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星空の記憶  作者: 柳瀬亮
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第2話『初めての出会い』

「で?即日クビ?」


「そう、クビ。……嫌なら傷害罪で訴えるって言われたわ」


 恵がオーナーに強烈な顔面ビンタを喰らわせた直後、事務室にはレストラン『クレモンティーヌ』の関係者達が物音を聞きつけて一斉に集まり、恵は即強制追放、懲戒解雇された。

 無職になった恵は、トボトボ歩きで自宅マンションを目指しながら、携帯で友達に今日の出来事を報告していた。


「恵も馬鹿ねぇ、ボコボコにしなけりゃ不当解雇で訴えられたのに」


「だって頭に血がのぼったんだもん。殴らないでいられる訳ないじゃない、愛人を雇うために私をクビにしたなんて事実を知ったら……」


「分っかるわぁ~、私ならぶっ殺してるわ。ギャッハハハハ」


「笑い事じゃないわよ。私…今日から無職だわ」


 友達の名前は五十嵐和沙いがらしかずさ、夜の世界で働いている中学からの同級生だ。

 彼女は恵が素のままで付き合える唯一の友達で、悩みや愚痴などをずっと語り合ってきた。

 今日起きた恥ずかしい事件も、和沙になら全て話せる……そんな関係だ。


「ハローワークには行ったの?」


「そんなのまだ行ってないわよ。今日解雇されたのよ?行ったこともないし不安だわ」


「ふぅ~ん、じゃあ明日私と一緒に行きましょう?買い物にも付き合って欲しいし……」


「買い物?そんな気分になれないわよ」


「なれなくても来てちょうだい!色々話も聞いてあげるから。……明日17時にいつもの駅前ね」


 和沙が強引に約束を取り付けた所で、携帯はプツンと切れてしまった。


「ちょっ!……ったく、いつも一方的に決めちゃうんだから……」


 携帯の向こうでは、和沙が大慌てで出勤の準備をしていた。

 恵のことは心配だったが、長電話している時間はなかったのだ。


「もう、この忙しい時に恵ったら。でも…クビになっちゃったのね。あれ?昨日買ったファンデがない…。パティシエになれたこと、あんなに喜んでたのに…。ああ、あったあった。明日は恵を元気づけてやろう…。やだ、ナチュラルオークルにしたの失敗だったわ、色が黒い!こんな暗い色のファンデ男用じゃないの?……まぁ、私も元は男だけど…ギャッハハハハ」


 そう、恵の友達である和沙は、ニューハーフパブで働く元男性なのだ。

 恵が男友達として仲良くしていた同級生の和男かずおは、恵が留学から帰国した時、和沙かずさになっていた。

 つまり、和沙も心と体のタイ留学をしていたのだ。


 和沙が普段より暗めの色に仕上がった化粧を終え、ウェストカットロングドレスの衣装に着替えて家を出る頃、恵は微かな記憶を辿り、シャッターの降りた公共職業安定所に着いていた。


「ここがハローワークか……。そりゃ閉まってるわよね~お役所だもん。営業時間は何時までなの?…ゲッ、19時まで?ハローワークって本当に不親切ね、何がハローよ」


 恵は和沙の影響を大きく受けたニューハーフノリの口調で愚痴りながらも、営業時間をキチンと確認し、入り口近くにささっていた就職活動用のパンフレットを一枚手に取り、自分のバッグに入れた。

 ため息をつきながら、再び歩き始めようとした恵の眼中に、ある看板が飛び込んできた。


「……癒しのバー、オリオン?」


 道路に面したハローワークの隣にそびえ立つ商業ビルの一階に、美しい星空が映し出されたLEDビジョンの看板が出ていた。


「…ずいぶんオシャレな看板だと思ったけど、飲み屋か。ウチの近所にこんなお店があったの気付かなかったな。…でも一人で入るのは気が引けるし、オヤジとかに絡まれたら嫌だし、だいたい無職になった日に飲んだくれるなんて絶対イヤだわ」


 恵がオリオンの前を立ち去ろうとした時、急にバーの扉が開き、OLらしき二人組が中から出てきた。慌てて商業ビルのエレベーターホールに行き、エレベーターを待っている人のフリをしながらも、一瞬興味の沸いたバーの様子を知れないかと、OL達の会話に聞き耳を立てた。


「オシャレなお店だったね~、疲れも取れたしすっごく癒されちゃった~」


「バーテンも格好良かったね!これからハマっちゃいそう!」


 テンションの高いOL達の会話をバッチリ聞き、二人が駅の方向へ去って行ったのを確認した所で、にんまり顔の恵は決意する。自分もバー『オリオン』で癒されたい、と…。


 チリンチリン。


 バー店内に入ると、心地の良い音楽が流れ、星をイメージした癒しの装飾達に出迎えられた。

 カウンターがメインの落ち着いたバーの雰囲気に、"傷ついた私の心にぴったり!"と恵は期待を膨らませていた。


「…こんばんは」


 いつもより可愛らしい声を出しながら、恵は挨拶をした。


「いらっしゃいませ、どうぞお座りください」


 恵以外の客はいなかったが、カウンターテーブルの向こうに、まるでモデルのような容姿をしたロングヘアーのバーテンダーがにっこりと微笑んでいた。


「わぁ~、オシャレなお店ですね」


「ありがとうございます。…こちらがメニューになります」


「あっ、どうもありがとう」


 温かいおしぼりとメニューを渡され、顔面ビンタを喰らわせた右手を含む両手を拭きながら、じっくりカクテルメニューを眺めた。

 ラインナップは豊富で迷ってしまったが、お店の雰囲気にピッタリなカクテルを注文することにした。


「……星空のカクテルで」


「かしこまりました」


 シャカシャカ。


 バーテンダーがカクテルを作っている。


 深いため息をつきながらカウンターに肘をつき、シャカシャカ振られるシェイカーをじっと見つめながら、今日起きたことを冷静に考えていた。

 二年勤めたレストランをクビになり、社会から追放された。学歴も若さもない自分は再就職できるのだろうか…、またパティシエとして雇ってもらえるのだろうか…、明日からの生活はどうなるのだろうか…、不安でいっぱいになった頃、恵が注文したカクテルは出来上がった。


「お待たせしました」


 恵の不安を表しているかのように、銀色のシェイカーからグラスに移されたカクテルの色は、深いブルーだった。


「わぁ、青い!」


「ブルー・キュラソーで星空をイメージしています」


「へぇ~、そうなんですか」


 恵はセンチメンタルな気分に浸っていた。

 ブルー・キュラソーを使ったカップケーキを、昔レストラン『クレモンティーヌ』の日替わりデザートで作ったことを、ふと思い出してしまったからだ。

 もう自分はあのレストランで働くことはないのだと、実感が湧いて来た恵は、すべてを忘れるかのようにゴクゴクと星空のカクテルを飲み始めた。

 このお店で今日の事件を知っているのは自分だけ、今は忘れよう。目の前のお酒を飲みながら、現実逃避をしよう……と。


「あ~、サッパリとしたレモン味ですね。見た目も綺麗だし、すごく美味しいです」


「ありがとうございます。…お美しいお客さんにピッタリですよ。今日はお一人なんですか?」


「やだ、美しいだなんて。…女性が一人でバーに来るなんて、おかしいですか?」


「そんなことありません、お一人でも大歓迎です。もし良ければ、お話し相手になりますよ」


「私、そんな寂しそうに見えます?」


「見えますよ…。こんなに美しいのに、物思いにふけていて、まるで悲しい恋をした人魚姫のようですよ……」


 バーテンダーは営業トークで言っている訳ではなく、本気で恵を口説いていた。

 恵は長身で脚が長く、スタイルは群を抜いている。

 長い髪と筋の通った鼻、品のある口元と男性を虜にする澄んだ瞳は、恵が持っている唯一の武器である。そう、唯一容姿だけは良いのである。逆に言えば、容姿以外はすべて最悪なのである。

 今夜も一人の男が、恵を口説いてすぐに(容姿だけで人を見るのはやめよう)と後悔した。


「ふざけんなっつーのよ!」


 時が経ち、恵がカクテルを何杯飲んだか分からなくなった頃、遂に恵の本性が現れてしまった。

 酒癖が悪いのだ。容姿が良くても酒癖が悪ければ、世の中の男は誰も寄りつかないであろう。


「一生懸命働いたのに、私の二年を返せって言うのよ!あのウスラダヌキ……ひっく。星空のカクテルおかわり~!濃くしてねロンゲの兄ちゃん!」


 ニューハーフに影響され普段から口の悪い恵は、酒の力を借りて更にパワーアップしていた。


「…お客さん、もう止めた方が……」


「何?辞めた方がいいですって?私に解雇通知してるの?私はクビ?」


「はぁ?何をおっしゃってるんですか…」


 呆れ果ててドン引きしているバーテンダーに絡む恵は、怒りと共に椅子から立ち上がった。


「あきにゃんだと?笑わせるなぁあ~!今度お前らを絶対ぶっ飛ばしてやるからなぁ~!」


 "ガタン!"と恵が立ち上がった瞬間。


「ああっ、急に立ったらまめいが……、ぁあ~……、あぁ……」


「お客さん!」


 "バタン!"と恵の上半身がカウンターテーブルに倒れこみ、お酒を飲みすぎて頭がクラクラなる感覚と、今日一日で起きた大量のストレスが融合して、恵は哀れな体勢のままぐっすり睡眠モードに突入してしまった。




「うっ……、う~ん……。やだ…、いつの間にか寝ちゃったんだわ……。いてて、背中がいてぇ~」


 どれだけの時間が経過したのだろうか…。

 恵が目覚めると、装飾のLEDは全て消えていて、店全体の照明も薄暗くなっていた。

 バーテンダーは何処へ行ったのだろう、無理な体勢で寝たために痛めた背中をさすりながら、周りを見渡した。


「……やだ」


 後ろのボックスソファに、バーテンダーではない一人の男が、長い足を持て余すように座っていた。

 ボックステーブルの上には山積みの明細、どうやら売り上げを計算しているようだ。


「ん?」


 男がこちらに気付いた。

 三十歳くらいだろうか、座っていても分かるほどの長身で肩幅の広い体格、するどい目でこちらを睨みつけて来たので、思わず足がすくんでしまった。


「あっ、やだ、私……。…すみませんでした、迷惑かけちゃったみたいで……」


「……ああ。……やっと起きたか」


 男は視線を恵から明細に戻し、また売り上げを計算し始めた。

 薄暗い照明に目が慣れて来て男の顔をよく見ると、荒削りだが端正な顔であることが分かる。

 俳優のように整った髪型と、高い鼻と奥二重の目、黒いジャケットスーツを来て、眠りから目覚めたばかりの恵には王子様のように見えてしまった。


「…ごめんなさい、ちょっと酔っ払っちゃって…エヘへ」


「ちょっと?」


「…はい、たくさんちょこっと。…エヘヘヘ」


 この「エヘへ」は、恵がぶりっ子ハマチする時によく使うフレーズである。ちなみに「たくさんちょこっと」なんて日本語はこの世に存在しない。


「……」


 ぶりぶりハマチ作戦が効かなかったのか、男は沈黙したあと、予想外の質問を恵にして来た。


「……お前、いくつ?」


「え?」


 恵の顔は引きつった。

 レディーに歳を軽々しく聞いてきたことも頭に来たが、それより何より、初対面の相手に"お前"と言う人称代名詞を使われたことに本気でイラッとしたのだ。


「……25です」


「……」


 若干声のトーンが低くなりながらも、質問に答えた恵。

 しかし、男は呆れる表情をしてまた沈黙してしまった。


「何か?」


 恵が"言いたいことあるならはっきり言えよ"な態度を見せると、男はこう切り出した。


「25で一人、朝まで飲んで大騒ぎした挙句、所構わず寝るなんて。……オヤジだな」


 耳を疑った。

 初対面の相手に"お前"呼ばわりされた挙句、オヤジになってしまったからだ。

 不服と感じた発言には異議を申し立てるタイプの恵は、黙ってはいられなかった。


「なぁんですって?」


「就職活動中なんだろ。……ほら」


「えっ?あっ!就活のパンフレット」


「…床に落ちてた。…就活中なら、こんな所で酔い潰れてないで、真面目に職探しするんだな」


「ちょっ!私は昨日までちゃんと…」


 言い争う気マンマンの恵だったが、寝ている間にバックからハラリと落ちてしまったらしい弱点を突きつけられ、ぐぅの音も出なくなってしまった。


「もう店はとっくに閉店してるんだ。お目覚めのようだし、…そろそろ帰ってくれないか?」


 恵の完敗である。朝まで店に迷惑掛けたのは恵。"お前"と言われても仕方ない。悪いのはすべて恵だ。この男に根っからのプー太郎だと誤解されようが、何を言われようが、もうどうでもいいじゃないか。


「分かりました。大変ご迷惑おかけしてすみませんでした。では失礼します!」


 心から謝っていない口調で恵は男に謝り、ツタツタと早歩きで入り口に向かった。


「おい、ちょっと待て」


「なによ?」


「勘定」


「……!」


 男に呼びとめられ、お金を払っていなかったことに気付く。何から何まで、この男には敵わないらしい。


「チャージ、ショット9杯で6000円」


「…6000円!?」


 そんなに飲んでいたのか…と落胆しながら、無職の身には痛い大出費をするはめになり、恥ずかしいんだか、情けないんだか、悲しいんだか感情がよく分からなくなっていた。


「財布……、あれ?えっと……」


「…そんなに星空のカクテル、美味かったか?」


 恵がバックの中から手探りで財布を出そうとしている間、男は人の神経を逆なでするような台詞を吐いて来る。


「…はい、6000円!」


 やっとの思いで財布を取り出し、お金をボックステーブルに"バン!"っと若干強めに置いた。


「……確かに」


 そう言うと、男はツタツタと入り口の方へ歩いていき、扉を"バン!"っと開けてこう言い放った。


「さぁ早く帰れ」


 王子様だと勘違いして、一瞬でもぶりぶりハマチを演じた自分が馬鹿馬鹿しく思えた。

 (容姿だけで人を見るのはやめよう…)恵がそう誓った所で、この男に捨て台詞を吐いてやることにした。言い返さないと夜思い出して眠れないからである。


「……態度の悪い店ねー!いやぁねぇー!」


 今の恵には、これが精一杯。


 外へ出ると、空はすっかり明るくなっていて、街は静まり返っていた。

 ふと時間を確認すると、時計の針は朝の5時を指していた。


「ったくなによアイツ、偉そうに。癒しのバー?癒されるどころかイラされたわ!…はぁ~、頭もガンガンするっ。…公私混同オーナーに上から目線男?もうウンザリだわっ。家に帰って二度寝しよう!」


 ボロボロになった心と身体にムチ打って、やっと自分のマンションに帰った。

 速攻でベッドに倒れ込んだ恵は、深いため息をつきながら目を閉じ、何もかもが夢だったらいいのに…と頭の中で願ったと同時に、本日二度目の睡眠モードに突入した。

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