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ある日婚約者の心の声が聞こえるようになりました。

作者: 塩樹すばる

ちょっと前に書いた短編に手を加えて投稿します。

 ある穏やかな昼下がり。


《あーあ、めんどくさ。何が楽しくて婚約者を邪険にする男にニコニコしなきゃいけないのかしら》


 眼前で淑やかに微笑む絶世の美少女から聞こえてきた『声』に、第一王子フィリップは暫し硬直を強いられた。






 事の発端は数刻前———。


 フィリップは執務室でうんざりとしてその報を耳にした。


「ランバート侯爵令嬢がお見えです」


「……そうか。わかった、東屋に案内しろ」


「承知いたしました」


 侯爵令嬢の案内をしに行った女官が下がると、フィリップは小さく溜息を吐いた。


(またか……)


 表面上平然としているが、フィリップは苛立っていた。


 第一王子であるフィリップが王太子に内定して以来、婚約者であるシェリア=ランバート侯爵令嬢が三日と空かず訪ねてくるのだ。そのうえ、最近親しくなった元平民の男爵令嬢について、根掘り葉掘り訊ね、しつこいくらいに「立太子されるまでその男爵令嬢との接触はお控えください」と言ってくる。


 こちとらとっくに成人している上、王子である自分に婚約者とはいえ侯爵令嬢に人付き合いにあれこれ口を出される筋合いはない。男爵令嬢との付き合いも、友人の域にとどめたものにしているので尚のことだ。子ども扱いされているようで正直鬱陶しい。


(昔は可愛げがあったのにな……)


 婚約した当初は『フィル』『シェリィ』と互いを呼ぶほど仲が良く、シェリアが王宮に来る度に手を繋いで駆け回り、周囲を困らせていたものだ。たどたどしさの残る話し方で「しぇりぃね、おおきくなったらふぃるのおよめさんになるのー」と言うシェリアはとても愛らしく、フィリップを大いに満足させた。


 しかし成長し、王子妃教育が進むにつれ、シェリアは純粋な愛らしさを見せなくなっていった。王子妃教育を完璧にこなし、フィリップでさえ及ばぬほどの語学力を身に着け、浮かべる笑みは女神の如く。完璧かつ美しいことには違いないが、フィリップには少しくらい隙を見せてくれてもいいのではないだろうか。


 要するに自分が『頼りない男』扱いされているのが腹立たしい。




「——下、殿下!」


 はっとフィリップが我に返ると、フィリップを呼びに来た侍従がこちらを訝しげに見つめていた。


「ああ、すまない。何だったか」


「侯爵令嬢を東屋にお連れしました」


 そう言った後、ポーカーフェイスを崩して侍従は呆れたような顔をすると、周囲に誰もいないことを確認して、素の口調で尋ねてきた。


「どうしたんだよ、そんな遠い目をして。婚約者が訪ねてきたのに嬉しくないのか?」



 侍従はフィリップの乳兄弟で、二十年来の親友だ。二人きりの時はこうして気安い口調で話してくれる。


「嬉しいというか……ここのところお小言ばかりでな」


「あー、男爵令嬢のことか」


「まあな。正論なのは分かっているが、些か度が過ぎている」


 まぁ確かにな、と乳兄弟はガリガリと頭を掻いた。そして、何を思ったか懐から小瓶を取り出し、中から真珠ほどの大きさの玉を取り出して口に放り込んだ。


「む、なんだ? 一応仕事中だぞ」


「飴玉~。お前も一つどうだ?」


「遠慮しておこう。人を待たせているからな、飴を舐める時間は無い」


「まま、そう言わずに。毒味は済んでるし、小さいからすぐ食べ終わるって」


「なっ、おい!」


 フィリップは乳兄弟に飴を半ば無理やり口に放り込まれ、むぐむぐと大急ぎで舐める羽目になった。不思議なことに、飴はあっという間に溶けていった。オレンジのような、柑橘類の味がした。


「どうだ? 少しは機嫌直ったか?」


「……おかげさまで、今度はお前にむかついてるよ」


「そりゃどーも」


 乳兄弟はケラケラと笑い、口調を侍従のものに戻して、「侯爵令嬢をご案内致しましたので、東屋にお越しください」と述べた。




 東屋に向かうと、こちらに気づいた婚約者がカーテシーをして「ご機嫌よう、殿下」と儀礼的な挨拶をした。彼女の優美な佇まいに控えていた女官から感嘆のため息が漏れた。


「……掛けてくれ」


「はい」


 目を伏せ、軽く目礼して東屋のベンチに掛けた彼女からは、相変わらず感情が読み取れない。

 思わず眉根を寄せて彼女を見やる。すると、突然鈴を振るような声がした。


《あ、ま~た嫌そーな顔してる。悪かったですねぇ、愛しの男爵令嬢ちゃんじゃなくって》


(……え?)


 馴染みのある声で紡がれた言葉にフィリップは唖然としつつも表情を取り繕った。


 目の前の彼女が唇を動かした様子は無かった。しかしその声は紛うことなくシェリアのものだった。


《こっちだって義務で押し付けられて訪問してるだけだっていうのに》


 まさか———。



《あーあ、めんどくさ。何が楽しくて婚約者を邪険にする男にニコニコしなきゃいけないのかしら》



(シェリィの考えていること、なのか……?)



 婚約者と並んで、いやそれ以上に『完璧』王子と評されることの多い第一王子フィリップは、婚約者の『心の声』と思われるものとそのあまりの内容に凍りついた。




*     *     *




 手を伸ばし、紅茶の注がれたカップを持つ。そしてそれを口元に運び、ごくりと飲み下す。


 たったそれだけの動作だが、妙にティーカップが重く感じる。




《そもそも何なのかしら。私という婚約者がありながら男爵令嬢に現を抜かしている、って噂が流れ始めてるっていうのに、彼が何も対策しようとしないせいで私が尻ぬぐいするハメになるなんて、理不尽じゃない? ほんっといいご身分だこと!》



 わずかに磁器が触れ合う音をさせて、カップが置かれる。



《挙句男爵令嬢との関係に口を出そうものなら小姑を見るような目で見てくるし!! 嫌ならまず自分の振る舞いを振り返ってほしいものだわっ!》



(振る舞い……気を付けていると思うんだが……。何かしただろうか)



《大っ体私『愛妾を持つな』とは一言も言ってませんけど!? 時期が問題だって毎回言ってるのよ!! 事実はどうであれ、内定したとはいえ正式に立太子されていない今、私と不仲だと思われればランバート侯爵家が第一王子の派閥から抜けるのではないかとかいう誤解が発生しうるっていうの分かってらっしゃるのかしら!!?》



「……」


(いやそもそも愛妾を持つ気はないし、男爵令嬢ともそんな関係ではないんだが……)


 心中これだけ罵倒しているにも拘らず、表面上実に優美な淑女の仮面を被っている婚約者の顔が何故か真正面から見られない。あと冷や汗が止まらない。



「———殿下、どうかいたしまして?」


 唐突に声を掛けられてフィリップはびくりと身体を震わせた。……得体の知れない恐怖からではない、ということにしておこう。


「いや? 何でもないよ? どうして?」


 とっさに王族として培った鉄壁の笑みを浮かべて逆に訊ね返すと、シェリアは「何でもありませんわ」と女神の微笑みを返してきたが、目が笑っていない上、警戒の色を浮かべていた。


(危ないところだった……。気をつけねば)


 何故か婚約者とお茶会ではなく、全く意味のない化かし合いをしていることに気づいていないフィリップは胸を撫でおろした———のもつかの間。




《あの男爵令嬢も殿下が何も仰らないのをいいことに殿下の恋人として振る舞いはじめてるし! な~にが『殿下の寵愛が得られないからって嫌がらせはダメだと思います!』よ!? 嫌がらせとかしてないし、殿下の立太子までは殿下と親しくしすぎるのは控えろ、って言っただけでしょう!?》



(ッ!!?)


 咳きこみそうになるのをこらえて表面上平静を保ったが、フィリップの内心は動揺しまくりだった。


(は!? 恋人!? 寵愛っ!? 友人としてエスコートする程度の接触しかしてないんだが!?)



 それにエスコートといってもたった一回だ。


 男爵令嬢と初めて会った夜会で、広い宮殿内で迷った彼女を会場である広間まで送り届けただけだったのだが。侍従も一緒だったし、噂になるようなことはしていない。元平民なだけあってマナーはぎこちないものだったが、会場に着くまで世間話をしていると、平民視点での世情の話が興味深く、今後の政務の参考になりそうだったので、男爵令嬢に友人として色々話を聞かせて欲しいと頼んだのだ。


 それ以降も、ときたま男爵令嬢をサロンに呼んで、友人の子息たちと共に彼女の意見に耳を傾けていただけであり、恋人の振る舞いをした覚えは一切ない。



(何がどうしてそうなった!?)



 混乱した頭でぐるぐると考えていると、目の前の女神から、フィリップの心胆を寒からしめる一言が放たれた。




《はぁー……最悪お二人の素行調査入れて婚約解消も視野に入れようかしら。なにせうちの派閥の年頃の高位令嬢は私だけじゃないし》




「え゛」



「殿下? やはりどこか具合がお悪いのでは」


《初恋相手だからって夢を見過ぎたかしらねぇ。次期王として愛妾を作るのはともかく、婚約者を蔑ろにするのはいただけないわよね》



「いやそれには及ばん少し疲れているだけだ」



「……はぁ、そうですの」



(やばいやばいやばいやばい婚約解消される)



 その後、お茶会終了まで何とか表情筋を王子様スマイルに固定することに成功したが、背中の冷や汗が止まることはなかった。




*     *     *




「……なぁ」


「はい殿下」


「あの飴玉、なに」


 自室に戻ったフィリップは、侍従以外を下がらせて問いかけた。



 侍従はニヤリと笑んで言った。


「『舐めれば人の心の中が分かるようになる!?白魔女印の飴玉』ですねぇ。因みに一粒で2時間効果が持続」


「そこまでは聞いてねーよッ」


 フィリップは執務机に両肘をつき、組んだ両手に額を載せて地を這うような溜息を吐いた。



「で、ランバート侯爵令嬢の本音は聞けたかー?」


「聞けたも何も……」


「愛想尽かされかけてた?」



「何で分かる!?」




「そりゃあ、長年にわたり二人をそばで見てきたからなー。ここ数年、毎度のお茶会では会話することもめっきり減ってたし? 『殿下』は『ご婚約者』の忠言をウザがって右から左だし?」




「ぐ……っ!!」




「あの男爵令嬢の本性を見抜けなかったし? ああ、因みにお前以外にサロンに出入りしている子息はみんな気づいてたぞ」




「ぅっぐぅっ……!!」



「本性はともかく、そこそこ有能なのは確かだったから、平民の価値観を知るための貴重なサンプルとして見逃されていたけどな」



 侍従はカラカラと可笑しそうに笑った後、まぁ、ランバート侯爵令嬢も全く悪くないわけでもないと思うけどな、とこぼした。


「あくまで俺の個人的意見だけど、淑女教育で、感情を露わにしないように躾けられているとはいえ、完璧に被った猫をお前の前でも一切外そうとしないのはどうかと思うけどな。

だってさ、まだ内定とはいえ将来二人で国を背負うと定められたんだぜ? 貴族同士の事情なんかで何もかも正直に言えるわけじゃないとしても、信頼関係を築くためにある程度内面に踏み込ませるくらいのことは必要だろうよ」




 お前もその辺が不満だったんだろ。




 声音はからかうものだったが、侍従の目には労わるような色があった。



「まぁ……な」


 フィリップは僅かに視線を外して頷いた。




「今回の件、改めて二人できちんと話し合って来いよ。こういうのは『二人で』対処するもんだろ?」


「そうだな。……世話を掛けたな」


「俺はお前の侍従なんだ。これくらいは当然だろ?」


「ああ。感謝する。———ところで、なんだが」


「何だよ親友?」


 侍従がフィリップの方に満面の笑みで目を向けると、フィリップは実に見事な王子様スマイルを浮かべていた。但し、目が笑っていない。




「そういえば———お前も、飴玉を舐めていたよな?」




「……え?」


 それまで余裕げだった侍従の表情が固まった。




「まさかとは思うが……私とシェリィの心の中を覗いて楽しんだりなんか……してないよ、な?」




 ゾクゾクゥ……!!



 フィリップが小首を傾げて笑みを深めた瞬間、部屋が一瞬で氷河期に突入し、侍従の背筋に怖気が走った。



「ああああのですね、一種の不可抗力といいますか多分きっと聞こえてなかったといいますか———」






「即刻記憶から抹消しろ」


「サーイエッサー!!!!」






 後で聞いたところだと、侍従の裏返った叫び声は扉の外まで聞こえていたそうで、侍従はしばらく侍女たちから不審げな目を向けられる羽目になったとか何とか。










 何とかかんとか、フィリップから解放されてフィリップの自室から退出すると、俺は思わずはぁー、と溜息を吐いた。


「これでいい加減くっついてくれるといいんだが」


 昔は二人とも素直に愛情表現していたのだが、王族としての教育が施されるうち、段々とすれ違うようになっていってしまった。


 フィリップはフィリップで婚約者という立場に胡坐をかいて、ランバート侯爵令嬢が昔のように好意を伝えてくるのが当然だと思ってしまっているし、ランバート侯爵令嬢もフィリップに釣り合おうとするあまり、フィリップの前ですら貴族としての仮面を被ったまま、本音を晒そうとはしない。


 挙句、空回りして今回のような事態になった。


 しかし周りから見れば、二人ともかなり分かりやすく好意を示しているように思う。


 フィリップは夜会などの度に令息たちを牽制したり、本人も気づかないうちに耳をふさぎたくなるほどの惚気を垂れ流している。それに、政治力に長け『完璧』と名高い第一王子がわずかでも感情を晒すのは、俺を含めごくわずかな側近を覗けば侯爵令嬢の前だけである。侯爵令嬢以外の女性に鉄壁の『王子様』の表情を崩したところなど、俺は見たことがない。


 ランバート侯爵令嬢は心の中でもフィリップを罵倒するほど自分の感情に鈍いようだが、そもそも噂に対処するならば、まず事の次第を確かめようとするはずなのに、優秀な侯爵令嬢らしからぬことに噂の出所すら詳しく調査することもなく(調べようともしていなかったのは『影』の調査で明らかだった)、フィリップにあれこれお小言を言っていたのは、恐らくはきちんとした調査によってフィリップと男爵令嬢が恋愛関係にあると確定してしまうのを無意識に恐れたからだろう。


 要するに、『周囲に誤解を招くような行動をしないでほしい。ああでも噂通り恋人同士だったらどうしよう。信じたくない……』と悶々と悩んで、その苛立ちがややしつこいお小言となって表れていたのだと思われる。




 ところで侯爵令嬢は今回の噂が『出始め』だと認識していたようだが、実際はもう少し前から噂自体は流れていた。


 しかし、フィリップと侯爵令嬢が憎からず思い合っているのはもはや社交界の常識だったため、馬鹿馬鹿しいと一笑され、大して広がらなかったのである。


 因みに噂の出所は男爵令嬢本人とその両親だった。娘がもしかすると王子のお眼鏡に適うかもしれないと思ったようだが、とんだお笑い種だ。



「……まぁ何にせよ、二人が向き合うきっかけにはなるみたいだし、差し引きゼロかなー」



 さしあたっては。


 俺がゆっくり振り向くと、先程の奇声を聞いていたらしい侍女たちから遠巻きにされている。彼女たちの目は完全に不審人物を見る目になっている。


(これを何とかしないとだなー……)


 俺はまた深く溜息を吐いた。




* * *


2020/02/27 23:55 侍従視点の一部表現を変更しました。話の内容には変更はありません。


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