第36話 真相
急いで戻ってきた有悟君とともに私は屋上に向かう。
中央階段を上がって行き、生徒が普段は立ち入らない四階の上へ――扉の前のちょっとしたスペースは清掃の備品が収められている、掃除用具入れが並んでいて、私の遺体もそこで見つかった。
それを横目に有悟君は慣れた様子で屋上の扉を開錠し、屋上の扉を開ける。扉を開けると同時に眩しいほどの光量の夕焼けが私たちを屋上へと導いてくる。
私と有悟君は屋上に出ると、鮮やか過ぎる夕焼けに染まる空に目を奪われ、しばらく言葉を発せずにいた。
私は空から視線を下に戻し、有悟君の横顔を見つめる。その横顔になんて声を掛けようか――そういえば、あの日も同じように悩んでいた。
「今日は空が綺麗だね」
私はあの日と同じ言葉を同じ相手に投げかける。有悟君は驚いたような表情を私に向ける。
「うん。そうだね」
と、返事をする。有悟君は扉の脇の壁に背をつけるように座り、空を見上げる。私はその隣に座り、有悟君の顔を見つめる。時折通り抜ける風に揺られる髪の間から見える目にはあの時とは違ってちゃんと温かさを感じる。
有悟君はそのまま私の方を見ずに、
「いつから気付いていたの?」
と、静かに話を切り出す。
「違和感は私が幽霊になったその日からあったよ。その違和感は日に日に強くなっていって、決定的だったのはお兄さんが家に来たあの日かな……」
有悟君は静かに聞いている。
「それにね、有悟君には話していなかったけれど、私の記憶は少しずつ戻っていたのよ。それに気付いたのは後になってからだけど、沙苗たちから話を聞いた日には、私は君が犯人なんだと知っていたよ」
「それなのに、君は……朱香さんは僕に何も言わず、笑ったりしていたの?」
「そうだね。おかしいかもしれないけど、私は有悟君と話したり、そばにいるのが楽しくてさ……もしかしたら、有悟君は私といることは辛かったかもしれないけど」
有悟君は何も答えない。
「有悟君はさっき私の死の真相を明らかに出来なかったと謝っていたけれど、私はちょっとホッとしていたんだ」
「なんで? 僕がわざと犯人を見つけないでいたことにも気付いていたのに?」
「うん。でも、この数日、有悟君は犯人を捜ししていたでしょう? それはきっと自分の身代わりにするに丁度いい犯人役捜しだったのかもしれない」
「そうだね。朱香さんの言うとおり、僕は犯人役を捜していた。でも、結局誰も犯人役足りえなかっただけだよ……」
私は小さく首を横に振る。
「ううん。有悟君なら、何かしら理由をつけて村中君か島野君を犯人に仕立てることができたと思うんだ。特に村中君。気が弱い方で、話す相手も少なくて、状況的にも犯人をなすりつけるのは難しくなかったと思う。だけど、有悟君はそれをしなかった。もししていたら、私はきっと今、こんな穏やかな気持ちで君と話してない。たぶんすごい怒っていたと思う」
「でも、僕は卑怯者だ……自分のしたことを未だに白状できずにいる」
「でも、それは勇気のいることだから……」
有悟君は膝を抱えて、空を見つめたまま大きく息を吐き出す。
「ねえ、朱香さん。さっき違和感を感じていたというけど、僕はそんなに大きなミスをしていたのかな?」
私は視線を同じように空に向ける。そして、目を瞑って、何に違和感を感じたかを思い出す。
「まず、最初の違和感というかおかしいと思ったのは有悟君が忘れ物をしたということ。有悟君もたまには忘れ物をするかもしれないけれど、私は有悟君が何かを忘れたということを見たことも聞いたこともなかった」
「それはちょっと僕のことを過大評価しているんじゃないかな?」
「そうかもしれない。でも、都合よく忘れ物をしていたから有悟君が非常階段にいたということの証明になったけれど、それだけではいつからあそこにいたかまでは証明できていないんだよ」
「そうだね。僕もそれは苦しいと気付いていたよ。でも、あのときはこれが最善だと思っていた」
「それはそうかもね。有悟君と小崎先生の話からもなんとなく気付いていたけれど、有悟君には誰も踏み込めないし、踏み込もうとしないから、それでも十分だったんだよ」
「納得しきれないと感じていたのは兄さんくらいのものだったしね。それで、僕の放課後のアリバイの不確定さだけで僕を疑い始めたの?」
有悟君はこんな話をしているというのに、世間話をしているかのようなトーンで話していて――きっと私も思いつめている風ではなく、こんなことがあったねと思い出話を話しているくらいには軽い口調だったのかもしれない。
「ううん。まだまだあるよ」
「そうなの? あんまり実感ないな。僕は何をしていたの?」
「何かをしていたわけではないよ。きっとクセだったりそういうところだったり、ふとした会話や仕草だったり――」
「どういうこと?」
「ねえ、有悟君。ペン出して?」
有悟君は言われたとおりにブレザーの内ポケットから右手でペンを取り出す。
「ペンがどうかした?」
「そのペン、村中君が私のだと思って拾っていたものだよね」
「……よく気付いたね」
「最初は気付かなかったよ。お兄さんがペンのことを指摘して、二本あるんだと気づいたときに、初めてそのペンに関しての違和感の正体に気付いたもの」
「あれは僕もしまったと思ったよ。でも、あの状況では朱香さんにだけ隠すというのは無理だったんだ」
有悟君は小さく笑いながらぼやいた。
「それで、僕はペンで何をやらかしていたの?」
「有悟君って、普段筆箱を持っているけどあまり使わないんじゃないかって気付いたの。喫茶店で課題やるときも最初筆箱を出さずにポケットに挿しているペンで解こうとしたでしょ? でも、自分のペンはあのとき持っていなくて、さらに私のペンはいつもと反対側のポケットにわざわざ入れていて、それはシャーペンでもないし、なにしろ私の前で使うなんてあのときはできなかったんじゃないかな?」
「本当よく見てるね」
「うん。私は、私が死んだ当日から君の事をずっと見ていたんだから」
私がそういって有悟君に笑いかけると、有悟君は驚いた表情を浮かべていて――それがおもしろくて私は思わず笑ってしまう。
「ペン以外にも、私の痣を見て事件のあらましを推測して披露してくれた時も、“右手で相手の右袖を掴んで抵抗した”と言ってたのが引っかかったんだよね」
「なんで?」
「有悟君、相手に正面から首を絞められて、右手で相手の袖を掴んだらそれはどっちの手になる?」
有悟君は右手をあげて宙で何かを掴むような仕草をする。
「左手……かな。そうか……僕は犯人でないと知らないことを知らず知らずに言ってしまっていたんだね」
「うん。でもそれは、絶対に左手ってわけではないんだけどさ。でも、他にも家政婦の紗和子さんだっけ? 喫茶店で取れたシャツのボタンを付け直して貰うためのお願いをしたとき、またつけておきますみたいに言っていたのよね。またってことはボタンを最近も付けたってことでしょう? その理由が分かったのはお兄さんが自分の制服のありかを聞いたときかな。有悟君と同じで覚えがいいであろう人が処分したのならきっと覚えているよね?」
「それは兄さんのことも過大評価していないかな? あのときの兄さんを見て分かる通り、けっこう色々なことを忘れてるよ。でも、そうだね……朱香さんが亡くなった時に持っていたボタンは僕のもので間違いないよ。そして、君の推測通り兄さんの制服からボタンを取って付けてもらったんだ。兄さんの制服は僕の部屋のクローゼットの奥にしまっているよ。機を見て戻すなりしようと思ったんだけれど、その機会は朱香さんがそばにいると戻すタイミングがなくて、さらに間の悪いタイミングで兄さんが帰ってきてね……」
「そっかあ。ねえ、有悟君。よかったら君の口から、何があったか話してくれるかな?」
有悟君は空を見ながら、笑っているのか口の端がわずかに上がっているようで――。
「そうだね。あれは――全ては僕が今まで積み重ねてきた間違いや思い違いが、引き金になったことだったんだ。それでも、聞いてくれるかい? 一人の情けない人間の話を――」
有悟君は事件のあった日のことを話し始めた。
私にも今なら分かる。それは不幸なすれ違いやちょっとした行き違いから起きたもので――今の有悟君だったら起こりえなかった事件の話――――。




