『充実という思想』
『充実という思想』
㈠
人間は毎日を充実したものにしたいと、思いながら生きている節がある。
㈡
しかし、物事には利益、不利益、があるので、充実していても、不利益を被りながら生きていることがある。
㈢
すると、本当の充実とは、一体何だろう、という疑問が出てくる。
㈣
利益だけを追求するなら、充実していなくても、その具現は可能であるし、利潤が出ているか出ていないかは、グラフにすれば、簡単に導き出せるだろう。
㈤
しかし、人間は、その様なことで生きているのではなく、生きているという衝動を実感して生きているのであって、その現象体験を、充実と規定するのである。
㈥
つまりは、充実という思想は、唯心論的である、利益、不利益は、唯物論的思考である、唯物論は、充実の範疇には、入らないだろう。