いじめ(実話)
私は中学一年の二学期に札幌へと転校しました。
二学期という中途半端な時期にきてしまいクラスではほとんどグループができていてなかなか馴染めずにいました。
仲良くなるには時間がかかりましたが、二カ月もたてばクラスに馴染んで楽しくやっていました。
そんなこんなで、時期は学校祭が近くなってきた頃から女子からはぶかれるようになりました。
その頃はなぜなのかわからず、ただひとりでいるしかなかったです。
だんだんひどくなり、近くを通ると
「うわぁーきた」とか「きもっ」とか聞こえるように言ってくるようになりました。
小学生みたいに少し触れたりすると呪いなんて言ってきたりしました。
でもその頃の私は、それだけでもショックでした。
先生にも親にも言えずただためこんでしまっていたのですが、他のクラスの部活の友達が私に気づいてくれて先生に言ってくれたそうです。
そのあとに、クラスの女子が謝りに来てくれました。
私はやっとこの状況から抜けられることにすごく歓喜しました
あとあとに聞いた、私をいじめた理由。
それは、クラスのボス的な人の好きか人と席が隣だったからという、なんとも言えない理由でした。
そんな理由で私はあんな思いをしたのかと怒鳴りつけてやりたかったのですが、もう二度とあんな思いをするのはいやだったので何も言えませんでした。
これが、私の一年の頃にあったいじめでした。
そして、二年になりました。
クラス替えがあり、仲が良かった人とも一緒になれて楽しいクラスになると思っていました。
異変が起きたのは二学期に入ってしばらくしてからでした。
最初は、ちょっとそっけない態度をとられて一年の頃を思い出してやばいと思って何が原因なのかと考えてもわからず、そのうち物がなくなるようになりました。
またひとりになり、呪いとか陰口程度なら慣れてしまいあまりダメージはなかったのですが。
死ね、消えろ、学校に来るな、生きている価値がない、と言われたときはかなり胸に刺さりました
それでも、部活もレギュラーになれて休めないと思い学校へ行き続けました
私が初めて学校に行きたくないと思った出来事がカッターで腕を切りつけられた時でした。
はじめは、何されたのかわからず呆然としました
だんだんと腕がじんじんしてきて、そこではじめて切られたことに気づきました。
なんで・・・そう思ったとき私を切りつけたクラスメイトが言った一言に私は凍りつきました。
「あんまり深く切れなかったね(笑)」
周りの子たちもクスクス笑っていました
そこに先生が来て「どうしたんだ」と聞いてきました
私は本当にやばいと思いおもいっきって言おうとしたら、クラスメイト達が
「手が滑って落ちちゃって腕が切れちゃって、どうしたらいいですか」
そんなことを言って私を心配するふりをしてきました。
結局処置をしてもらいなんともなかったのですが、あれ以来学校が、クラスメイトがとても怖くていつか殺されるのではないかと・・・
でも親には言えませんでした
私の家は正直最悪だと思います
父は気分屋な人で、かなり暴力的な人だと思います
父は気分が悪かったらすぐ怒鳴ったりします。
反抗すれば叩かれたり、けられたりします。
母は気の強い人です。
口では勝てないし、遠慮のない人で聞いてほしくないこと言ってほしくないことをズバズバ言います
具合が悪いのだといっても熱がなければ休むなんてことはさせてくれませんでした。
私はそんな親が大嫌いです
こんな親だったから言い返すなんていう選択肢はありませんでした。
もし言い返したら父には殴られていただろうし、母には口で負けると思うし、ただため込み続ければいいのだと思っていたし、いじめられてることを言っても助けてくれないと諦めてました。
でも学校には行きたくないので、母が仕事の日は自分で学校に電話して母のふりをして休みの連絡を入れていました。
軽い不登校になりつつ三年生になりました。
三年生もクラス替えがありました
二年の時の担任、そして私をいじめていた主犯の人も同じクラスでした。
それだけでも憂鬱でしたが学校を休んでたいことを親にばれてしまい三年からはまじめに通えと怒られてしまい休むことができなくなってしまいました。
はじめの頃は部活の仲間のところへ行きなるべく一人にならないようにしていました
だけど、ずっとそういうわけにもいかず私が一人になるときに周りに集まってきて「よく生きてられるね」「死になよ(笑)」「私なら学校に来られないわ(笑)」などとわざわざ直接言いにくるのです。
部活がない日の放課後に連れ出され万引きをして来いと言われたことがありました。
言われたものを万引きしてそれを彼女たちにちゃんと渡せれば成功
店の人にばれて警察にお世話になったこともありました。
その次の日からは、私は泥棒と噂されました。
自分でもバカみたいなことをしたと思っています・・・
それでもあの時の私は従わないと殺されるかもしれない、そう思ってただ従うことしかできませんでした
そのすぐあとでした、主犯の子の家に呼ばれて行きました
行かないなんていう選択肢はありませんでした
何をされるか、わからなくてただ怖くて主犯の子も最初は謝っていてやっとこのいじめから解放される
そう思ったときでした
いきなり主犯の子のお兄さんとそのお友達が入ってきました
いきなりの状況で意味が分からなかったけど、瞬時にやばいと思い逃げようとした時にはもう遅くて捕まえられてしまいました
逃げようともがいても成人男性に力では勝てなく服を脱がさてれいきました。
どんなに泣き叫んでも、助けてといっても、ただ逃げることもできずその行為を受けるしかありませんでした
その日はもうわからない状態で、でもただただ逃げたくて行為が終わってすぐに服を着て逃げて帰ってきました
ばれないようにすぐにシャワーを浴びて部屋にこもりました
そのあとは本当に地獄でした
ヤリマンとか男好きだとかいろんな噂が流れました
それだけではなく、そのあとから悩んで、悩んでもう三カ月たっても生理が来なくてどうすればいいかわからず悩んで、悩んで
もう訳も分からなく、もういやだって思って死にたいと思った
だんだん学校に行くのがつらくなって、ある日学校の前まで来てそこから入れなくなってしまいました
そんな私を見つけてくれた部活の先生が保護してくださり、何とか保健室まで行きました。
そのあとに担任が来てどうしたのだと聞いてくれて、それが嬉しい気持ちともう一人で抱え込むのもつらくて「いじめられて教室に入るのが怖い」と言いました
一年の頃の先生みたいに助けてくれるのではないかと期待してのSOSでした
しかし、担任は私に「それはお前に非があるからじゃないのか」と言いました
その言葉聞いてこの教師はあっちの味方なのだと思い知りました。
私がどんなことをされて、今どんな気持ちなのかなんも知らないくせに
私は教師というものに絶望しました
それから受験が近くなるにかけてひどいものは少なくなりました
陰口などは相変わらずでしたが少しだけ気が楽でした
そのあとは結局なぜ私が標的だったのかは全く分からずじまいで中学を卒業しました
もうこの学校に来なくてすむと思うと卒業式の日はとても心が安心しました
卒業後は妊娠が結果的にしてなくて無事に高校に入学することができたのですが教師もクラスメイトも怖くなっていきうまくいかず、一年もたたないうちに中退してしまいました。
なぜ私がこの話を書いたかというと、私の言えなかったこの話を誰かに共感してほしかったのと
どうか私のようにいじめられて苦しんでいる人を助けてほしいという気持ちを込めて書きました
そしてつい最近私をいじめていたグループの人と再会し謝られました
あの時どうしてわたしをいじめたのかを聞いたら誰でもよかったそうです
ただ私が転校生だったからなんとなく。だそうです。
それだけの理由でいじめはおきるのだと思いました。
もっと、いじめについて厳しく取り扱ったほうがいいのではと思います
いじめられた者の逃げ道は死ぬことなのじゃないかと思います
確かに死んだら楽になると思います
けど死ぬのが怖くてただいじめに耐えることしかできない人もいるのです
どうかそんな人を救ってほしい
それが私の願いです
そして何より教師が一番に考えないといけないのは生徒のことです
生徒のことをしっかり見て小さなSOSを気づいて助けてください
生徒に絶望される先生にはならないで、信頼されていい先生が増えることを心からの願いです
ここまで見てくださったみなさんありがとうございます
伝えたいことがちゃんと伝わっているといいのですが、どうも文章能力がなくて
私の話で何か少しでもいじめについて思って心がけてもらえたら幸いです
ほんとに最後までありがとうございました