第4話『最愛の友』
レストラン『プレアデス』で酔っ払った挙句、閉店時間を過ぎてもなかなか帰らなかった迷惑客二人組は、静まり返った夜の街を歩いていた。終電がなくなり、恵のマンションに泊まることになった和沙…。
「アンタみたいに無職で独り身の寂しい女だとさ、電気が消えてる冷たい部屋に帰ると泣きたくなるでしょ?アタシと一緒ならそんな思いしなくていいんだから」
和沙は都合の良い解釈をしているが、タクシー代をケチっているだけである。
恵のマンションに着くと、和沙はズカズカと部屋に上がり込み、冷蔵庫から勝手にミネラルウォーターを取り出してゴクゴクと飲み始めた。
「あ~、お水女の酔い覚ましにはやっぱ水だわ。……しっかし、相変わらず狭くてきったない部屋ね~」
「ちょっと和沙!人の家でよくそんな図々しい行動ができるわね、どんな環境で育ったのよ」
「オカマを育てたような環境よ!」
「そうやって必ず言い返す癖やめなさいよね。自分のことを女って言ったりオカマって言ったり、両生類なの?」
「うるさいこの哺乳類」
和沙が持っているミネラルウォーターを不機嫌に奪い返し、恵もゴクゴクと酔い覚ましに飲み始めた。
「ところでさ恵……。さっきレストランで奥から出てきた二人、どっちもかなりいい男だったわよね~?」
恵がミネラルウォーターを飲み干した所で、和沙がニヤニヤしながら返答に困る話題を振ってきた。
「……そうだった?よく見てないから知らないわ」
軽く首を傾げ、とぼけたフリをして受け流したが、和沙はしつこく男の話を続けた。
「片方はホテルのベルボーイみたいだったじゃん?髪も短めで爽やか好青年タイプよね。あの犬みたいな目が可愛かったわぁ~。背もそれなりだし、あれは万人受けするわよ」
「よく見てないから知らない」
「でもやっぱり、もう一人いた男の格好良さには敵わないわね。目つきは悪いけどさ、背も高くて体格も良くて、あの顔のパーツみた?完璧な素材と配置よね。ああいう危ない男にめちゃくちゃにされたいわぁ~」
「よく見てないから知らない」
「アタシに嘘は通用しないって分かってるはずよ」
「え?」
急に和沙の表情と声のトーンが変わった。恵をじっと見つめながら、証人喚問をする政治家のように、強い口調で追求を始めた。
「危ない方の男にさぁ~、親しげに話しかけられてたじゃん?アンタもなんだか焦ってたし……知り合いなんでしょ?昔の男とか?まさか行きずりの相手じゃないでしょーね?」
「違うわ!前に一度会ったことあるだけよ。それも最低のシチュエーションでね」
結局恵は、バー『オリオン』での出来事をすべて和沙に打ち明けた。
何故あの男がレストランにいたのか、男の正体は何者なのか、結論がでることなく話は収束したが、ただ一つ分かっていることは……。
「あんな上から目線男、私、大っ嫌いよ」
恵はあの男が嫌い……それだけはハッキリしていた。
「ふぅ~ん、見た目は完璧なのになぁ~」
「和沙、人を見た目で判断しちゃいけないのよ。そんな人間になっちゃ……ダメ!」
「ああそう、はいはい、へぇえ」
和沙は"お前にだけにはそんなこと言われたくねぇよ"と言い返したかったが"そうやって必ず言い返す癖やめなさいよね"と、ついさっき恵に忠告されたのを思い出し、ぐっと言葉を飲み込み"アタシって大人だわ"と一人優越感に浸った。
時計の針が午前一時を回り、和沙は寝支度を始めようと、洗面所へ向かった。鏡に映った美しい自分の顔を見ながら歯を磨こうとしたが、和沙には今日の出来事で一つだけモヤモヤしていることがあった。
「それにしても、な~んで私達が行った時に限ってデザート扱ってないのよ~。甘いもの食べたかったのになぁ~。糖分はオカマのホルモンバランスを保つ秘薬だっつーのに」
恵愛用の歯ブラシを持ち、歯磨き粉を付けようとした瞬間に、和沙の不満を部屋で聞いていた恵がサラリと一言。
「……良ければ私が作るわよ?」
「えっ?本当?」
和沙は、部屋にいる恵に聞こえるほどのデカイ声を発しながら目を輝かせた。
「うん。家で練習してた頃の道具とかあるし、材料も大体は揃ってると思うから……」
恵は昔、腕を上げるために家でもお菓子作りをしていた。
留学した時に学校から購入した基本的な道具もまだ持っていて、材料も世界各地から取り寄せたモノが沢山残っていた。
「ヤッター!私ね、ケーキが食べたい!」
和沙は歯ブラシをコップに戻し、キッチンへ向かう恵にピースサインを送りながら、高いテンションで道具探しを手伝った。
「じゃあシフォンケーキを作るわ」
「わ~い、楽しみ~!アタシはいい友達持ったわ。家で本格デザートが食べれるんだもの~!」
道具と材料を棚から取り出し、恵は和沙のために直径30cmの丸くて大きなシフォンケーキを作った。
大量の生クリームとチョコレートでデコレーションされたシフォンケーキは、ココアを垂らしてマーブル模様になったスポンジ部分もフワフワ。下手なケーキ屋顔負けの完成度で仕上がったシフォンケーキを食べながら、和沙は改めて恵の技術力の高さを評価した。
空が明るくなり始め、恵が道具と材料の片づけを終えキッチンから部屋に戻ると、和沙は座椅子に腰を掛けた状態で深い眠りについていた。
恵は押入れから一枚の毛布を取り出し、和沙のお腹にかけ、テーブル向かいの座椅子に座った。テーブルに肘を付き、両手で頬を押さえながら、母親のような目で眠っている和沙の顔を眺めた。
「貴方がいてくれるから、私は心強いよ……」
恵はボソリと眠っている和沙につぶやいた。
しばらくして立ち上がり、部屋の電気を消してベッドに横になった恵は、友達という存在の有り難さを実感しながら眠りについた。
「あ~、よく寝た。……泊めてくれてありがとね」
「いいえ」
昼過ぎに二人は目覚め、和沙は洗面所で昨日磨いてない歯を磨いていた。
寝起きの悪い恵は、ベッドで横になりながら、洗面所にいる和沙との会話をデカイガラガラ声で続けた。
「シフォンケーキ美味しかった~。また食べたいわー」
「あら、なんならお土産に持っていくー?昨日の余りだけどー」
「本当?ウレピー!持って行く持って行くー!」
「じゃあちょっと待っててー、今起きてタッパー持って来るからー」
「うん!」
恵はベッドからようやく起き、冷蔵庫に保存してあるシフォンケーキの余りを取り出した。
ラップで隙間なく包み、タッパーに密封するという留学した時に教わった知恵のおかげで、シフォンケーキはパサパサすることなくしっとりとしているようだ。
「はい」
シフォンケーキが入ったタッパーを渡すと、和沙はニコニコ顔で受け取った。
「ありがとう~!じゃあバッグに……。バッグに……。バッグ……。んぁ?」
和沙が部屋中を見渡し、眉間にシワを寄せている。
「どうしたの?」
「そう言えばバッグ……、アタシどうしたっけ?」
確かに和沙のバッグをこの部屋で見た記憶がない。
「その化粧はどうしたのよ?」
「昨日から顔洗ってないからそのままになってるだけよ」
いつもよりナチュラルメイクになっている和沙の顔は、昨日から化粧を落としてないだけであった。
考えてみればレストランの会計も、恵がすべて払ってそのまま割り勘をしていなかったため、和沙のバッグを使うシーンが一切なかったのだ。
「ないわよ~、どこかに忘れて来たんじゃない?」
恵は部屋中をくまなく探したが、バッグは見つからなかった。
「やっぱりあのレストランだわ……」
和沙がレストラン『プレアデス』にバッグを忘れたと確信し、頭を抱えながら座椅子に座り込むと、怒りの矛先は恵へと向けられた。
「もう~!アンタが早く早くって手を引っ張ったから忘れたのよ~」
「人のせいにしないでよ!和沙が酔っぱらってたからでしょー?」
「やだもう~、せっかく客に買ってもらったブランドバッグなのに~。あと二回使ったら質に入れるつもりだったのよ?」
責任の擦り合いが始まった所で、恵は立ち上がり、テレビ横に置かれている自宅電話の受話器を取った。
「レストランに電話してみる?」
「してして!早くして!アタシのバッグ!」
「……え~と。和沙~、電話番号案内って何番だっけ?」
「あああああ!早くしてぇぇえええ!」
恵は104に電話をし、レストラン『プレアデス』を呼び出している間に、受話器を和沙にバトンタッチした。
頭の中が"バッグ"の三文字でいっぱいいっぱいになってる和沙。もし"バッグなんて知りません"と言われたら、高級ブランドバッグと携帯、高級長財布と中身の現金、クレジットカード、キャッシュカード、ブランドポーチに入ったブランドメイク道具が泡になる。
そんな恐怖に怯えながら呼び出し音を聞いていると、運命の電話は繋がった。
「はい、レストランプレアデスです」
「あっ、すみません五十嵐と申します、ニューハーフです。昨日そちらで食事をしたのですが、バッグの忘れ物はありませんでしたか?」
和沙はビクビクしながら尋ねた。こんな緊張感を味わうのは、二十歳の時にタイで性転換手術を受けた日以来である。
「……ああ、貴方でしたか。昨晩はご来店ありがとうございました。……バッグは当店にて保管させて頂いております」
受話器から聞こえた"保管"という言葉に、この世に神様は存在するのだと、和沙は心の底で"ジーザス!"と叫んだ。
「無事だったのね、良かった~!……今から取りに行っても大丈夫ですか?」
「はい、お待ちしております」
和沙は電話を切り、恵にニコニコ顔でピースサインをした。
「アタシの日頃の行いがいいのね。バッグ保管してるって!ウフ」
「はいはい、よかったわね。じゃあ早く取りに行きなさいね」
「分かってるわよ。それじゃあ恵、また電話するわ」
透明のタッパーに入ったシフォンケーキを片手に恵の家を後にし、急いでレストラン『プレアデス』へと向かった和沙。恵はやれやれと、一人ぼっちになった部屋で再びベッドに横になり、無職人間の特権である二度寝を始めた。