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私達はリフトが頂上に到着するまで、並んで座ったまま色んなお話をした。
それはとっても幸せな時間だった。
彼は名古屋に住んでて、今年からクルマ関係のお仕事を始めたらしい。
兄弟はいなくて、お父さんとお母さんは去年事故で亡くなったそうだ。
「この年にして既に天涯孤独の身なんだよ、俺」
彼はそう言って少し寂しそうに笑った。
天涯孤独の気持ちは私もよく分かるから、私は彼の手をギュッと握ってあげた。
そうそう、一番大事な事も早めに聞いておいた。
付き合ってる女性は今のところいないんだって。
「だったら、私、立候補してもいい?」って聞いてみたら、彼は少し困った顔をして言った。
「君、地元の娘だろ? 俺、遠距離恋愛って自信ないんだ。こう見えてすごい嫉妬深い男だから、離れてると絶対嫌な事言っちゃいそうだ。性格悪いんだよ、俺」
「あ、私もよ!ホントはすごく嫌な女なの、私」
そう言うと、義之はアハハと笑った。
「そっか。じゃあ、嫌なヤツ同士、お似合いかもな。じゃあ、君が名古屋に来いよ。近くにいれば上手くいくと思うよ」
「名古屋?…義之が山に来てよ」
「俺がこっちに来たって仕事ないじゃん?」
「あるよ! 子供スキーの先生とか、ペンション開くとか、雪かきとか……」
「夏はどうすんだよ?」
「う~ん…木こり、とか?」
「今時、木こりで生きていけないだろ? 椎茸でも栽培すれば別だけど」
「じゃあ、椎茸作ろうよ!」
他愛のない会話を私達はいつまでも続けた。
彼はとっても優しくって、私が話すおかしな事にも真面目に考えて返事をちゃんとしてくれる。
私の話をこんなに一生懸命に聞いてくれる人は初めてだった。
リフトが頂上に到着した時には、私は彼の事がもっと好きになっていた。
「いい?降りるから俺に掴まって?」
彼は左手にストックを掴み、右腕で私の体をグイっと引き寄せると、勢いをつけてリフトから飛び降りた。
そのまま、私を抱えて流れるように滑っていく。
彼と一緒に風になったみたいで、私は楽しくて大笑いした。
「君、想像以上に軽いね。ちょっとビックリした」
私を自分の前に抱え直しながら、彼はそう言った。
「ダイエットしてますからね。あったり前です!」
「いや、それにしたって……まあ、これなら本当に抱えたまま滑り降りれるよ」
「本当!?私、一度、滑ってみたかったの!」
「スキーしたいなら、今度会った時に教えてやるよ。取り敢えず、このまま行くよ?」
「うん!」
あの時の彼は本当にかっこ良かった。
私を抱きしめたまま、ライトの中を滑走していく彼は風になったみたいで、私は巻き上がる雪の中で大笑いした。
こんなにドキドキした事は今まで一度もなかった。
私はその時、密かに決めたのだ。
彼と絶対一緒になるんだって。
◇◇
彼と初めて出会った冬からちょうど一年が経った。
今年もこの山で彼と会えるだろうか?
私の事を覚えててくれるだろうか?
期待と不安で胸が一杯だった。
彼が去年泊まっていたコテージの前で、私は彼が来るのを待っていた。
もちろん、ここで待ち合わせしたいる訳でも、約束していた訳でもない。
ただ、何となく、今日はここで彼に会えるような気がして、私はコテージの玄関の前で辛抱強く突っ立ていたのだ。
例年よりは暖冬だったけど、一週間前から降り始めた雪は既に山を真っ白に塗り替えていた。
彼と一緒に滑ったあのゲレンデも、クリームを塗ったみたいに真っ白だ。
やがて、早い夕暮れがやってきて空が薄紫色に変わる頃、一台の白い車がゆっくりとこっちに向かってやってきた。
雪を踏み固めるようにゆっくりと走っているんだろう。
車は私が立っているコテージの前で止まった。
運転席のドアが勢い良く開いて、中から義之が飛び出してきた。
「君、去年、ゲレンデで会った娘だよね?元気だった?」
ああ、彼は私を忘れてなかった…!
それだけでもう泣きたいくらいに嬉しかったのに、彼は私の体をヒョイと抱きかかえると、赤ちゃんをあやすみたいに雪の中でくるくる回ってくれたのだ。
「あなたに会いたかった!ここで待っていれば今年も会えると思ってずっと待ってたの」
嬉しさで一杯になった私は、思わず、彼の首に腕を回して抱きついた。
彼は、それに応えるようにギュッと抱き返してから、私の顔を引き寄せ、ちょっと怒った声で言った。
「去年、なんで急に消えちゃったんだよ?連絡先くらい交換したかったのに、気がついたら俺一人で滑ってたんだもんな。あの後、君の事、探し回ったんだよ。もう二度と会えないかと諦めてたけど、でも、会えて良かった!」
「ごめんなさい。私、携帯とか持ってなくって。それに連絡したって、義之と会う事なんてできなかったの」
「なんで? 別にスキーが目的じゃないんだから、夏にでも電話くれれば、俺はここまで会いに来たよ。まあ、その、君さえ良ければの話だけど…」
「ありがとう!でも、家庭の事情が色々あって、私はあんまり外出できないの」
当たり障りのない言い訳で誤魔化そうとしたのに、なんだか、もっと不審な感じな事を言ってしまった。
ああ、私は何て口下手なんだろう。
大好きな義之に変な女の子だって思われちゃう!
彼は眉間に皺を寄せてしばらく首を傾げたけど、ふいに「分かった。言いたくない事情があるんだね?」とさっぱりした口調で言って、それ以上は追求しないでくれた。
「まあ、こんなとこじゃなんだから、コテージの中でゆっくり話でもしよう。ここで三泊四日で泊まる予定なんだ」
「わ、私が入ってもいいの?」
思いがけないお誘いに、私はドキドキしてしまった。
私に聞き返された義之は、逆にオドオドして髪をクシャクシャと掻く。
「よくなかったら誘わないよ。べ、別に変な事考えてる訳じゃないからな!こんな道路の真ん中じゃ通行人に迷惑だから、取り敢えず、中に入った方がいいだろ」
そう言った義之の横顔は何故か赤くなっている。
こんなところに通行人がいる訳もないのに。
そう考えたら私達は可笑しくなって、どちらともなく笑い出した。
コテージの中は大きな家具がないせいか、外から見るよりずっと広かった。
スキー場の周りにズラリと並んで建てられているのをいつも見ているけど、中に入ったのは初めてだ。
物珍しくて、キョロキョロと物色している間、彼は大きな荷物を車からどんどん出していた。
「ごめんな、今、暖房入れるから」
ダウンジャケットを壁に掛けながら、備え付けのリモコンのスイッチを押すと暖かい風がブワッと吹き上がった。
寒さに強い私にはあまり必要なかったけど、彼の細やかな心遣いが嬉しかった。
私達は小さなリビングのソファに並んで腰掛けた。
スキーウェアを着ていない義之は黒い無地のトレーナーとカーゴパンツというシンプルないでたちで、普通の男の子みたいだ。
スキーをしていなければ、絶対会う事もなかった街の男の子。
そう思ったら、今、このコテージで一緒にソファに座っている事がすごい奇跡みたいに思えた。
「一年振りだね。俺の事覚えててくれて嬉しいよ」
突然、義之はボソッとそう言った。
私の胸がドキンと鳴る。
窓の外を眺めたまま、彼は続けた。
「去年、君が急にいなくなってから、俺、すごく後悔したんだ。なんで連絡先聞いておかなかったんだろうって」
「私に会いたかったの?」
「会いたかった。でも、何となく、もう会えないんじゃないかとも思ってた」
「どうして?」
「うーん、夢だったのかと思ったんだよ。もしかしたら、君は幽霊だったんじゃないか、とかね」
義之は少し笑って私を見た。
「でも、そう思っても全然怖くなかったんだ。別に幽霊でもいいかって考え直した。会えるなら何でもいいって思ったよ」
「私は幽霊じゃないわ」
「分かってるって。そんなの俺だって信じてないよ。でも、街に出られない事情のある地元の女の子だと思ってた」
「会えないと思った?」
「うん。だから、会えて良かった」
彼は目を細めて、優しい笑みを見せた。
私は嬉しくなって、彼の肩にもたれてコツンと頭をつける。
意外にがっしりした骨格はとっても頼もしい。
彼の大きな手が、私の頬にそっと触れた。
温かい手だ。
私の顔をそっと自分の方に向けると、彼は顔を近づけて優しく口づけた。
胸の鼓動が激しくなって、体は溶けちゃいそうに熱くなっている。
「ユキ・・・好きだよ」
彼の声を遠くに聞きながら、私は目を閉じた。