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プロローグ

 PM8:06


 白く塗られた壁に、白いフローリングという白を基調とした部屋には、中世アンティーク家具の、少し艶の薄れた黒い小物入れや、ややクリーム色へと変色した、白い食器入れが並んでいる。

 だが、家具が置かれているのはあくまで一角であり、三十畳ほどのスペースはほぼ目に痛い程の白一色と言ってもよい。

 二階分すべてが吹き抜けの部屋は非常に開放感があり、上を見上げれば二階のバルコニーが見える。

 二階には金細工でできた花の飾りが施されているガラス戸がはめこまれ、その後ろには深い翡翠色をした本棚に、びっしりと本が詰まっており、その本の数は軽く千冊以上はあるだろう。

 そんなゆったりとした空間は掃除が行き届き過ぎており、どこか生活感はない。

 あるとすれば、一階のフロアに本皮でできた、体重を預ければどこまでも沈みそうなソファと、これまた体重を乗せた途端に沈みそうなほどにふかふかの白いカーペットに、その上に乗ったマホガニーの巨大なテーブルくらいのものだろう。

 テーブルには、ワインが半分ほど注がれ、その横にはウォッシュチーズがパンに贅沢に塗られ置かれていたが、半ば乾いている。

 そして、ソファの上には男性が横たわっていた。年は七十を過ぎた頃だろうか、品の良いナイトガウンを着込んでおり、ウォッシュチーズを肴にワインを楽しもうとしていたに違いない。

 だが、それが事実かどうかを男性に問いただすことは、少しばかり難しいだろう。

 男性は目をつぶっており、何も話さない。頸動脈からは暗赤色となった血液がナイトガウンとカーペットを染め上げており、傍目に見ても男性が事切れているのがわかる。

 そして、その男性の様子をスーツ姿の一団と、紺色の制服を着た鑑識が右往左往しながら見ているという状態だ。

「被害者はゆう雲衢うんく。中国国籍の男性です。札幌を拠点にしたカジノ、『ノチユ』のオーナーで、年齢は七十四歳です。頸動脈を鋭い刃物のようなもので正面からかっ切られて、ほぼ即死だったということです」

 三十過ぎのスーツ姿の警察官が、他の警察官に説明する。黒縁の眼鏡をかけ、髪を短く刈って頭頂部で軽く立たせており、神経質そうな目は横にいた二十代ほどの男を怪訝そうに見ていた。

「ということは、殺人事件っすかね」

 二十代ほどに見える、若く聡明そうな顔をした男が尋ねた。茶色い髪を斜めに流し、少し遊ばせている。

「はい。ほぼ間違いありません。尤氏は『ノチユ』だけでも年商四千億、総資産は軽く二兆円を超えていたと言われています。『ノチユ』だけでなく、マカオ、ラスベガスにも店を持っており、そちらの稼ぎも莫大だったそうです」

 三十代の警察官の説明に、四十代の男性警察官も、うーんと唸った。無造作に伸ばした髪と、顎髭が特徴的で、角張った顔立ちとカリフラワー状に潰れた耳が職業を物語っている。

「ってことは大がかりな捜査になりそうだな。被疑者の目星はついてるのか?」

 三十代の警察官は首を振った。

「いいえ。指紋、毛髪、目撃証言すべてありません。第一発見者はお手伝いさんで、夜交代のため、いつも通りの時間に来て、この有様だったということです。死亡推定時刻は今日六時過ぎ。発見時刻は今から一時間ほど前、午後七時です」

 お手伝いさんは奥の方にいて、泣き腫らした目をしながら簡易的な事情聴取を受けている。しかし、事件を目撃したわけではないため、あまり重要な手がかりに繋がる証言は聞けないだろう。

 立地も、森をわざわざ切り開いて作られた屋敷であるために、付近に住民の出入りはない。

「あ、すいません。トイレ、お借りします!」

 二十代の男性が声をあげる。

「どうぞ、そこの突き当たりを右です」

 二十代の男性は会釈し、トイレに向かう。途端、小声で二人の警察官が話をし始めた。

「あれが薄野すすきの署のキャリア組? 現場を知りたいっていう変わり者だそうじゃないか。やけに好青年だがな」

「篠永楼っていう男なんですが、北海道大学を首席で卒業後、神奈川県の所轄で署長を経験し、本庁にまで行ったのに道警に戻ってきたそうです。しかも現場希望。相当な変わり者ですよ」

「それにしても、なんで中央警察署じゃなく、所轄の薄野署なんだよ。いくら本人の希望だからって言っても、普通じゃ考えられないだろ。署長とか、煙たくてたまらないんじゃないの?」

 四十過ぎの警察官は苦笑した。

「知りませんよ。中央の我々が所轄に説明なんて、普通じゃ考えられないですよね」

「いい迷惑だよまったく」

「お、上司の悪口? いいねいいね、俺も混ぜてよ」

 すると、そこに割って入ったのは、黒のくたびれたコートを着た、短髪を立たせた男だった。無精髭を剃ろうともせず、悪辣な笑みを浮かべていた。

「お、荻堂……」

 警察官二人は言葉を失った。

「なんでお前が……そもそも、組対だろ、お前は」

 荻堂はにやっと笑みを浮かべた。

「まあそんな邪険にするなよ。カネ絡みで、この爺さんには結構世話になってたからさ、首実検って感じで、こうやって来たってだけだから。すぐ消えるって」

 荻堂がカネと言った途端、二人の警察官は眉を顰めた。恐らく、荻堂はそれをわかっていて、敢えて口にしたに違いない。

「それで、その情報をどこに教えるつもりだ、お前は」

「興味本位だって。でもさ、始まっちまうね、戦争がさ」

 ははは、と大げさに笑ってみせると、手だけで一礼し、荻堂はその場を後にした。

「汚職警官が……!」

 その姿を見送りながら、警察官はゴミでも見るように、吐き捨てるように言った。

 荻堂が出て行くなり、再び篠永が戻ってくる。手ぬぐいで手を拭きながら、うっすらと笑みを浮かべている。

「お待たせしました。しかし、どうしてこの被害者は、殺されたんスかね?」

 三十代の警察官が、それにすぐ答える。

「金銭トラブルでしょうね。いくらでもトラブルは抱えていますよ。何しろ」

「この北海道の屋台骨を荷っている立役者だから、ってことですかね?」

 篠永が続ける。

「そうです。札幌に『ノチユ』が建ったきっかけは、もちろんカジノによる町おこしを前々から狙っていたというのも事実ですが、何よりも六年前、北海道の『財政再建団体』入りが確実になったあの件です」

 三十代の警察官は軽く溜息をついた。

 財政再建団体。簡単にいえば自治体が赤字まみれになり、自らの力で赤字を解消できなくなった状態を指す。市町村が指定されたことはあったが、政令指定都市や、都道府県自体が指定されたことは今のところない。しかし、北海道は六年前に、その前代未聞の状況に陥っていた。

 要因は様々なことの複合だった。

 その年、日本は近隣アジア諸国とトラブルを起こし、結果として観光客が一年を通して激減していた。もちろん、避暑地として機能していた北海道もそのあおりを受け、観光収益を前年比の二割程度しか得られなかった。

 不幸は重なるもので、その年は北海道の家畜を中心に口蹄疫が発生した。初動体制の遅れや、行政の認識不足も災いしてか、家畜の感染は留まるところを知らず、百万頭の家畜が処分され、被害額は五千億円に達した。

 そして何よりトドメを刺したのは、環太平洋戦略的経済連携協定、TPPの締結だった。これにより、安価な外国産農産物の輸入が、第一次産業従事者を大規模な失業に追い込み、一兆五千億もの経済損失が起こった。

 結果として、主軸となっていた第一次産業に壊滅的な打撃を受け、北海道経済は未曾有の危機に陥った。北海道拓殖銀行破綻以上の衝撃に、元々揺らいでいた屋台骨は耐えきれなかったのである。

 だが、ここで起死回生の妙案があった。カジノ招致である。元々、札幌駅前にカジノ用の土地自体は確保していたものの、その目処は立っておらず、もし財政再建団体へ転落した場合、国は確実にこの案を飲みはしない。

 だからこそ、運否天賦の起死回生案として、北海道は最後の悪あがきとばかりに、マカオやラスベガスで実績のあった尤雲衢を招き、札幌カジノ『ノチユ』を開業、結果として北海道経済は立ち直ったのである。

 国内外からの観光客の激増、娯楽施設の建設による建設業の活性化、及び雇用の算出により、経済効果は二兆を優に超えた。

 こうして、札幌駅周辺からすすきのまで、元あったホテルは次々とカジノホテルへとリニューアルオープンし、札幌カジノ『ノチユ』は北海道再生の立役者となったのだった。

 だが、その分舞い込む金額も金額であるために、『ノチユ』に黒い噂は常に付きまとっていた。一方で北海道もそういう経緯があるために、強く『ノチユ』にメスを入れることはできず、事実上の野放し状態が続いていたというわけである。

「北海道にとって、尤雲衢が恩人でありながら目の上のたんこぶだったのは事実です。そして、黒い噂が絶えなかった以上、北海道の暗部ともトラブルが絶えなかった。つまり、公からも、暗部からもこの男は命を狙われ続けていたわけです」

 篠永は押し黙った。物言わぬ老人は、いったい誰に殺されたというのだろう。

「つまり、この事件の犯人を追うということは、北海道の暗部そのものを追うことと同義である。そういうことですか?」

 篠永の質問に、警察官は無言で返答した。それは、何よりも雄弁に篠永の質問に同意したのと同義だった。

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