第20話『まぼろしの愛』
「梨香の場所なのよ…梨香の…」
精神安定剤をポリポリとお菓子のように食べながら、レストランプレアデスが紹介されているグルメ雑誌を読んでる女がいた。
「…御影恵……許せない……」
プレアデスから金を持ち逃げし、ホストに愛想を尽かされ、店にも見捨てられた元パティシエの梨香である。
梨香は騒動の後、無断欠勤で勤めていたクラブを解雇され、うつ病を発症し、生活保護を受けてアパートで生活をしている。
処方された精神安定剤の他に、入れ込んでいたホストの友人であるブローカーから、覚せい剤を生活保護費で入手していた。
ドンドンドンドン!!
梨香の部屋を叩く音がアパート中に響き渡る。
「ちょっと!家賃ずっと滞納して!払う気ないなら出て行ってよ!」
「うるさい…うるさい…死ね…死ね…死ねっ!死ねっ!」
梨香は部屋の中で、ブツブツと大家へ対する怒りを露にしながら頭を掻き毟っていた。
「みんな…あの女のせい…梨香の場所…梨香の…」
レストランプレアデスでは、クリスマスイベントの準備が着々と進められていた。
「わ~綺麗!すっごいムード!」
「いいだろ?レンタル料高いんだぞ?」
フロアでは、業者が天井にプラネタリウムの装置をつけていた。
クリスマスイベント中は、プラネタリウムが上映されるという粋な演出である。
初お披露目となる今日、オープン前に恵と克哉はフロアで業者の取り付けを見守っていた。
「…お前と観た星空には敵わないけどな…」
隣に居た克哉が、恵の耳元でボソッと呟いた。
「……うん、そうだね…」
恵も周りに気づかれないように、克哉に耳打ちをした。
告白した日から一週間、恵は最高の幸せに包まれていた。
街もクリスマスムード一色。イベントが終わったら、克哉とあそこに行こう、ここに行こう、と色々計画していた。
「設置完了しました」
「ご苦労様。では事務室の方へ…」
克哉は取り付け業者と一緒に事務室の方へと向かった。恵もそろそろ仕込みの準備をしなくてはならない。
(さーて、今日も一日頑張りますか…)
恵が厨房へ向かおうとした瞬間、入り口に人影が見えた。
(あれ?支配人かな?)
覗き込むと、一瞬で元パティシエの梨香だということに気付いた。
そして、明らかに様子がおかしいことも。
恵はとっさに、克哉がいる事務室へ向かおうとした。
しかし、梨香と目が合った瞬間、梨香は目をむき出し、何かを振り回しながらこちらへ向かって来た。
「きゃああああっっっ!!!」
恵は悲鳴をあげた。梨香は大きな出刃包丁を振り回していたのだ。
「ああああああああああああ!!!死ね!!!死ねぇえええええ!!」
梨香が狂った雄叫びをあげて目の前まで迫ってきた。
もう殺される、刺されると恵は思った。
梨香が振り回している出刃包丁が物凄い勢いで自分へ向かって振りかざされた。
「恵!!」
その瞬間、克哉が恵の目の前へと来て、恵は克哉に抱きしめられた。
恵は目を"ギュっ"と閉じ、克哉に身を委ねた。
そしてすぐに目を開けると、克哉の胸に顔を埋めていることに気付いた。
慌てて今の状況を確認すると、梨香の出刃包丁は克哉の背中に深く突き刺さっていた。
「…い……いやぁあああああっっっっっっ!!!」
包丁からは真っ赤な血が滴り落ちていた。
そして克哉は"ガクンッ"と床へと倒れ込み、一面は血の海へと染まっていった。
「り…梨香やってないもん…梨香…」
ブツブツと言いながらうろたえている梨香を、レストランのスタッフと業者が取り囲み、床に押さえ込んだ。
「克哉さん!しっかりして!救急車!早く呼んで!誰か呼んでー!!」
恵は倒れた克哉を支えながら、何度も克哉の頬を両手で撫で、周りに救急車を呼ぶように叫んだ。
すると、克哉がうっすらと目を開け、恵を見つめて…。
「………愛してる……」
そう伝えると、克哉は再び目を閉じた。
「…克哉さん…克哉さん!」
恵はボロボロと大粒の涙を流しながら、何度も何度も克哉の名前を呼び続けた。
「早く!早く救急車呼んでよぉ……何してるのよ……早くしてよ!助けてよ……」
救急車は約10分後に到着し、克哉を病院へと搬送したが、克哉が意識を取り戻すことは、二度となかった。




