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星空の記憶  作者: 柳瀬亮
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第23話『動き出した時間』

 レストランプレアデスが再開してからの日常は、充実していました。


「何処食べに行く?」


「アタシ、昨日アフターで寿司食ったから、寿司以外がいいわん」


 和沙とも仲直りして、また昔のような生活に戻っていました。


「あーんまり時間がないんだよねー」


 でも、和沙との何気ない会話の中にも、ひょっこり克哉さんが現れることがあって…。




「いいから乗れよ、時間がないんだ」




 克哉さんのことを考えなかった日なんて、一日もなかった…。


 私は、昔に戻ったフリをしていただけかもしれない…。


 それでも時は過ぎて、一年…二年…と、季節は移り変わって行きました。


「先輩、これはどのような工程なんですか?」


「だからなんでも生地作りから入るって教えたでしょ?」


 三年経った頃、私に後輩ができました。

 見習いパティシエの彼女は、私にとって妹みたいな存在になり、和沙とも仲良くなって、プライベートでも一緒に行動するようになりました。




 そして、克哉さんの死から五年経った冬、私はクリスマスイベントの企画会議に出席していました。


「じゃあ、今年のイベントはフロアにプラネタリウムを放映という形で…」


 会議を終えて自宅のマンションに帰宅すると、和沙が部屋の前に座り込んでいました。


「和沙、どうしたの?」


「ちょっとストーカー化した客がいてさ~、怖いから恵ん家に泊まろうと思って…」


「やだー、物騒な世の中になったわね…」


 私は和沙と共に中へ入ろうと、玄関のドアを開けようとしました。


「あっ…あれ?」


 鍵穴の位置がボヤけて分からない。どこに差し込んでいいのか分からない…。


「どうしたの?恵…」


「え…ちょっと…」


 ガチャン。


 無事に扉を開けて中へ入ると、早速和沙からの質問攻めを受けた。


「何よ?どういうことなの?」


 私は和沙に、今の状況を正直に話すことにしました。


「…なんだか最近見えにくくて…。何年か前から視力は落ちてたんだけど、急に右目だけがぜんぜん見えなくなって来て…」


「病院行きなさい!どうして何年も放っておいたのよ!明日出勤前に行きなさい!」


「……うん」


 和沙…。あなたには言えなかったけど、私は完全には立ち直ってないのよ…。

 正直、視力が落ちたって、病気になったって、私には些細なこと。

 あの事件を経験したら、世の中のほとんどがどうでもいいこと。

 自分の健康なんて、どうなったって…。




 次の日、私は病院の待合室にいました。

 軽い検査を終えて、再検査の烙印を押されたからです。


「…網膜中心静脈閉塞症です」


 医者から聞きなれない病名を告げられた。


「眼球が光を感じる組織が網膜なんです。網膜には動脈と静脈が走っていて、御影さんの場合は全体の静脈が詰まって静脈閉塞症を起こしています」


「…じゃあ、私はどうすれば…」


「このまま放置すると、網膜は化学物質を産生します。数年前から症状が現れていたのではないですか?」


「…確かに数年前から見えにくくはなっていました…」


「恐らくあと数ヶ月で、新生血管が増殖していきます。右目に真っ赤な毛細血管が浮き出て、眼球を圧迫し、失明すると思われます…」


「…右目が…見えなくなるってことですか?」


「見えなくなるだけでなく、眼球摘出という最悪のケースも考えられます。今すぐに、右目の手術を行えば、摘出だけは免れます…」


「でも私…パティシエなんです…。片目を失ったら…」


「仕事と命、どちらを取るんですか?」


 ある程度、覚悟はしていました。でもこんなに症状が悪いなんて、私は想像していませんでした。


(克哉さん…。克哉さん…)


 辛くなったとき、心の中でまたあなたの名前を呼んでしまいました。

 こんなときに、あなたが隣にいてくれたら、どんなに心強かったか…。


 私は一人で乗り切らないといけないんだよね…。あなたがいないから…。




 数日後、私は入院しました。手術を受けるためです。

 手術自体は身体への負担が少なく、一日入院すれば済むものでした。

 でも手術自体は難しく、視力の回復は望めないと言われていました。

 眼球摘出を避けるために、毛細血管を取り除く手術…。もう右目に…光は差し込まない…。




 手術は無事に成功しました。

 右目の視力はほとんど失いましたが、眼球摘出だけは免れました。


 でも…。


「…残念ですが検査の結果…、左目にも症状が現れています」


「…左目……にもですか?」


「…この病気は、両目にとても起こりやすいんです…。片方の視力を失ったあと、もう片方も失う方が非常に多くて…」


 両目失明…。


 パティシエとしてもう働けない、これからの人生、暗闇の世界で生きることになる。


 私の心は絶望のふちに立たされていました。


「治療法は…ないんですか?」


「…目の卒中ですので…、レーザー治療、薬物投与くらいしか方法は…。どれも進行を遅らせるだけで、御影さんの場合は末期の状態でして…」


 数年間も異変に気付いたまま、病院に行かなかった自分が悪いのだ。


 でも不思議…、こんな重大なことなのに、なんだか自分のことじゃないみたいに思える。

 克哉さんの事件を経験したら、失明くらいどうってことないのかもしれません…。


 私は手術を諦めて、経過観察の道を選んだ。失明へのカウントダウンが始まるのだ。




「……じゃあ、右目はもう見えていないの?」


「…うん、ほとんど見えてない。手術前から見えてなかったけどね…」


「馬鹿!本当に馬鹿ね!何やってるのよ…」


 家に帰って、和沙に怒られた。

 自暴自棄になっているとか、散々言われた。


 でもね、和沙…。前みたいな私にはもう戻れないの…。

 愛する人を失って、どん底を味わった。愛する人が残してくれた店を守りたいと思って必死に立ち直った。


 それでも…、悲しみは消えないし、寂しさも拭えない…。

 一生、傷が癒えることはないのよ…。


 これが現実…。


 病院なんて…自分の健康なんて、どうでもよかった。


 和沙には、残された片目も失明することは、いえなかった…。




「先輩、まだ帰っちゃだめなんですか?」


「当たり前でしょ!まだ半分も教えてないのよ?…テクニックを直々に教えてあげてるんだから、ちゃんとメモしとくのよ?」


 私は、後輩にパティシエ人生のすべてを連日に渡り教え込んだ。

 失明する前に、自分の技術を伝授したかった。


 レストランプレアデスの味を守ってほしい…。

 私がいなくなっても、克哉さんの店を守って欲しかった…。


「御影くん…」


「……オーナー…」


 私が後輩にスパルタ講師をしていると、厨房に"支配人"が現れた。

 今はオーナーと呼んでいるけど、心の中では"支配人"のままとまっている…。


「ちょっといいかな?」


「…はい」


 私は事務室へ呼ばれ、ソファに腰掛け、お茶を飲み始めた。

 和沙には言えなかった病気の進行を、"支配人"には話していた…。


「…君には、本当に感謝しているよ…。大変な時に、この店のために力を尽くしてくれて…」


「…いえ…。あの時、オーナーが家に来てくれなかったら、私はきっとあの場所にずっと居たと思うので…感謝しています」


「……俺が気付いて、君をもっと早く病院に行かせていれば…」


「そんな……」


「…克哉に怒鳴られるな。…君を守ることができなくて…」


「…オーナー……」


「…その指輪をしている君をみるたびに、俺も克哉のことを考えてたよ…。君にしてあげられることは何なのか…」


「…その気持ちだけで…有難いです…」


「俺は君に…何もしてあげられなかった…」


「やめてくださいオーナー…。私は、このお店で働けて…本当に幸せでした…」


「…そうかな。…そう言ってもらえると、本当に嬉しいよ…。…君の今後は、プレアデスが責任を持って最後まで…」


「そんなオーナー…」


「いいや、これだけは言われてくれ…。君の面倒は…俺が最後まで必ず…」


 "支配人"は本当に優しくしてくれる。


 克哉さん…。


 あなたが仕事のパートナーに"支配人"を選んだこと、間違ってなかったよ…。

 あなたは人を見る目があるのね…。


 克哉さん…。


 視力を完全に失う前に、私には観たいものがあります…。

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