1. 黒ィ森
「ねぇ、知ってる?」
放課後。誰も来ない、屋上へ続く階段の踊り場に私を誘いこんで、リンコが小声で囁いた。
「あの噂」
「……噂って?」
私が返すと、リンコはニヤリとして話し出した。
「呪いのゲームの話」
……午前4時44分。
夜が終わるその時間に、とあるゲームを起動する。そして、開くのはガチャの画面。
その時間にだけ現れる、特別なガチャがある。必要な対価は、ゲーム内アイテムである「星のかけら」が444個。多くても、少なくてもいけない。ちょうど444個の時にだけ、そのガチャは引ける。
「……で、ガチャの結果が出るまでの間に、四回、呪文を唱えるんだよ」
──五寸釘スーパー五寸釘スーパー五寸釘スーパー五寸釘スーパー。
「……何ソレ」
私は鼻で笑うが、リンコは語気を強めた。
「これが大事なんだって! 噛んじゃダメ、言いきれなくてもダメ、多く言ってもダメ。いい? 間違えんなよ」
その真剣な口ぶりに、私は違和感を覚えた。
「……もしかして……」
私が訝しい顔をする前で、リンコは再びニヤリとした。
「やった、の?」
やはり、リンコはうなずいた。
「どうなったか、聞きたい?」
私は聞きたくないと思った。けれど、リンコは構わずに続ける。
「その後、寝落ちすると、夢の中で、ある場所に行くんだよ」
──森。
黒い木々が霧に浮かんでいる、暗い森。
陰鬱な雰囲気に戸惑いながらも、引き寄せられるように、歩を進める。
すると、行く手を阻むように、濃い霧の中から突如として巨木が現れ、リンコは足を止めた。
闇をまとったそれは立ち枯れているが、太い根が脚となって黒い大地に踏み立ち、まるで巨大な鬼が見下ろしているようだった。
しかし、その気味悪さも、ある強烈な光景の印象の方が勝る。それを見て、リンコは息を飲んで立ち止まった。
無数の、藁人形。
巨木の幹に、所狭しと打ち付けられたそれの顔に当たる部分に、文字が書かれた紙が釘で貫かれていた。
恐る恐るそれに近付いてみる。そして気付いた。
──藁人形の顔の紙に書いてあるのは、名前だ。
名前の真ん中を、五寸釘が一本、いや、ものによっては三本、四本と、容赦なく貫いている。雨垂れか、血の跡のようにそこから染みが垂れ、紙に染みている。
リンコの肌をゾワッと冷気が走った。
「……依頼に来たの?」
突然声を掛けられ、リンコは声を上げた。大きく見開いた目で振り返った、その先に居たのは……
「こんな時、普通、白装束の老婆とか想像するでしょ?」
なぜか、リンコは楽しそうだ。
「それが、すごく可愛い女の子なんだ」
見た目はリンコと変わらない、高校生くらい。白いドレスに白のサッシュベルトを長く垂らして、足元は高いヒールに乗っかっているよう。お洒落なようで、どこか奇妙なものだった。
だが、リンコには見覚えのある姿だった。ゲーム内で見たことがあるキャラと同じ格好。コスプレだろうか?
器用に不安定なヒールを運んで、その人は近付いてきた。
長く艶のある髪が揺れる。そこに飾りのように差してある三本の蝋燭の炎も揺れる。その時、リンコは気付いた。
──呪いの装束。
アレンジされてはいるが、白装束、一反木綿、一枚歯の下駄、そして頭には蝋燭。ゲームでは何度も見ているはずだが、可愛くデフォルメされているので気付いていなかった。
その手に握られた大きな金槌を見て、リンコはヒッと叫んで逃げようとした。しかし、木の根につまずき、枯葉の積もった地面に投げ出された。恐怖で声が出ない。見開いた瞳でその人を見返すのが精一杯だった。
「驚かせたならごめんなさい。──私はロスカ。呪術師をしてるわ」
リンコはますます饒舌に語りだした。
「ロスカって、そのゲームのキャラにいるの。呪いスキルの人気キャラで、可愛いけど強いから、スキル制限されたりして……」
「リンコ、大丈夫?」
私はリンコの肩を押さえた。頭がおかしくなったのではと疑った。元々妄想癖の強いオタク気質な子だから、いよいよ夢と現実の差がわからなくなったのか……?
しかし、リンコは明るい笑い声を上げて私の手を外した。
「大丈夫だって。こうして普通に戻って来られたんだから」
リンコは続けた。
ロスカはリンコに、金槌を持っていない方の手を差し出した。
「あの方法でこっちの世界に来た人は、私に会いに来るものだから。……さ、話を聞かせて」
ロスカはリンコを引き起こし、木の根に座らせた。──近くで見るその顔は、見れば見るほど、惹き込まれそうに美しい。柔らかい表情が、リンコの緊張を解いていく。
少し迷ったが、リンコはゆっくりと口を開いた。
──話を聞いて、私は腹の底が凍るような恐怖を感じた。
「……で、紙に名前を、書いたの?」
「そう。よく見えるように、はっきり大きく、書いてやったわ」
リンコはケラケラと笑った。
「あんな奴、死んだ方が世のためだから」
「ちょ、ちょっと待って!」
私はリンコの腕を掴んだ。
「なんで? なんでそんなことを……?」
すると、リンコの表情がスッと消えた。私の全身に、ゾワッと鳥肌が立った。
「あんた、私があいつからイジメられてたの、知らないの?」
──私は転校生だ。クラスに馴染めない中、いつも一人でいるリンコと、自然とペアになることが多くなった。
リンコがクラスで浮いている存在なのは、薄々分かってはいた。しかし、直接イジメを受けているのは、見たことがなかった。
「あいつ、クラスのメールグループから私をハブって、近距離通信で、私の悪口で盛り上がってるスクショを送って来るんだよ」
「…………」
「死んであいつを後悔させてやろうと思ってた。でも、仲間ができたから、死ぬのはやめた」
仲間、という言葉に引っかかりを覚えて、私はリンコを見た。リンコはポケットからスマホを取り出し、私に見せた。
「あんた、クラスのグループに誘われてないでしょ?」
スマホの画面には、私をdisる言葉が並んでいた。
心臓が縮んで、気が遠くなる気がした。
「私はこんな腐女子だから、陰口を言われるくらいは自覚があんだよ。でも、あんたは関係ないだろ?
これを見て、死ねと思った」
冷たい壁にもたれて放心する私の頬を、リンコはハンカチでそっと拭った。無意識に流れ出た涙が、冷たかった。
名前を書き終えると、ロスカはリンコに問いかけた。
「あなたがやる? それとも、私がやる?」
効果は変わらないけど、と、ロスカは金槌と五寸釘を示した。リンコは手を差し出した。
「私にやらせて」
黒い森に、コーン、コーンと無機質な音が響く。
藁人形の顔と、名前を書いた紙を、五寸釘が貫いていく。えも言われぬ快感を覚えながら、リンコは金槌を振るった。
「……これで、呪いは掛けられたわ。あなたの恨みに釣り合った災難が、この人に降りかかるはずよ」
ロスカがニコリとリンコを見た。
「もっと刺してもいいけど」
だがリンコは首を振って、金槌を返した。
「満足したから大丈夫」
「そう。──呪いが完了するのは、明日から三日間のうちの、いつかよ」
楽しみに待っててね──。
ロスカの言葉と同時に、リンコは夢から覚めた。
「……で、スマホを見てみたら……」
ゲーム画面に、あるキャラクターが映っている。
──藁人形。
デフォルメされた、可愛らしいキャラクターだ。顔に深々と、釘が穿たれている。その顔にある紙に、見覚えのある名が、見慣れた字で書かれていた。
──モナ。
メールグループのスクショの中で、最も活発に発言してた子。オシャレな感じの、クラスカーストの頂点。私は挨拶どころか、目を合わせたことすらない。
「……あの噂は、本当だったんだよ」
リンコの手が、小刻みに震えていた。