あとがき
『あとがき』を読むのが俺は結構好きだ。
この一文を読んで、私もワシもアチキもボクも! なんて方もいるんじゃないだろうか?
制作秘話だったり著者の何でもない日常についてだったりと、読まなくても本文には全く影響ないのだがちょっとした“ぬけ感”のある、あの文章が良い。
寧ろ本文の勘所について触れてあったりするので、実は『あとがき』と言っておきながら読む前の導入にも適しており落語で言うところのマクラ的な役割も担えたりするのだ。
『あとがき』はほぼ全ての本にあり、小説だったり新書だったり、辞書や写真集にまでよくよく読めば『あとがき』がある。
もはや『あとがき』は必須であり、それはどんな不出来なお話だって例外ではない。
今回はそんな『あとがき』にまつわる話だ。
連休が明け、積みに積み上がった仕事から逃げるように帰宅した俺は晩飯を腹に落とし込み、熱いシャワーを浴びた後、ソファーにぐったりと横になり何ということもなくスマホを触っていた。
一つ、また一つ。世界で起きたあらゆる出来事がスワイプする毎に指先に現れては消えていく。
面白いニュースつまらないニュース、腹立だしいニュース哀しいニュース、エロいニュースキモいニュース…毎日毎日よくもまぁネタは尽きないなぁと思いながら、いざ記事を読んでみれば何年も前のニュースを掘り返しただけだったりする。
同じだなと俺は思った。世界の構造ってのはとどのつまり俺と同じ構造をしている。
俺も仕事で終われる退屈な日々の中で、何年も前の出来事や思い出をしゃぶるように思い出して何とか自我を保っている。日記をつける習慣がある訳でもない俺がここ最近ずっと思い出しているのはベタに学生時代の事ばかり。そんなつまらない事をしながら、つまらない現実から目を逸らしていた。
そんなことを考えながらスマホを触っていると、とあるネット広告が目に留まった。「あぁ」と思わず声が漏れる。
『小説家になろう』このサイトの広告だった。ポップな文字で「君の応募を待つ」とかなんとか書いている。
何とも言えない、気恥ずかしさのようなものが胸の底から湧き上がってきた。
随分久しぶりに思い出したが、俺は昔このサイトに一編の下らない小説を書いていたのだ。
取るに足らない小説だった気がする。言ってしまえば黒歴史というやつなのかもしれない。
俺はソファーから起き上がり冷蔵庫から酒を取り出しコップに注いだ。
「しょうがねぇよなぁ」
妙に大きな独り言をごちた後、安い日本酒をやりながら手元のスマホで『小説家になろう』をググった。
気持ちとしては、卒業アルバムを見返すようなものだった。
何か生産的なことがあるわけじゃない。酒のつまみに昔の青かった自分を見て、適度に頬を赤くしながら悪くない笑みを浮かべて終わり、ただそれだけのつもりだった。
サイトには俺の書いた小説が確かに残っていた。
そしてもう一つ、書いていたあの頃には気付かなかった「書かれた感想」という欄が更新されていた。
なんだ? と思いながらもどうすればその感想を読めるのか分からず、先ずは自分の小説を読むことにした。YouTubeみたいにコメント欄は作品ページの下部にあると思ったのだ。投稿小説履歴にある唯一のリンクをタップする。
題名『14歳の俺を早く殺してくれ』
俺はタイトルを読んで笑ってしまった。あぁ、あの頃の俺はこんなにも追い詰められていたんだ。
この小説は、主人公である22歳の『俺』が気まぐれで応募したお笑い台本コンテストで入賞したという出来事をきっかけに、嘗てお笑い芸人を志していた14歳の『俺』が22歳の『俺』の就活にごにょごにょ言ってくるという下らない内容の話だ。
我ながら恥ずかしくなるくらいモラトリアムの狭間丸出しのクソ小説。モデルは勿論俺だった。
読んでいると、この話を書き上げた当時の事を嫌になるくらい鮮明に思い出した。
あれは親戚のコネでまず間違いなく受かる就職面接を終え、そのままその親戚に何軒もはしご酒に付き合わされた日の夜の布団の中でスマホで一気に書き上げそのまま寝てしまったのだ。
こうやって見返してみれば何とも青臭く酒臭い駄文だ。色々突っ込みたいところはあるが、取り急ぎ突っ込むなら14歳の俺の口調が幼すぎだ。元々精神年齢の幼い22歳の俺との差別化を図ろうとした結果、14歳の俺が幼児みたいになっているところがこの小説一番の笑いどころだ。
痛い不出来な小説だ。でも、恥ずかしながら嫌いにはなれなかった。
当時の俺はネットに疎く、YAHOOニュースとYouTube、そして幾つかのリクルートサイト位しか知らなかった。そんな俺が、就職が事実上決まった日に布団の中で「小説家になりたい」とでも検索したからこそ、この『小説家になろう』というサイトがヒットしたのだろう。そしてそのサイトで吐き出すように人生初の小説を書いたのだ。
俯瞰で見れば何とも切ない話じゃないか。負け犬の遠吠えをあの日の俺は布団の中で吠え続けていたのだ。
……いい感じに疼く。カサブタをペリペリと剥がしているような痛痒さのようなものを心の奥底に感じる。適度に顔は赤くなるし、頬は緩む。
俺は酒を注ぎ足し一息に飲んだ。透き通った日本酒が喉を通って胸を焦がす。
さて、と先程の感想を探したが、思っていた位置にはない。しばらく迷った挙句「小説情報を見る」の所にあるリンクから感想ページに飛べる事に気付いた。
酔った勢いを借りながら、人差し指でそのリンクを少し強めにタップした。
――感想を読もうとしたあの時の気持ちを説明せよと言われると難しい。気持ちの大部分は「どうせ悪口か、はたまた怪しいリンクを貼られてる程度だろう」と思っていながら、どこかワクワクしてる自分もいるというか……四捨五入すれば期待はゼロなんだけども恥ずかしながらほんの少しは期待してて……みたいな。小学生の頃バレンタインデー当日朝一番机の引き出しに手を突っ込む瞬間。それが感想ページに飛ぼうとした瞬間の俺の気持ちに一番近いかもしれない。――
『今の自分がすごく読みたい文章でした』それが最初に飛び込んできた文章だった。
俺は心臓の鼓動が一気に早くなるのを感じながら、どこかの誰かが書いてくださった感想を読む。
ある人は『すごく共感しながら一気に読みました。(中略)やっぱり小説はいいものですね。こういうコメントが場違いだったりしたらごめんなさい。夢を諦めるのは本当に難しいですね。若いと特に。どうやってみんな現実に移行したんだろう。苦しくないのかなって思います。』と想いを編んで下さって、またある人は『面白がったです。わたしもいま就活していて、過去の自分に囚われていることろとか。(中略)わたしは14歳のこを大事にして欲しいと思った。』とこんな俺の駄文にご自身の人生も絡めた言葉を結わえて下さっていた。
胸の奥底に小さな火が灯るのを感じた。
酔いが醒めた、これが夢ならばどうか醒めないで欲しいと心底願った。
震える指でスクロールした先に最後のコメントが残っていた。
『私は貴方様の小説の事を忘れません。思っていることの半分も伝えられませんが、こんなに素敵な小説を読ませていただいてとても嬉しかったです。ありがとうございました』と、あった。
俺はたまらず一息吐く。
もう限界だった。
胸の奥底に灯った小さな火が、世界中の誰にだって止められない程の勢いで全身に燃え広がっていくのを感じる。そして気付けば俺はソファーから飛び上がり叫んでいた。
「ド畜生! こちらこそだろうが!」
何が畜生なのかさっぱり分からない。だけどもこの気持ちを表現するなら間違いなくそれは「ド畜生!」という激情であり、「こちらこそ」という渾身の感謝だった。
初めてだったのだ。自分の作った何かに言葉を寄せて貰ったのが。
無論感想の全てが手放しで褒めている訳ではなく、俺の文章の至らなさを温かく指摘下さっている部分もある。あぁ、もうそれすら勿論「こちらこそ」だった。
俺は知らなかった。誰かにこんなどうしようもない自分に寄り添って貰ったり背中を撫でて貰ったりっていうのは、もう本当死んでもいいって思えるほど嬉しい事で、大袈裟じゃなく生きていてよかったと気付ける事なんだってことを。
どうしたって尽くせない程の感謝の気持ちが溢れ出る。
そう言えば、とふと気付いた。
自分が14歳の頃から好きな小説家はいつもあとがきの最後は必ず読者への感謝の言葉で締めくくっていた。
14歳の頃も22歳の頃もその本当の意味を、重みを分かっていなかった。
俺は改めて手元のスマホの画面に目を落とす。
俺の処女作には何かが足りない。
それは、透き通り触れれば壊れてしまいそうなほど美しい文章力でもなければ、底が見えないほど深くまで張り巡らされた語彙力でもない。
『新規小説作成』気付けばそのリンクに指が伸びていた。
タイトルは「あとがき」だ。
俺は溢れる想いに必死で手綱を手繰りながら言葉を編んだ。
ルール違反の小説だ。読んでくれた方の感想を元に紡ぐなんて。ましてやそれがお褒めの言葉ということで、野暮さ加減が留まるところを知らない。
松尾芭蕉が「褒められた あぁ褒められた 褒められた」なんて句を詠むか? いや詠まない。
でも、もうダメだ。この想いは吐き出さずにはいられないのだ。
酒でビショビショのズボンにも構わず、俺はソファーの上で無我夢中で書き続けた。
まるで初めて小説を書いたあの日みたいだ、そんな事をふと思った。