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星空の記憶  作者: 柳瀬亮
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第18話『悲しみでは終われない』

 海岸線沿いの大きな病院に着き、父の病室へ入ると、ベッドに横たわる父の顔には白い布が被せられていた。

 横には、心拍数0と表示されたままのモニターが設置されている。


「…ああ……父さん……」


 恵は、白い布をそっとめくり、父の顔を確認した。


「父さん、どうして…。なんで…」


「…御影恵さんですか?」


 父の横に、看護婦さんが立っていた。恵に声を掛けると、夜中の大部屋で話はできないからと、担当医がいる部屋へと連れて行ってくれた。




「じゃあ…一年以上前から?」


「ええ…。娘さんには内緒にして欲しいと言う本人の希望で…」


「そんな…」


 医者から話を聞くと、父はずいぶん前から病気を患っていて、恵には内緒にしていたようだ。

 母の十三回忌の時も、レストランに食べに来てくれた時も、病状は良くなかったらしい。


「初めは、腰痛の悪化で診察を受けたんですが、精密検査をした所、スキルス胃癌が発覚しまして…」


「…それで、手術は…?」


「英樹さんの場合は既に末期の状態で…。胃壁の中に広がる特殊な進行癌ですから、手術となると、臓器摘出手術と腹部への皮膚移植手術を同時に進行せざるおえない状況でした。抗がん剤治療も激しい副作用がありますので、英樹さんが自身の体力を考慮して、治療は望まず経過観察通院と言う形を希望しておりました」


「じゃあ…父は死ぬのを分かってて…?」


「…よく言っておられました。娘さんが一人前になって、親孝行してくれてると…。もう思い残すことはないと…」


「父がそんなことを?」


「はい。…娘さんに病気を知らせなかったのも、今は大事な時だから…と…」


 医者に言われた通り、もし恵が父の病気を知ったら、きっと毎日介護をするだろう。

 そしてお店も辞めて、また仕事のない生活に戻ってしまう。父はそれを分かっていて、何も知らせてくれなかったんだと、恵は思った。


 看護婦さんが、病室にいる父に白い衣装を着せて、その後に葬儀屋さんが遺体を運び始めた。

 葬儀屋さんのトラックで葬儀屋に着くと、早速事務的な処理を進められた。

 書類に葬儀の希望費用や、棺桶の種類、会場の要・不要を記入していく。悲しみに暮れる時間もないようだ。


「ご遺体は、明日火葬します」


 親戚も兄弟もいない恵は、お葬式は必要ないから…と、密葬を希望した。

 葬儀屋の霊安室に父を残し、恵はスッカリ日が昇った街を歩いていた。

 父を亡くした日…。天涯孤独となってしまった日…。突然のこと過ぎて、どうしていいか分からない。

 病院の事務処理、葬儀屋の事務処理が終わり、気持ちの整理をしようとすると、ブルブル身体が震える。


 恵は、病院から近い海辺の方へと歩き始めた。

 父もこの海を見ていたのだろうか…。もう一緒に歩くこともない。声を聞くこともない。笑顔をみることもない。


 父は死んだ。


 恵は何時間も海辺を歩いた後、タクシーを捕まえて、レストランへと向かった。




「おはようございます…」


 いつもより一時間以上早い出勤をすると、進次郎がフロアでモップをかけていた。


「御影くん…。克哉から聞いたよ…。……大丈夫かい?」


「…平気です。心配かけてすみませんでした」


「いやいや…。辛かったら、一日くらい休んでもいいんだよ?」


「お気遣いありがとうございます。…でも、お客様のためにも、お店の信頼のためにも、私は働きたいんです…」


 恵はニコリと笑い、厨房へと向かった。




 仕込みを始めて数十分後、厨房に克哉が現れた。


「…早いな……」


「オーナー…、おはようございます…」


「……平気か?」


「……はい、大丈夫です…」


「…寝てないのか?」


「家に帰っても寝られないと思うから…。こうやって仕事してる方が、気が紛れます…」


「…そうか。……大変だったな」


 克哉は、恵の隣に並ぶように立ち、右手で腰の辺りを"ポンポン"と優しく叩いてくれた。

 その瞬間、張り詰めていた緊張が一気に解けた恵は、ポロポロと大粒の涙を流し始めた。

 すぐに顔を伏せると、克哉はそっと恵を抱き寄せた。


「……御影…」


「………オーナー…」


 克哉の胸に顔をうずめている恵は、すぐに両手で克哉を押しのけ、サッと生地作りへと戻った。


「で…、でも良かった…、私、裏方で…。こんな顔、フロア担当だったらお客様に見せられないもの…」


 克哉に抱きしめられたことに動揺してしまった恵は、自分でも何をしているのか、何を言ってるのか分からない状態になってしまった。

 コネコネと生地を作りながら、克哉の方を見ることができなかった恵の背中をじっと見つめ、克哉は無言で厨房を去った。


(……オーナー。…なんか拒絶したみたいに思われちゃったかな…)


 本当は克哉に甘えたかった。でも素直に甘えることはできなかった。

 一度でも甘えたら、きっと父に対する想いと、克哉に対する想いが同時に溢れ出して、制御できなくなってしまう。

 今は冷静になって、とにかく目の前の仕事にだけ集中しようと、恵は仕込みに専念した。


 レストランの営業が終わり、恵は大急ぎで後片付けをしていた。

 いつも営業終わりの厨房に顔を出す進次郎や克哉が来る前に帰りたかったのだ。

 進次郎に変な気を遣われたくない。克哉に抱きしめられて拒絶して、どんな顔していいか分からない。早く父の遺品を整理したい。

 色々な想いが頭に浮かんでいた恵は、足早にレストランを後にした。


 家に帰宅すると、寝ていない体力の限界へと到達したせいか、急に睡魔が襲ってきた。

 父が死んだ長い一日が終わった。これは現実の出来事なのか…すべて夢ならいいのに…。

 そんなことを考えながら、恵は目を瞑り、いつの間にか眠っていた。




 翌日、遺品の整理を終えた恵はレストランプレアデス開店の前に火葬場へと向かっていた。

 火葬場に着くと、葬儀屋が父の棺桶の隣に立っていた。


「では、最後のご挨拶を…」


 父に別れを告げ、棺桶は焼却炉へと入れられた。

 思い返せば棺桶の中に入れるような思い出の品も何もない。

 父とは高校を卒業してから、ほとんど会う時間なんてなかった。


 焼かれて骨だけになるまで二時間掛かるらしい。

 恵は火葬場の待合室へと移動した。

 一度外へ出ると、焼却炉の煙突がモクモクと煙を出している。

 これは父を焼いている煙なのか…と、改めて現実のことではないような気分になってしまった。


 焼却され、骨だけになった父の遺骨が集められている。

大きな骨は、恵が箸で骨壷へ入れ、残った骨はホウキとチリトリのようなもので集められて、壷の中に納められた。

 人間なんて、死んでしまえば儚いものだ。

 いつも見守ってくれて、いつも笑顔でいてくれた父が、こんな形になってしまうのだから。


 骨壷を抱えてタクシーに乗り、恵は一度自宅へと戻った。

 喪服から出勤用の服に着替えて、レストランプレアデスへ向い、また日常の生活へと戻って行った。

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