らなかった。
放課後、私は駆け足で、地元の救急病院へ急いだ。
受付で病室を聞こうとしたが教えてくれないため、案内図を見て、私は当てずっぽうで、脳神経外科の病棟へ向かった。
エレベーターを下りた休憩スペースに、リンコのお母さんがいた。
個人的に付き合いがあるわけではないけど、学校の行事で何度か見た。ハンカチで顔を押さえて、憔悴している様子だ。
ゆっくりと近付いていくと、彼女は顔を上げた。
「……リンコの、友達の……?」
「ご無沙汰してます」
私は隣の席に掛けた。
「リンコ、……どうしたんですか?」
「朝、起きてこないから、部屋を見に行ったら……」
かすれた声が震えた。
「呼んでも、肩を揺らしても、目が覚めないの。病院で検査をしてもらったけど、特に異常はなくて、原因が分からない……」
私は直感した。
──あちらの世界から、戻って来ていない。
私は立ち上がった。
「必ず、連れて帰りますから」
リンコのお母さんは驚いた顔で私を見上げた。
「私のせいなんです。だから……」
私は駆け出した。私のせいだ、私のせいだ、私のせいだ、私のせいだ、私のせいだ……。
ブツブツと呟きながら走る私に、看護師が訝しい目を送る。
私のせいだ。私が、あちらの世界に行くのを失敗したから。
リンコはひとりであちらの世界に行って、ロスカに会ったんだ。だけど、何かがあって、帰って来られなくなってる──。
今夜こそ、必ず、迎えに行くから。
無駄に使ってしまった分を、病院の売店でカードを買って補給する。444個。昨夜見た画面を思い出し、ボタンの位置を確認する。
──五寸釘スーパー、五寸釘スーパー、五寸釘スーパー、五寸釘スーパー。
噛まないよう、呪文を何度も復唱する。
そして迎えた、夜。四時四十四分。
時計がその位置を指した瞬間にアプリを立ち上げる。すぐさまガチャの画面を開き、黒いボタンを慎重に押す。
……すると、昨夜とは明らかに違う、闇の中へ引き込まれそうな色合いの装置が現れた。短く呼吸を整えて、私はレバーを下ろした。
──五寸釘スーパー、五寸釘スーパー、五寸釘スーパー、五寸釘スーパー!
ガチャの画面が光を発し、視界を奪った。
「……ウッ……!!」
激しい目眩がして、私は目を閉じた。
気分の悪さが治まるまで、目を閉じたまま深呼吸をする。そして、ゆっくりと目を開いた。
──そこは、霧の中だった。
柔らかい腐葉土の上に、私は座っていた。
濃い霧が、冷たい湿気で肌を刺す。薄暗い景色の先に、黒い樹影が、不気味に佇んでいる。
経験した事がない、凄まじいまでの孤独と恐怖を感じて、肌が総毛立った。
力の入らない手足を何とか動かし、ヨロヨロと立ち上がる。周囲を見渡すが、どこも同じ景色で、どちらに進めばいいか分からない。
……と、一箇所だけ、おぼろげに光っているところがある。
霧の奥に光源があるようだ。来る者を導いているように。私はそちらへ向かうことにした。
湿った地面を、裸足で踏みしめる不快感。重い足を何とか運んで進む。
その目的地は、遠くはなかった。少し先に、かすれた光の源が現れた。
──巨大な枯れ木。
手を広げたように垂れ下がった黒い枝が、不気味に光を放っている。
……リンコが言っていた木とは、これだろう。
無数の藁人形。様々な名を記された、紙。それらを打ち付けた、五寸釘。
話を聞いて知っていても、その不快な空気感は、正常な神経で受け入れられるものではなかった。今すぐ立ち去りたいという衝動を必死に抑え、私は辺りを見回した。
「リンコ……」
呼びかけてみるものの、蚊の鳴くような声しか出ない。息苦しいほどの動悸を左手で押さえて、私は木に近付いた。
……すると、カサカサと奇妙な音が聞こえた。不自然なリズムで鳴るその音は、人為的なもののような気がして、私はそちらに目を向けた。
そして、見てしまった。
木に飲み込まれようとしている、リンコの姿を。