前編
「私、実は本当の勇者じゃないんだよね」
夜の帳が降りた頃。
私は仲間たちと夕食をとり終わり、火を囲んでゆっくりと茶を口に運んでいた。
明日は都市シュスレの防衛戦、中規模程度とはいえ魔王軍との初めての正面衝突だ。
地形は一通り確認したし、武器も防具も揃えた。後は迎え撃つためにしっかり休息を取るべきなのだが、どこかそわそわとした空気は消えない。
(仕方ないか。魔族側の城を落としたりとかはしたけど、これだけの規模の戦闘は初めてだし)
元傭兵のガルドは流石の落ち着きだが、まだまだ戦闘経験の少ない治療師のコルメナと魔法使いのシェスターは懸命に表に出さないようにしているものの、どうにも不安が隠しきれていない。
そんな状態の皆に爆弾を投下するのは流石の私といえども少し躊躇われたが、正直タイミングを図りすぎて機を逸しても面倒だったので会話が途切れた瞬間を見計らって話を切り出した。
「今まで黙ってて申し訳ないけどまあ、そういうことなんだよ」
「……はぁ!?」
「……え、えと、ティアさん、それどういう……?」
最初に声を上げたのはシェスター。
貴族のお坊ちゃんのくせにその境遇故か、彼は意外と素直に感情を表に出す。
今もありありと不信感を浮かべながら私を睨みつけてくるので、眼光で肌が焼けそうだ。
私の隣に座るコルメナもおろおろと視線を彷徨わせ、上目遣いで私の方を窺った。
うんうん、2人とも予想通りの反応で大変結構。
ガルドはもうちょっとこっちに興味持って欲しいけどね。でも保存用のお肉焼いてくれてありがとうね。
(どう話したものかな)
私はうーん、と唇に指を当てながら少し勿体つけて続ける。
「つまり、聖剣と交渉して本来勇者になるはずだった人に成り代わって私が勇者になったの。なので聖剣に選ばれてはいるにはいるんだけど、私は厳密には本物じゃないんだよね」
脅しだなんて人聞きが悪いな、エクス。
あれは対等な交渉だったよ。でしょ?
……ん?前任の勇者はもっと純粋だったって?
あの逸話だけでわかるくらいの単純バ……熱血単細胞のことか。私も嫌いじゃないよ、ああいうタイプ。側には絶対置きたくないけど。
「あ、ああの、ティアさん。なぜ、今になってそのことを?」
エクスと小声で言い争っていると、コルメナが恐る恐ると言った感じで手をあげながら尋ねてきた。
まあ尤もな質問だろう。
「まずね、本当の勇者はダーモンっていう人。昨日メルバスの村で五股をかけていた女性に刺されて死んだ男がそう。ちなみに出身もメルバス」
彼がどんな人物だったかは今のエピソードで察して欲しい。
エクス曰く勇者になるのに大切なのは魂の質で人間性ではないのだと。
魔王討伐後に贅沢三昧で国の財政を傾けた歴代勇者もいたらしいし……やっぱり人柄も査定に入れるべきじゃないかな、エクスさん。
「で、今言った通り本物が死んだから貴方たちにも打ち明けられるようになったわけだ。……他にこれといった理由はないかな。丁度いいタイミングじゃーんって思ったってだけ。旅も中盤まできたし、もう万が一にも軌道修正はきかないだろうからね」
「貴様は……っ」
笑顔を貼り付けて、なるべく軽く、神経を逆撫でるように言う。
狙い通りシェスターから上がりかけた抗議の声に、どこか安心した気持ちで振り向いてーー思いがけない彼の表情にぎょっとした。
怒りはもちろんあるのだが、それ以上に悲しみが渦巻いている。……なんていうかその、泣きそうな顔、に見えるのだけど。
「シェ」
「貴様は、私たちに耳障りのいいことばかり言っておいてその実、私たちを全く信用していなかったのか!!」
「…………まさか君からそんな言葉がでるとは」
「っ茶化すな!!!」
いや、ごめん、本当にびっくりしたんだ。
ーー初めて会った時、彼は父親に裏切られて幽閉され、拠り所だった母や乳母まで惨殺されて世界全てを憎んでいた。
『私のことは好きに使えばいい。その代わり、お前たちのことも利用してやる』
そう言った彼の瞳は、まさに手負いの獣のそれだった。
宿った獰猛な光が、少しでも変な動きを見せれば伸ばした腕をそのまま噛み千切るつもりなのだと如実に語っていた。
(人って変わるものだなぁ……)
初めは私の手を取ったのは裏切った奴らを見返したいからで、仲間とは思わないしもう誰も信じることはないって散々言っていたのに。
そりゃ最近丸くなってきたなとか結構仲良くなれたかなとか感じてはいたよ?心配してくれたりとかなんだかんだ言いながら助けてくれたりとかしたし。
それでも流石に最初の印象が強すぎて、私の信頼を得られないことに彼が傷つくことがあるなんて想像もしてなかったから、なんていうのかな……その、むず痒い感じがする。
……耳障りのいいことって、私を信じろとか辛かったら頼っていいとか確かにそんな感じのこと言ったけどもしかしてそれ?えっだって君、鼻で笑ってたじゃんか!
「聞いているのか!?ティア!」
「ああ、ごめんって。君たちのことを信頼しなかったことは一度だってないよ。……できることならすぐにでも話したかったんだけどね」
私が信じられなかったのは……いや、信じていないのはもっと違うものだ。
今まで不誠実だと思いながらも隠してきたのは全能ではない、それでも絶対的にも思える力を持つ誰かーー便宜上“神”と呼称している存在の目を誤魔化すため。
(まあ、あれのことについては皆に伝える気はないけど)
知らなくていいことはどうしたってある。
どうせ最終章まで私たちは不興を買わないよう、ある程度従順にあれの思惑通り踊らなければならないのだ。
ならば、物語の筋を乱すような危険を犯すのは私とエクスだけでいい。あんな得体の知れないものの存在を知るなんてこと自体リスクが高すぎる。
勇者の行動であればある程度お目溢しされることは既に実証済みなわけだが、私たち以外まで多目に見てくれるとは限らないのだから。
「……チッ」
私がこれ以上は黙殺する構えだと悟ったシェスターから、思い切り忌々しげな舌打ちを受ける。
お行儀悪いですよ。君一応王家に連なる高貴な血筋だったはずでは。
「……それで、勇者でなかったとしてお前に不都合はあるのか」
「そうですよ!ティアさん、もしかして今まで無理してたんですか……!?」
気付けば焼いた肉を保存用の葉に包み終わったらしいガルドが窺うようにこちらをじっと見つめていた。
コルメナもくりくりとした瞳に不安を滲ませている。
ひとつの嘘も見逃さないとばかりの真剣な視線を受けて思わず苦笑してしまった。
もうちょっと違うところを心配して欲しいんだけどなぁ。
「あー……魔法とか剣術とかについては本物のレベルと遜色ないから。エクスにも褒められたし。足は引っ張らないようにするよ」
「っそんなことを言っているんではないです!ティアさん、わかってるくせにはぐらかさないでください!」
「……ごめんごめん」
自分の不出来なところを語るのってちょっと抵抗があって、つい。
意外と本物に対してのコンプレックスは根深いみたいだ。
とはいえ私の内心以外に問題がないなら隠すべき事柄でもないので、なるべく軽い調子で続けた。
「そうだね、大きなところではリジェネとか……回復魔法全般が使えないことがあるかな。本物なら聖剣経由で自分の身体くらいは治せるんだけど」
あとは聖剣を身体の中にしまえないから偶に邪魔とか、エクスとの念話が一方通行でこちらからは声を出さなければ伝わらないから、側から見ると1人で喋るヤバいやつに見えるとか、細々とした問題はあるが1番はそこだ。
魔族と人間のハーフであるコルメナの魔力は非常に柔軟なため、他人の身体にも馴染みやすい。故に彼女はヒーラーとして他の追随を許さない才を有している。
しかし、本来であれば他人の身体に干渉するのは容易いことではないのだ。
要するに私と聖剣との相性が足りない。
魔法を使う時は私の魔力を基礎にしながらも、出力の際にエクスによる魔力の改変・増幅が行われる。
本物の勇者であれば改変した魔力であっても身体に馴染むらしいが、成り代わりである私ではどうしても拒絶反応が出てしまうのだ。
……戦闘面では結構重大な問題である。
私はあまり怪我をする方じゃない。元々気配には敏感な方だし、治癒はできなくともエクスが私の身体を動かせるのもあって、例え不意を突かれたとしても対応できないことはそうない。
しかしだからこそ万が一怪我をした時、痛みに耐性のない私にとってこの差はかなり響いてしまうだろう。
……がっかり、されただろうか。
比べたって仕方ない。もう本物はいないんだから。
けれどそれで納得できるほど人の心だって単純じゃない。そういうものだと誰より私がわかっているから、心が騒めいてしまう。
(…………っ)
僅かな沈黙に嫌な想像が巡る。
皆の顔に落胆の色がありはしないかと思わず視線をあげると、目の前に僅かに青くなったコルメナの顔があった。
「わ、わた……」
ちょ、大丈夫?
確かに落胆の色を探しはしたが実際に顔の色が変わっているとは思わなかったし、加えてわなわなと身体を震わせるのでさっきまでの不安は一瞬で心配に変わる。
体調でも悪いのかと伸ばした手が触れる前に、弾かれたように飛び上がった彼女に抱きつかれた。
「わたしっこんなこと言ったら駄目かもだけどっティアさんが本物の勇者じゃなくてよかったです〜!!お役に立てることがあってよかったですぅぅ〜!!」
「へっ!?そこ!??えっいや、本物の勇者でもコルメナことは絶対頼りにしてたから……!!」
あの、ね、だからちょっと離れようか!
小さな身体にぎゅうぎゅうと抱きつかれて、苦しくはないものの身動きがとれなくて困ってしまう。
普段なら私の言葉には素直に従う子なのだが、相当動揺させてしまったのか離れる気配がない。
かと言って無理やり引き剥がすのも可哀想だし、と眉を下げているとガルドがひょいとコルメナを引き上げてくれた。
「あ、ありがと…………ってそうじゃなくて!……もうちょっとこう……皆…言うことないの?」
私が言うのもなんなのだけどね!
勢いで言い募ってみたものの、ガルドもコルメナもきょとんと目を瞬かせるばかりだ。
「大方俺たちからの非難でも期待していたんだろうが……残念だったな。お前が何者だろうが今更揺らぐほどこいつらは柔くない」
「…君は怒ってないの」
「隠していたことについては一生言い続けてやるつもりだがな」
溜息まじりの言葉ではあるが、シェスターの瞳に嘘はない。
遅れて意味を理解したらしいコルメナとガルドもこちらへ真っ直ぐな視線を向けて肯いた。
「俺はお前がお前のままなら問題ない」
「そうですよっ肩書きなんてどうでもいいんです!ティアさんはわたしたちの大好きなティアさんに変わりないんですから!」
彼らは変わらず、私に笑いかけてくれる。きっといつもなら少し気恥ずかしくも、それ以上に築いてきた絆を誇らしく思っただろう。
けれど今は少しも揺らがない感情が、痛い。
信頼を寄せられていることへの嬉しさ以上の罪悪感に、顔がどうしようもなく引き攣る。
その痛みに引きずり出されるようにして、気付けば思うよりも前に言葉が滑り落ちていた。
「この戦いが本当は茶番でしかなかったとしても……私が最初から皆を利用しようとしたのだとしても?」
我ながら随分と皮肉げな声が出るものだ。
相手を傷つけるために吐かれた冷淡な音をどこか他人事のように感じても、一度出てしまった言葉はもう戻せない。
「……言いたいことはそれだけか?」
しかし上には上がいるもので。
珍しく怒ったような顔をしたガルドの吐き捨てるような言葉が、刺のごとく刺さる。
普段あまり感情を表に出さない分、彼に怒りを向けられるのは結構堪える。
「ティアさん」
また別の方からいつもの感情豊かな様子からは想像もできないくらい硬い声がした。
まさに四面楚歌。
そんな言葉が浮かんで消えるが、だからといって逃げ道が現れるわけでもない。
観念して視線を向けるとやはり、私の手をぎゅっと握ったコルメナの顔にもありありと不満が浮かんでいた。
「わたしたちのこと、可哀想だとでも思っているんですか?」
図星を突かれ苦々しい気持ちで視線を逸らしてしまう。
思っているのだ。多分。
この旅は、本当は要らないものだから。
大義なんてない、ただ私たちの望みのためだけに始まった不毛な旅。そんなものに命をかけさせられる皆は被害者だと。
なんと答えるべきか分からなくて黙り込む私に、コルメナは表情を緩め、仕方なさそうに微笑んだ。
「…いいですか。ティアさんはちゃんと、最初にわたしたちに聞いてくれました。『一緒に来る?』って。少しくらい秘密はあったかもしれないけど、ひとつだって貴女は強制したことなんてないじゃないですか。……自分で決めたんです。貴女にどんな事情があったって、その事実は変わらない。選択の責任は自分で取ります。そんな当たり前のことくらい、わたしにだってできます」
だからティアさんが負い目を感じることなんてひとつもないんですよ、とコルメナは穏やかに言続ける。
シェスターも、ガルドも沈黙で彼女の言葉を肯定した。
聡い人たちだ。きっとずっと私の抱える罪悪感など見通していたのだろう。
「……ありがとう」
小さな頷きで、暗に話の終わりを告げた。
重さを孕んだ沈黙が落ちる前に、空気を変えるようにコルメナがぱんと手を打つ。
「それよりまずは明日ですよ!あーあ、魔族がみーんな真名を教えてくれたら楽なんだけどな」
「人間に真名を教える魔族なんていないだろ。例え家族でも教え合うことなんてないのに」
「わかってますって!もーシェスターってば冗談が通じないんだから!」
姉弟のような2人のじゃれあいにガルドが僅かに顔を緩める。
いつもの和らいだ空気が戻りそれぞれ休むための準備を始める中、私は中身がほとんど消えたカップを弄びながら木にもたれた。
彼らの言い分はわかる。
私だって逆の立場ならきっと同じことを言った。
(けど……)
それでも、と思う気持ちはどうしたって消せない。
私は彼らにこの死と隣り合わせの過酷な旅路以外の道を与えるべきだったのではないかと何度だって考えてしまう。
全て自分で決めたことだと、真っ直ぐに胸を張ってくれる彼らだからこそ、責任感や罪悪感よりもずっと深いところでそう思うのだ。
(……ならせめて誰ひとり、死なせない)
エクスが数日前に受け取った神からの託宣。
勇者に与えられる試練としてはありふれたーー仲間の死。
恋人、親友、幼馴染、ああ、過去には好敵手なんてのもあったか。
旅で得る、もしくは元々持っている勇者を人たらしめていた……神の言葉で言い換えるなら人の枠内に縛り付けていた、絆を失わせることで勇者を勇者にするための通過儀礼。
本当に、あれの趣向には反吐が出る。
丁度良いいタイミングだから、なんて勿論嘘だ。
喪ってしまうかもしれない。
そう思うとどうしようもなく動揺した。
私なら護れると、確かに思うのに僅かな可能性ですら赦せなくて。
正体を知って、軽蔑してくれたら。逃げ出してくれたら。そう、期待した。
幻滅されるのは辛いし傷つくのは嫌だけれど、彼らが死んでしまうくらいならいくらだって我慢できるからと。
(こんなふうに思うようになるなんて、最初の頃からは考えられないよなぁ。……シェスターのこと笑えないや)
溜まった想いを絞り出すように息を吐いた。
全身から力を抜いては、何度も想像した、でもきっと永遠に叶わないであろう光景を思い浮かべる。
(『もう逃げたい』って)
もしも言ってくれたら。どんな運命であろうと逃してあげるくらいには、私は彼らのことがーー
「…………ま、言ったところで仕方ないか」
カップを置いて体勢を変えないまま小さく伸びをする。
“勇者”ではなく私を信じてくれた、くれていたのだ。
あとは私の心一つだろう。
大切なもの以外全て捨てるから、その代わりなにひとつ奪わせない。
要は勇者になればいいんだろう。
ならば失うのは仲間じゃなくたっていいはずだ。
(弱音はこの夜で終わりにしなきゃね)
弱さは、人間の専売特許なのだから。
「なーに?…ふふ、珍しく優しい…………私は大丈夫だよ」
心配症な相棒を、前に抱え込む。
力を入れると心臓に冷たく硬い感触が広がった。
この温度だけは、なにがあっても最後まで側にあるのだろう。
確かめるように硬質な鞘をひとつ撫で、腕に力を込め直す。先程よりも、ずっと強く。
縋るようにその存在を胸に抱きながら、私はゆっくりと目を閉じた。
観覧ありがとうございます!
本作後編9割、連載の方の最新話8割の進捗なので推敲合わせても多分今週中には後編出せると…いいな…(希望的観測)という感じです。
長編用に考えてた設定を短編に縮めてるので話の流れがわからんって方が多いと思いますが、大丈夫です。後編でも多分ほぼなにもわからないです。特に神様関連。長編で書いても力量不足で伝わらなかったんじゃないかなこれ……?
どうやってティアが成り代わったかぐらいは薄ぼんやりと語られる予定なので多少もやついてもOKな方は後編もよろしくしてやってください…!
ネタバレありありのキャラ紹介も載せる予定です。