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2014年は、24年の俺の人生の内で最悪の年だった。
と言っても、俺の人生で良かった時期は、両親が死ぬまでの19年間だけだ。
町工場を経営者だった父と、専業主婦だった母。
裕福ではなかったけど、一人っ子だった俺はそれなりに溺愛され、不自由なく育ち、大学にも入れた。
毎年、家族三人でスキー旅行なんて行ってたっけ。
岐阜県某市のスキー場は、子供の頃から毎年行った思い出のゲレンデだった。
俺が19歳で、大学の1年生だった時、両親は突然他界し、俺は退学を余儀なくされた。
それから地元名古屋の自動車工場に就職し、会社の寮に一人で住んで、何とか生計を立てた。
両親が死んで、保険なんかが入るかと思いきや、そんなものは全くなかった。
自営の工場の借金を苦にしての自殺だったのだ。
消費者金融の取り立て屋に執拗な嫌がらせを受けていた両親は、腹いせに、隠し撮りしたそいつの写真を遺書と一緒に俺宛に郵送してくれた。
「私達の死後、警察に通報して下さい」とご丁寧に書き添えてあった。
何故、自殺する前に、自分達で警察に通報しなかったのか、俺には理解に苦しむところだ。
自殺する根性があれば、何でもできるだろうに。
借金という弱みがあったから、警察に言ったところで追い払われるのがオチだと思ったんだろう。
人間って、自殺しようと思った時には大抵、どっか壊れてるもんだ。
結局、両親の死後、工場や自宅は借金に充当され、俺の手元には何も残らなかった。
今思えば、連帯保証人になっていなかっただけでラッキーだったかもしれない。
とにかく、住居さえなくなった俺は、呑気に学生をしていられる身分ではなくなり、生きる為に働かなければならなくなった。
そんな最悪の時期に、俺は初めて購入したマイカーで、岐阜県の思い出のゲレンデに行った。
自殺した両親が懐かしかったのか、子供の頃の思い出に浸りたかったのか。
いずれにせよ、辛い現実をしばし忘れたかったんだろう。
思い出のコテージを貸し切り、一泊二日のプチ贅沢をしてみた。
俺の不思議体験はそこで起こった。
こんな事を言うと変なヤツだと思われるかもしれないから、未だかつて人に喋った事はない。
もし、他人に口外したら、某日本昔話のように取り殺されると思ってビビっていたせいもある。
が、まあ、死ぬのが怖くなくなった今なら思い切って言える。
あの時、俺は女の子の幽霊を見たのだ。
ナイターの時間だった。
平日だったせいで、人も少なかったその時間に、俺は一人でスキーを楽しんでいた。
人気のないリフトの乗り場に、その女の子は白いワンピースにハイヒールという驚異の出で立ちで俺を待っていた。
「話がしたい」と、俺の乗ったリフトに飛び乗ってきたが、重力というものをまるで感じなかった。
彼女を抱き抱えて、滑り降りて来る事ができたくらいなんだから、その軽さが分かるだろう。
でも、不思議と恐怖だとかは感じなかった。
男ばっかりの工場で一日中働いている俺は、相手が幽霊だろうと、会話ができた事が嬉しかったんだと思う。
でも、彼女を見たのはその夜が最後だった。
ケータイくらい聞いとけば良かったって、名古屋に帰ってから後悔した。
だから、次の年、ダメ元でもう一回あのゲレンデに行ったんだ。
もしかしたら、なんかの奇跡で、もう一度彼女に会えるんじゃないかって期待して。
そして、翌年の正月。
結論から言えば、会えた。
でも、今回はゲレンデじゃなく、俺が予約したコテージで待っててくれたのだ。
正直、すごく嬉しかった。
家族も親戚も友人もいない俺を、一年間も待っててくれた女の子がいるんだって思ったら、嬉しさを通り越し、ありがたかった。
相変わらずジャケットも着ずに、ワンピース姿で待ってた彼女を、俺は気遣ってコテージの中に招いた。
変なことするつもりはなかったけど、俺の中で彼女に対する思いは抑える事ができなくなっていた。
二人でソファに腰掛けて話をしている内に、俺は彼女を抱き寄せ、キスをしていた。
彼女は抵抗しなかった。
ただ、目を閉じて、俺を受け入れてくれようとしていた。
が、そこで信じられない事が起きた。
抱き締めてキスをしていた筈の彼女の体が、みるみる内に透明に透けていったと思うと、ドライアイスのように霧をまき散らして、こつ然と消えてしまったのだ。
もちろん、俺は慌てた。
だけど、彼女が消えた事に対して慌てたんじゃなくて、いなくなってしまう彼女を何とか繋ぎとめようと思って慌てたのだ。
俺の必死の努力も報われず、彼女は消えた。
コテージの中は、最初から俺しかいなかったみたいに静かで、彼女の存在した形跡は全く見つける事ができなかった。
外に出て調べてみたけど、雪の中に足跡もなかったのだ。
現実主義者の俺もさすがに「これは幽霊なんじゃないか」と思い始めた。
でも、これが不思議で、こんな現象を目の当たりにしても、全く恐怖はなかった。
ただ、彼女が消えてしまった事がとても寂しかった。
今、会えなければ、もう二度と彼女には会えない。
その年が、このゲレンデに来れる最後なのだと、俺には分かっていた。