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星空の記憶  作者: 柳瀬亮
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第3話『早すぎる再会』

 ブルル、ブルル…。


 酒の匂いが漂う真っ暗闇の部屋で、携帯の虹色LEDがピカピカと光りながら、振動音が響き渡った。


 (う~ん、何よ誰よ何者よ)


 ベッドでうつ伏せ状態のまま、枕元に置いている携帯を手探りで掴み、煩く震える携帯の通話ボタンを押した。


「も゛しも゛しぃ?」


 携帯を耳にあてて声を発すると、自分でもビックリするほどのガラガラ声だった。


「ど、どうしたの?その声!」


「な゛んだ、和沙か……」


 気を遣わない通話相手にホッと胸を撫で下ろし、ベッドから出ることなくうつ伏せ状態のまま通話を続けた。


「ヤケ酒してたんでしょ?」


「う゛るさい゛わよぉ!」


 和沙の的確な問いかけに"違うわよ!"と答えたかったが、この声では隠せない。


「ねぇ、もう17時過ぎてるのよ?いつになったら来るの?」


「は?……え?……あっ!やだっ、忘れてた!」


 和沙と17時に駅前で待ち合わせをして、一緒にハローワークへ行き、買い物にも付き合うという約束を、恵はスッカリ忘れていた。


「嘘でしょ?約束忘れるなんて、信じられない!どんだけよアンタ!どんだけどんだけよ!」


「ごめんごめん!」


「もう~、オカマは足が弱いのよ!気が短いのよ!待つ事が一番嫌いなのよ!」


 携帯の通話スピーカーが音割れするほどのデカイ声で怒られ、恵は通話を続けたままベッドから飛び起き、洗面所へと向かった。


「分かった、分かった、分かったわよ!……待ってて、今すぐ準備して向かうから!」


「化粧なんて適当に済まして早く来てよね無職!アタシのホルモンバランスが平常を保ってる内に!」


 ヒステリーのオカマと化した和沙を宥め携帯を切り、洗面所で顔をバシャバシャ洗い、急いでメイクをしながら、昨日から着たままのシワシワになった服を着替えて、恵は和沙との待ち合わせ場所に向かった。




「あっ!やっと来た!」


 和沙は仁王立ちしながら、遠くから走ってくる恵を見つけ、睨みつけていた。

 いつも待ち合わせ場所にしている駅前は、恵の自宅マンションから徒歩で十分ほどなのだが、大人の女性が『洗顔』『メイク』『着替え』等していれば、時は過ぎて行くもので…。


「ハァ……、ハァ……」


「もう!一時間近く待ったわよ!ブス!カス!無職!」


「……ごめん」


 遠くから見た時の和沙は、相変わらず茶髪の巻き毛で、愛らしいメイクと露出度の高いカットドレス、何処から見ても元男には見えない、ナンバー1キャバ嬢のようだった。

 しかし、オカマの毒舌に耐え、呼吸を整えながら和沙の顔を近くで見ると、眉間には血管が浮き出ていて、巻き毛も若干乱れ、ファンデーションも崩れていた。基本的に、和沙のビジュアルが劣化している時は、彼女が物凄く怒り狂っている時か、二日酔いしてるかのどちらかである。


「何時まで飲んでたの?」


「……しゅ、終電くらいまでだったかな」


「朝まで飲んでたのね」


 和沙にはすべてお見通しだ。嘘は昔から一切通用しない。


「まったく、無職になった日に朝まで泥酔なんて……、オヤジね」


 一瞬"このシチュエーション何処かで…"のデジャヴ状態に陥った恵だったが、すぐに"昨日バー『オリオン』の名前も知らない上から目線男に言われた台詞と同じだ!"と思い出し、今日の元々低かったテンションが更に下がってしまった。


「そう言えば恵、ハローワークって何時までやってんの?」


「あっ、そうだった!19時までなのよ…」


「ふ~ん。じゃあ時間もないし、早速行きましょうよ」


 和沙と一緒に、昨日はシャッターが降りていたハローワークへと向かった。


 恵がレストラン『クレモンティーヌ』への愚痴を和沙に集中口撃しながら歩いていると、道の向こうからヤクザ風な男が手を叩きながら二人に近寄ってきた。


「お姉さん達、キレイだね~。お風呂は?お風呂どう?」


 軽く無視して、そのまま二人は歩き続けたが、恵には何を勧誘されているのかまったく分からず……。


「ねえ和沙、今のお風呂どうって何?」


「ああ~"風俗で働かない?"って意味よ」


 恵は少し安心した。昨日からお風呂に入っていない恵は"臭いから風呂に入れよ!"と言われているのかと思っていたからだ。


 そんなくだらないやりとりをしながらハローワークへ着くと、大勢の人でごった返していた。

 数十席ある待ち合い椅子もほとんどが埋まっていて、『就職氷河期』『大不景気』『不可抗力』というものを恵は心から痛感した。


「わぁ~、恵のお仲間さん達がいっぱいねぇ~」


「……うるさいわよ」


「じゃあアンタが相談してる間、アタシは化粧室で色々お直ししてくるわん」


「分かったわ。後でね」


 待ち合い椅子に腰をかけてから三十分後、恵は総合受付窓口に案内された。

 担当職員と一対一で向かい合う形になっており、左側には求人情報検索のタッチパネル、そのすぐ下には、求人情報を印刷するコピー機が完備されている。恵は学歴や職歴、そして無職になるまでの経緯を担当職員にすべて話した。


「……ってな感じで、事務室に関係者が何人も入ってきて、私の両腕を掴んで店の外に追い出したんですよ。それが最後ですね」


「……」


 担当職員は硬い表情のまま、しばらく沈黙した。

 パソコンに色々と打ち込み、印刷された書類を見ながら、恵の現状を分かりやすく説明し始めた。


「……理由はどうであれ、御影さんは懲戒解雇されています。懲戒解雇の場合は、失業保険は給付されないんですよ」


「そっ、そんな?どうして?今まで雇用保険もちゃんと払って来たのに!」


「……正社員っていうのは、会社に利益を与える為に雇われているんですよ。会社が不利益になる問題を起こした人は、給付対象から外れるんです」


「問題を起こした?……全部私が悪いってことですか?公私混同して私をクビにしたオーナーを平手打ちしただけなのに!」


「お気持ちは分かりますが、懲戒解雇の事実は変わりません。…再就職も、御影さんのように懲戒解雇された履歴が残っている方ですと、かなり厳しいかと……」


「そっ、そんなぁ~!」


 恵に現実が厳しく圧し掛かった。失業保険が出ない上、再就職までさじを投げられてしまったのだ。

 真っ暗闇の中に突き落とされ、未来が見えなくなってしまった恵は、死人のように待ち合い椅子にへたり込み、口を大きく開けながら軽い痙攣を起こしていた。


「やだ、恵……どうしたの、病気?変な宗教の儀式みたいよ?ギャッハハ」


 化粧室から完璧なビジュアルで戻ってきた和沙は、恵をケラケラと笑いながら指差した。

 ショックでフラフラの恵を和沙が介護しながら、二人はハローワークを後にした。


「ふぅ~ん、失業保険も出ないんだ~」


「再就職も絶望的、お金もないし……。もう、私ダメだぁ……。明日死んでたら遺体の処理してね、保健所に電話してくれればいいから……」


「大丈夫よ、アンタはパティシエっていう強い武器を持ってるんだから!手に職があれば何とかなるわよ」


 和沙が死にそうな恵を励ましながら、目的もなく夜の街を歩いていると、さっきのキャッチ男がまた声を掛けて来た。


「おっ、さっきの美女美女コンビちゃん!お風呂どう?お風呂!今の仕事なんて辞めてお風呂やろうよ!女の武器は使おうよ!」


 恵と和沙が同時に"カチン"という音を立てた。


「うっせぇわよ!私は無職なのよっ!女の武器の被害者だよテメェこの野郎!」


 恵がキレたと同時に、和沙もキレた。


「その目は節穴か!アタシはニューハーフじゃボケェエエ!そこらのメス豚と一緒にすんな!」


 和沙は女になる努力を人一倍しているニューハーフのプライドとして"普通の女と同じ扱い"をされるのが虫唾が走るほど嫌いなのだ。

 プライドを傷つけられ逆上している和沙が、言葉を失っているキャッチ男の後ろに構えている、ドレスショップのウィンドウをふと見ると、キラキラと光るシルクのドレスが目に入った。


「やぁ~ん!キャワイイ!エンジェルみたぁ~い!」


 自分の買い物をするという本来の目的を思い出し、意気消沈状態でヘロヘロになっている恵の手を強引に引っ張り、二人はドレスショップへと入って行った。

 キャバ嬢やホステスの衣装を専門に扱っているドレスショップには、ファッションデザイナーが制作した最新のドレスが何百着も並んでいた。


「見てぇ~恵!このパープル色のドレス、可愛くない?」


「オカマっぽい」


「じゃあこのエメラルドグリーンのワンピースは?」


「カエルみたい」


「あっ!これなんかゴールドの刺繍がアタシにピッタリじゃない?」


「アヒルみたい」


「キャー!すごいわぁ~、白と黒が交差して…。こんな露出度の高いドレス、ちょっと勇気いるわぁ~」


「パンダみたい」


 和沙が"いいな"と思うドレスに、イチイチケチをつけて来る恵を見ながら、和沙はため息をついた。


「……ねぇ、いつまで暗くしてんのよ!」


「私はね、愉快にショッピングできるような心境じゃないのよ。…心が傷ついて悲鳴を上げてるの」


「心……、ねぇ……」


 和沙がパンダのようなドレスをハンガーラックに掛けた所で、不気味な音がドレスショップに響き渡る。


 ぐぅううう~。


「何の音?」


 和沙が恵に問いかけると、恵は顔を真っ赤にして俯いてしまった。

 その様子を見た和沙は、不気味な音の正体を華麗に暴いた。


「……あらぁ~、心じゃなくて腹の虫が悲鳴を上げていらっしゃるのねぇ~、恵さん」


「しょうがないでしょ!……考えてみれば、無職になってから一度もご飯食べてなかった!」


「そりゃ朝まで酒飲んでれば中枢神経も狂うでしょうよ。……じゃあどこか食べに行きましょう」


 二人はドレスショップを出て、飲食店が集中している駅前へと向かい、夕食の場所を探すことにした。


「和沙、何を食べたい感じ?」


「そうねぇ……あっ!」


 駅前で色々な飲食店の看板を見ながら、なかなか決まらずにウロウロしていると、何かを見つけた和沙の足が止まった。


「どうしたの?」


「あれあれ!」


 和沙が指差した先には、美しい星空が映し出されたLEDビジョンの看板が出ていた。


「……レストランプレアデス?」


「随分前から話題になってるレストランよ。昨日も真弓がアフターで行ったって言ってた」


 "真弓"とは、和沙が働いているニューハーフクラブの同期ホステスであり、女優顔負けの美しさから、東京のナンバー1ニューハーフとして、テレビや雑誌等メディアでも活躍している人物だ。大体和沙のおススメは、著名人とも交流の深い真弓が情報元になっている。


「ふ~ん、そうなんだ」


「こんな所にあったのね……。せっかくだし入ってみようか?」


「……ええ、いいわよ」


 何処かで見たような看板の作りに、恵は若干の違和感を覚えた。

 しかし、今話題になっているレストランがどんなお店なのか、好奇心が沸いてしまうのは元パティシエならではの職業病だろう。

 駅前商業ビルの最上階である二十階に店を構えているレストラン『プレアデス』。恵と和沙はエレベーターホールへと向かい、ノンストップエレベーターで二十階まで一気に上がった。


 チーン。


 エレベーターが到着してドアが開くと、目の前には長蛇の行列ができていた。

 二十階フロアには一店舗しかお店が入っていないため、この行列はすべてレストラン『プレアデス』のものだ。


「な、何よ?これ!」


 和沙は整形で大きくした目を、更に大きくさせながら驚愕した。

 行列の客層を見ると、老若男女問わず幅広い層が並んでいて、恵は昔パティシエの先生に言われた"お前は誰からも愛される店で働け"というアドバイスをふと思い出した。

 これだけ行列ができているのだから、素晴らしいレストランに違いないだろうと、二人の期待は頂点に達し、時間が掛かるのは嫌だったが、お腹の中をレストラン『プレアデス』で満たしたい心でいっぱいの二人は、入り口から一番遠く離れた行列の最後尾に並ぶことにした。


 薄暗い照明で全面ガラス張りの二十階フロアは、美しい夜景を一望でき、まるで展望台に登っているかのようで、行列に並んでいても全然退屈しない。

 ――というのは最初だけで、二人が最後尾から入り口近くまで並んだ時、恵の口数は減り、和沙のファンデーションは崩れていた。


「いらっしゃいませ。二名様ですか?」


「はい」


「こちらでございます」


 ようやく順番がまわってきて、ウェイターに席を案内されている最中、二人は疲れきった表情でボソリと嘆いた。


「……ふぅ~、やっと入れるわぁ~」


「二時間くらい待ったよね?」


「本当よ。今日はアンタと合わせて三時間もアタシの貴重な時間が無駄になったわ」


「はいはい、悪かったわね」


「オカマは待つのが嫌いって言ってるのに……。これで不味かったらお金払わないわ」


 文句を言いながらも席に案内された二人は、周囲を見渡して一気にテンションが上がった。


「お決まりになりましたら、お呼びください」


「はぁ~い」


 夜景が一望できるのはもちろん、高い天井にはプラネタリウム顔負けの大型ビジョンが、美しい星空を最新技術で映し出していた。床にはジェットスモークマシンで白い煙がたっていて、彗星をイメージしたレーザー光線を反射させ、レストラン全体がまるで宇宙空間のようだった。


「……すっご~い!ロマンティックなお店ね!」


「レストランは内装より味が重要よ」


「さすが!無職だけど元高級ホテルパティシエ!言うことが違うわね!」


「……早くメニュー開けよ」


 二人がギリシャ神話をモチーフにした凝っているメニュー本を開くと……。


「ゲッ!……高い」


 二人は固まった。人気の高いレストランは、値段も高かったのだ。


「……国産厳選豚のテリーヌ、四千円だって」


「一人一万円は余裕で行くわね」


「……まったく、無職で今月ピンチだってーのに、値段くらい確認しておいてよ」


「なによ~、アタシが悪いの?」


「和沙が悪いんでしょ、気取ってこんな店選ぶから」


「別に気取ってないわよ、アンタがクビになったレストランの方がよっぽど気取ってたじゃない!」


 得意の言い争いが始まりそうになった所で、ウェイターがツタツタと二人の席へ注文を聞きに来た。


「お決まりでしょうか?」


 二人は慌ててメニューを見返し、値段がそれほど高くない妥当なメニューを真剣な表情で選び始めた。恵は一分ほど迷った挙句、メニューから三品を注文した。


「白身魚のムース巻き、ラタトゥイユ、カルパッチョサラダで……」


 魚と野菜はあまり好きではないが、予算五千円内に収めるため、必死に厳選した結果である。


「デザートは頼まないの?」


「今は見たくもないの」


「ヤっだ、ウケる!ギャッハハハ。恵、チョ~おもしれぇ~!ギャッハハハ」


 和沙の下品な笑い声が、ロマンティックな宇宙空間に響き渡る。


「……あっ、あの」


 恵と和沙の掛け合いを見て、ウェイターが苦笑いしながら和沙に注文を求めてきた。


「ああ、ごめんなさいねベイビー。じゃあ私は、鮮魚のポワレガーリックソース、イベリコ豚の生ハム 、タコマリネ、あとミルクチーズケーキ」


「大変申し訳ございません。本日事情により、デザートの販売は終了しておりまして……」


「なんですって? こっちのバナナシフォンケーキも?」


「……はい」


「え~?甘いもの食べたかったのにぃ~」


「……大変申し訳ございません」


「じゃあいいわ、我慢するわ」


 ウェイターがメニューを回収し席から離れた所で、和沙は不満な顔をぬ~っと向かいに座っている恵の前に突きつけた。


「デザート全滅ってどう言う事?」


「まぁいいじゃない、ご飯は美味しそうだし」


「専属のパティシエが急にクビにでもなったのかしら……。あっ、それは恵だったわね!ヤッだ、もう!ギャッハハハ」


 友人の無職ネタを今日だけで七万回は使ったであろう和沙は、恵が俯き無言になったのを見て、水の入ったグラスを片手に、今後について真剣に語り合うことにした。


「ねぇ、今度もパティシエの仕事するの?」


「うん。私、お菓子作りしか出来ないもの……」


「でもこのご時世じゃ……。レストランも低価格競争で、デザート専属のパティシエを雇う所なんて、なかなか無いだろうし……」


「そうなのよね」


「こういう人気の高級レストランなら、雇ってくれるかもしれないけど……。キャリアを重視するしね」


「キャリアは二年しかないわ」


「しかもホテルレストランを懲戒解雇されてる。履歴書の賞罰記録に懲戒解雇なんて書かれてるパティシエを雇ってくれる店なんて、ないんじゃない?」


「……私、やっぱり明日は部屋で孤独死してるかも」


「う~ん。……アンタは一応女なんだし、男と結婚でもすれば?」


「……何処にそんな男がいるの?」


「私と結婚でもする?」


「……笑えないわ」


 二人がそんな話をしながら十五分ほど経った頃に、ウェイターが注文した料理を運んできた。


「おまたせしました」


 並べられた料理に加えて、何故か注文していないワインボトルも置かれていた。


「あれっ、このワインボトルは?私達、頼んでませんけど?」


 恵の指摘に、ウェイターから嬉しい回答が返って来た。


「本日、デザートの提供ができませんでしたので、ワインをお一人様一本サービスしております」


「あっらぁ~!嬉しいわぁ~」


 酒好きの和沙が手を叩きながら喜んだ。サービス満点、見た目が完璧な料理も想像以上の味で、二人の気分は上々。




 ――その頃、レストラン『プレアデス』では、ある騒動が起こっていた。


「どうした進次郎?何があったんだ?」


 レストラン『プレアデス』の支配人室に、一人の男が駆け込んで来た。


克哉かつや……、梨香が消えたんだよ」


 レストラン『プレアデス』の支配人、永瀬進次郎ながせしんじろうは、克哉と呼ぶ男に事情を説明し始めた。


「梨香に連絡しても繋がらないし、自宅ももぬけの殻だった」


「どう言う事だ?」


「レジの売り上げ金、根こそぎ持ってかれたみたいだ」


「なんだと?」


「監視カメラを調べたら、昨夜の録画データが消されていた。ここのシステムに詳しい人間は、俺とお前と梨香くらいしかいないからな……。だいぶホストに入れ込んでたみたいだし、多分ソイツに……」


「……そうか。今日の営業はどうした?」


「デザートは販売停止。客に合わせたサービス品を提供したが、クレームが多かったみたいだ。急いで後任のパティシエを見つけないと。……克哉、見つかるまでデザートはホテルに発注するぞ?」


「発注?ウチはオリジナルを売りにしてるんだぞ」


「パティシエが飛んだんだから仕方ないだろう。……一時的な応急措置さ」


 そんな騒動が裏で起こっているとはまったく知らず、フロアでは恵と和沙のワインは進み、会話の声が段々デカくなっていた。


「それでそれで?」


「前から素敵だなって思ってた人だったから、オッケーしたのよ」


「ええ~、すごい!」


「一緒に映画観てぇ~」


「映画観て?」


「その後カフェに入ってぇ~。"君に聞きたい事があるんだ"って言われてぇ~」


「なになに?何を聞いてきたの?」


「あのね……私にね……」


「うんうん」


「うぅ……。"真弓ちゃんには彼氏いるのかな?"って……」


「ええ~?」


「真弓と付き合いたくて、私を利用しただけだったのよ!」


「あら~、ニューハーフクラブも色恋沙汰で大変ね」


「大変よ。男っていうどうしようもない生き物を相手にしてんだから!」


「そう!男なんて馬鹿ばっかりよ!」


「そうだよな?男なんていらねーよな?男はみんなくたばっちまえ!」


「和沙は元男じゃなかった?」


「今は心も顔も秘部も女よ!」


「秘部も女!それはもう女!女ばんざい!ニューハーフばんざい!」


「ばいじゃーい!ギャッハ……あ?……ワイン無いよワイン。すみませ~んウェイター!ベイビー!ワインもう一本!」


 かなり酔いが回って来た二人は、追加のワインを何本も注文した。これでは、厳選して高くない料理を選んだことも無意味である。


 ――二人が三本目の追加ワインを開けた頃、レストラン『プレアデス』での騒動は一段落していた。


「はい、はい。よろしくお願いします」


 進次郎がデザート発注の電話を切ると、克哉はボソリと呟いた。


「……しかし、俺達はよく人に逃げられるな」


「ふっ、……本当だな」


 レストラン『プレアデス』の支配人室で、二人の男がしんみりしていると、フロアマネージャーが慌てて飛び込んできた。


「すみません、支配人!」


「どうした?」


「閉店時間なのですが、女性客二人がなかなか帰らなくて……」


「帰らない?」


 二人の男達はフロアマネージャーと共に、女性客の元へと向かった。そう、問題を起こす女性客二人……と言えば、コイツらしかいない。


「ワインのおかわりって言ってるのよ!」


 和沙が大声で追加ワインを要求している。


「ですから、もう閉店のお時間なので……」


 ウェイターがうろたえている。


「何が閉店なのよ~!」


 恵がワガママを言っている。進次郎が呆然と女性客二人組を見ている中、克哉が恵の近くへと歩き出した。


「おい!」


 克哉は恵の肩を右手で引っ張り、自分の方へと向けながら怒鳴りつけた。


「……今日も泥酔か?」


 肩を無理やり引っ張られて"何をするのよ!"と言葉が出掛かった恵だったが、何処かで見たことのある男の顔に、恵は呆然とした。


「……今日"も"?」


 男の言った台詞をよく考えてみると、恵は昨日の記憶が一瞬で蘇った。


「まったく……、どんだけ酒乱なんだよ」


 そう、この克哉と呼ばれている男は、昨日恵が朝まで泥酔したバー『オリオン』で、眠りから覚めた恵を迎えに来た、上から目線王子様と同一人物だったのだ。


「和沙、帰りましょう」


 一気に酔いが覚めた恵は、和沙の腕を掴み、強引に入り口方面へと引っ張った。


「何よ、どうしたって言うのよ!」


「いいから!」


 和沙には今の状況がサッパリ分からなかった。

入り口に向かう二人が克哉の横を通り過ぎた瞬間……。


「……勘定忘れるなよ」


 昨日の出来事を連想させる言葉を、男は捨て台詞に吐いた。


「分かってるわよ!」


 早くこの場から去りたい恵は、和沙との割り勘はとにかく後回しにしようと、財布から万札を二枚取り出し、レジでさっさと会計を済ませた。


「ねぇねぇ恵、あの男と知り合い?」


「違うわ、ほら早く!」


「痛い!痛い!引っ張らないでよ~!」


 恵は和沙を強引にエレベーターへと蹴りこみ、逃げるようにレストラン『プレアデス』を後にした。

エレベーターの"閉じる"ボタンを何度も押して、扉が閉まった瞬間、深いため息をついた恵は、ストレスとエレベーターの気圧で耳が"キンキン"鳴っていた。


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