第14話 進展
有悟君と一緒に登校し、教室の扉を有悟君が開けて入ると一瞬だけ視線が集まる。そして、何人かは露骨に嫌なものを見る視線で有悟君の方を見てくる。有悟君はそれを受け止めつつ何事もないように自分の席に座り、鞄から教科書と筆記用具を取り出し、机に入れる。そして、鞄から小説を取り出し、それに目を落とした。
他のクラスメイトは――ほとんどが昨日出された課題を協力して解いたりだとかしていた。沙苗は鞄はあるけれど、教室にはいない。お手洗いかどこかに行っているのだろう。美菜は自分の席で淡々と課題をこなしているようだった。
予鈴のチャイムに合わせて、沙苗は急いで教室に戻って自分の席に着いた。
本鈴のチャイムが鳴る前に広谷先生が入ってきて、チャイムと同時に出欠を取り、連絡事項を伝える。
欠席したのは、今日も村中君だけで、そのことに対しては誰も気にしようとはしなかった。村中君も思い起こせば有悟君とは違った感じでクラス内で空気のように扱われていた。成績は上から数えた方が早いほどなのだが、人と話したり関わるのが苦手な彼は、プリントなどの収集物を持って行かされたり、委員を押し付けられたりだとか面倒な仕事をさせられていて、それ以外では基本的に相手にされないといった感じだった。私は美化委員に立候補したけれど、村中君は悪意のある他薦だった。
そして、ホームルームが終わり授業が始まる。有悟君は教科書を眺めながら話を聞くだけ聞いていて、当てられることもなく退屈そうにしていた。
午前最後の授業が終わると、帰る前にホームルームをするので帰らないようにと伝えられた。そして、五分もしないうちに広谷先生が仲島先生を引き連れて入ってくる。仲島先生の手には大量のプリントがあり、それを教壇に置くと、仲島先生は教室の後方の定位置に移動する。教室内には昨日にも見た光景が広がり、生徒達にはにわかに重たい空気が流れる。
そんな生徒のリアクションを広谷先生は教壇から見渡してから話し出す。
「みんな、どうした? 空気が重いぞ。ああ、そうか。このプリントの山を見て身構えてるわけだ。それは無理もない。君たちは優秀な人間だ。勉強もできて、空気もそれなりに読める頭も持っている。そんな察しがいい君たちはこれが何か思い当たるだろうなー、うんうん。これは、急なこととはいえ、二日間も午前授業でその遅れを気にしてしまうものも出てくるかもしれないと危惧する、そんな君たちへのプレゼントなわけだ。そんなわけで今日の午後から週末の時間を有意義に過ごしてもらうためには昨日渡した課題だけでは物足りないだろうから、追加の課題ってやつだ」
教室には抗議のブーイングや諦めのため息がそこかしこから聞こえてくる。それを広谷先生はオーケストラの指揮者のように手で制してからプリントを配り始める。
配られたものは束になっている課題のプリントと、保護者に宛てた事件のことが簡潔に書かれた一枚のプリントだった。有悟君はその全てにさっと目を通し、軽く頷いてから鞄の中にしまう。それを見て私は、有悟君にはこの程度の課題では苦労すらしないのだろうなと羨望の混じった視線を送る。
そして、広谷先生は絞めの挨拶をして、解散となった。
沙苗が美菜に、「これからどこかで課題一緒にやらない?」と誘われていたが、「ごめん。今日はこれから予定あるの」と足早に教室を出て行った。沙苗は課題が大量に出たときなど追い込まれると、人に頼ろうとするタイプで、いつもなら自分から率先して声を掛けて誘うような女の子なのにそれをしないのはちょっとだけ違和感があった。夏休みの課題の時に沙苗に泣きつかれるように頼られてノートを見せたのは記憶に新しいところだ。
有悟君はというと、すぐには帰ろうとはせず、クラスメイトが帰っていくのを横目に小説を開いていた。廊下は生徒の歩く音と話し声で騒がしく、有悟君はそのなかにいるのが苦痛なのかもしれない。
廊下の音や気配が一段落すると、有悟君は小説を鞄にしまい席を立った。そして、私のことを気遣いながら扉を開け、今日もまた非常階段の方に向かって歩き出す。昨日と同じ有悟君いわく穴場スポットの二階と三階の間の踊り場に腰掛ける。
「ねえ、有悟君はいつもあんなに退屈そうに授業受けてたの?」
「まあ、今日の数学は仲島先生の方じゃないから抜け出してもよかったくらいだし、他の授業も特に何かしなきゃいけないこともなかったし、そういうときはいつもあんな感じかな」
「私だったら、ノート取ったり、先生の言った大事そうなことをメモしたりとか時間が足りないくらいギリギリなのになんかずるい」
じっとりした重みのある視線で有悟君を見つめる。
「そう言われたってさ、授業中に当ててきたりとか絡んでくる先生ってさ、広谷先生と仲島先生くらいなもんでさ……ああ、あとは生物の大川先生もか。とにかく、それ以外の授業中は基本ヒマなんだ」
「ああ……まあ、なんて言っていいのやら……」
そういえば、さっき仲島先生じゃない方と言われた数学教諭の木本先生は一年生の時に有悟君にコテンパンにやられていたような覚えがある。有悟君が当てられて、黒板で解かされた時に、先生よりも分かりやすくかつ早く答えにたどり着く解法を披露していて、その解法を知らなかったのか先生は見当違いの批判をして、有悟君にきっちりと説明の上書きをされて以来、有悟君に対して怯えた目で見るようになっていた。あの様子ではおそらく、最初から有悟君のことは他の一部の先生、例えば現代文の遠山先生と同じのように要注意人物としてマークしていて、有悟君の鼻っ柱を折ろうとして返り討ちにあったのだろう。
本当に有悟君はしなくていい苦労をする人なんだと、今になってよく理解できる。
「あっ、そうだ。朱香さん」
「は、はい!」
「えっと……下の名前で呼ぶの止めようか?」
「いや、大丈夫。たぶん、大丈夫だから」
下の名前で呼ばれることに慣れてないのは見透かされているようだった。実際、同年代の男の子から下の名前で呼ばれることは今まで経験がなかった。なので、呼ばれるたびにビクッと体を固まらせながら、不自然な返事をすれば誰にでもバレバレだろうけども――。
「それじゃあ、朱香さん。これからさ、村中君の家に行こうと思うんだけどさ、そのときに僕と朱香さんの関係は、恋人だったということにしておいていいかな? そのほうが聞きやすいこともあるだろうし」
「えっ、あっ……うん。いいよ」
生前、“恋人”というワードに縁遠かった私が死後、そういう言葉に触れることになるなんて思いもしなかった。
有悟君と恋人――なんだか悪くない。
………………何ということを考えてしまっているのだろうか? 顔が熱くて仕方ない。
私と有悟君は、私の死の真相を解明するために一緒に行動しているだけなのだ。だから事件に繋がることを有悟君に何か伝えないと――私はふと首元にそっと手をやり、その首元にやった左手の手首を右手で押さえる。
「あのさ、有悟君――」
「どうしたの、朱香さん?」
言葉が上手く出てこない。けど、伝えなければならない。
「私の首元と左手の手首には痣があるんだ……きっと殺されたときについたものだと思う」
有悟君は私の首元をまじまじと見ているようだった。そして、近づいて凝視する。
「朱香さん、首元が見えるように髪を上げるなりしてくれないかな?」
私は言われた通りに髪の毛を両手で後ろに束ねるようにして持ち上げ、首元を晒す。有悟君は私の首を注意深く見ながら前後左右から観察する。ジロジロと見られるのはなんだか恥ずかしい。そんなことを考えていると、
「ありがとう、朱香さん。もう下ろしていいよ」
と、正面に戻ってきていた有悟君に声を掛けられる。私は髪を下ろし、さっと手櫛で整える。
「じゃあ、今度は左手の手首見せてくれる?」
今度は制服のシャツを軽く捲り上げて、痣を見せる。有悟君は首を傾けながら角度を変えながらじっくりと観察する。
「有悟君……何か分かった?」
「ああ、うん。ありがとう。袖戻してもらっていいよ」
「それで何が分かったの?」
私は袖を伸ばしながら尋ねる。有悟君は自分の左手首を右手で掴み方を変えながら何度か握っていた。痣の形からどういう状況かを再現しているのだろう。そして、一つの握り方でうんうんと一人頷く。
「あのー……有悟君?」
「あっ、ごめん。どこから説明したらいい?」
「おまかせします」
「えっと、まず、左手の手首の痣は多分、後ろから右手で掴まれてできたものだね」
「そんなこと分かるの?」
「うん。指の痕の付きかたで分かるんだ」
私は左手の手首で再現すると痣と右手が重なる。
「あと、首の痣なんだけどさ、これは正面から手で絞められた痕だと思うんだ。これは親指側の痕が前についてるからね。そして、一つ分からないことがあって、首を絞められて抵抗した痕がないんだ」
「どういうこと?」
「首を絞められると本能的に絞めらている首と手の間に指を入れようとして首に引っかき傷みたいな痕ができるんだ。それのあるなしで他殺か自殺かを判断する一つの材料になるんだよね。でも、昨日の帆南先生から聞いた話だと朱香さんの遺体は掃除用具入れにあったんだから、殺されてることは間違いないんだ」
「そう……だね」
「で、昨日のことと合わせて考えるとある程度、事件の概要は見えてきたよ」
「……話してくれないかな?」
有悟君は一度頷いてから口を開く。
「朱香さんが殺されたのは一昨日の放課後。場所は屋上の扉の前かその周辺。朱香さんは犯人の元を立ち去ろうとしたところを手首を掴まれて止められた。そして、犯人の方に向き直り、首を絞められた。で、抵抗はしたが相手の右袖を右手で掴むのが精一杯で最後の力でブレザーの袖のボタンをちぎって事切れた。その後、犯人は掃除用具入れに朱香さんの遺体を隠して逃走――」
有悟君は事件のあらましを推測する。自分の身に起きたであろう仮説だがそれなりの根拠のある推理で――。私は緊張感から思わず息を呑む。しかし、何かが引っかかる。
「それで朱香さん。犯人は朱香さんとはおそらく顔馴染みだと思うんだけれど、そういうことになりそうな相手に心当たりはない? ちょっと範囲は広くて申し訳ないのだけれど――」
「ごめん。それだけじゃあ、相手は絞り込めない。もっと何か絞り込めるようなことはない?」
「帆南先生の話からすると、美化委員の活動中に事件があったんだと思うんだ。朱香さんの性格からして、委員会の活動中に抜け出して誰かと会うなんてよっぽどのことだと思うんだ」
「そうだね。普段の私なら――……って、ちょっと待って!? 有悟君が何で私の性格を知ってるの?」
「それはさ……約一年半同じクラスだったんだからそれなりには見えてくるよ」
「そうかもだけどさ、有悟君にはどんな性格に見えてたの?」
「昨日も言ったけど努力家で人が気遣えるタイプ。あとは責任感強いというか、何事にも真面目に取り組んで、手が抜けない性格だと思ってたよ」
「えっと……うん、その。有悟君にはそう見えてたんだ。嬉しいというかなんというか……」
私はよく見ているなと思った。見られていたと思うと気恥ずかしくなって、有悟君にほめられるのは素直に嬉しかった。
「まあ、それは置いといてさ……そういえば、前から聞いてみたかったんだけど何で美化委員? 美化委員なんて正直面倒くさい委員の筆頭だよね。それなのに一年の時も朱香さん、美化委員に立候補してたよね?」
「ああ、それ似たようなこと沙苗にも言われたなあ。あんな面倒くさい委員会に立候補するなんてあんた物好きよねって。それはさ、今後のための内申とかのポイント稼ぎって面もあるんだけど、掃除自体がけっこう好きなのよ。掃除ってさ、基本やればやるだけ綺麗になるじゃない? でも、やり方が悪かったり手を抜けばどんなに掃除をしても綺麗にならないんだよね。なんというかさ、正しい手順でコツコツやってれば報われるってわけじゃないけど、そういうのが性に合うというか好きなんだよね」
有悟君はそれを黙って聞いていた。
「えっと……有悟君? なんか反応がないと怖いんだけど……」
「あっ、ごめん。なんだか朱香さんはすごいなと思ってたんだ。報われない可能性もあるけどそれでもコツコツとやるなんて相当我慢強いし、そういうところ早くに知ってれば見習おうと思ったかもなあ」
「今からでも見習ってもいいのよ?」
私は大げさに胸を張ってみせる。
「そうなんだろうけど……僕には正しいことをコツコツ続けられるほどの根気はもうないんだ」
「それって、どういうこと?」
「ごめん、忘れて。じゃあ、そろそろ移動しようか」
有悟君は立ち上がり、鞄を肩に掛け階段を下りていく。私は有悟君の影がさしたような表情と言葉に引っかかりを覚えながら、彼の後を急いで追った。




