第14話『父と娘と』
レストランが相変わらずの賑わいで、今日も大忙しだった恵は帰宅の準備をしていた。
「御影くん…」
「ああ…支配人。今日もお疲れ様です…」
「お疲れ…。君のお父さんが来ているよ?」
「…父が?」
恵が進次郎と共にフロアへ移動すると、父が入り口に立っていた。
「…父さん!どうしたの?こんな時間に…」
「恵…。お前の作ったお菓子がどうしても食べたくてね…」
「そうだったの…。前もって言ってくれれば良かったのに!」
「いやいや…。せっかくだからお前の顔を見て行こうと思って、終わるまで待ってたんだよ」
「ありがとう…、父さん…」
「星空の記憶…、美味しかったよ…」
「もうやだぁ~、支配人の前で…。親バカなんだから…」
進次郎は微笑ましい顔をしながら、恵と父を見ていた。
「ハハハ…。仲がよろしくて、羨ましい限りです」
「いやはや。この子と二人で過ごす時間が長かったもので、親子と言うよりは友達みたいな感じで…。…出来損ないの娘ですが、これからもどうぞよろしくお願いします」
「いえいえ。恵さんの考案した星空の記憶は、お客様にも大変好評です。とても素晴らしいパティシエですよ」
「そう言ってもらえると、親として鼻が高いです。ありがとうございます」
進次郎は恵をベタ誉めし、恵は天へ舞い上がるような浮かれモードになっていた。
「支配人ったら~!父さんの前で誉められたら恥ずかしくなっちゃうじゃないですか~!」
他愛もない雑談を支配人とした後、恵親子は挨拶をしてレストランプレアデスを去った。
父は終電に間に合うと言ったが、恵は万が一のことを考えて、父を自宅マンションに泊めてあげることにした。
(…あれが御影くんの父親か…。娘と違ってずいぶんと大人しい人だな。…どうしてあんな破天荒な子が生まれるんだ?)
進次郎はフロアで一人、遺伝子の不思議について考えていたが。
二人はマンションに着き、明日もあるから…とすぐに布団を敷いて、寝る準備をした。
「…なんか久しぶりだね、父さんと並んで寝るの…」
「ああ、そうだな…」
「…仕事は順調?」
「ああ、なんとかやってるよ。……恵はどうだい?」
「私もなんとか……」
「…そうか、それはよかった…。恵は昔からお菓子を作るのが好きだったからな…。きっと上手くやって行けるはずさ」
「うん。だけど…好きな事って仕事にすると辛い時もあるよね…」
「辛くない仕事なんてないさ、恵は好きな事を仕事にしているんだから、立派だよ…」
「そうかな…」
「ああ…」
久しぶりの親子水入らずに、恵は嬉しいような、切ないような、センチメンタルな気分になっていた。
「…父さん」
「…ん?」
「…家に一人でいて、寂しくない?」
「…ああ、寂しくないよ…」
「……本当に?」
「……恵の事を考えたり、母さんの事を思い出したりしているからな…」
「…今でも母さんの事…、覚えてる?」
「…ああ。…何が好きだったか、…何が嫌いだったか、…何一つ忘れずに覚えているさ……」
「……母さんに会いたい?」
「……ああ。立派になった恵を見たら、きっと喜ぶだろうな…」
「立派じゃないよ…、いつも周りに助けられてばっかりで…。私は名前どおり、人に恵まれてると思う…。友達のおかげで再就職できたの。それにレストランの人達も、みんな優しいよ」
「そうか………」
父は娘の充実した日常に安心し、深い眠りについていた。
そして恵も、遠い昔に戻れたような安堵感を抱きながら、目を閉じた。
――その頃、レストランプレアデスの元パティシエ"梨香"のマンションでは、大騒動が起きていた。
「……どういう事?」
「あちゃ~…」
梨香が体調不良から、いつもより早くクラブの出勤を終えて帰宅すると、玄関には女物の靴があった。
急いで寝室へと梨香が移動すると、愛する男と見知らぬ女がベッドの上で抱き合っていた。
「…女がいたのね?」
「あ~あ…。バレちゃったよ…」
「ふ…、ふざけないで!アンタ誰なのよ!どういうことなのよ!」
梨香が激怒すると、見知らぬ女が嫌そうな顔をして口を開いた。
「やだ…、この女うるさ~い!金生む便器の癖にさぁ~?」
「なっ、なんですって?ちょ!何言ってるのよ!説明しなさいよ!ええっ?」
「始まったよヒステリー…。これだから年増は嫌なんだよ…。お前なんかな、金づるなんだよ。図に乗って彼女ヅラしやがって…」
男は、梨香のことを呆れた目で見つめていた。
「図に乗って…ですって?」
「最近ぜんぜん金よこさねぇじゃねぇか。金のなくなったお前なんか価値ゼロ、もう終わりだね…。故郷の沖縄に帰ってゴーヤ売りでもしろよババァ」
「プッ!篤志それいい過ぎ!ウケるぅ~!」
梨香はプルプルと痙攣を起こし、寝室にあったオブジェを二人に投げつけながら泣き喚いた。
「出てってよぉおおお~!早く出てけ!ふざけんなぁああ!出てけ!出てけぇええ~!」
「きゃっ!シーサー女が狂った!」
「チッ!クソ女きめぇんだよ。このパティシエ崩れが!」
二人は梨香に文句を言いながら、服を着て、荷物を持ち、梨香のマンションから出て行った。
梨香はその場に泣き崩れ、寝室にはボロボロに破損したオブジェが散乱していた。
早朝、恵は父を駅まで見送っていた。電車に乗る父と、発車時刻までおしゃべりをした。
「悪いな、出勤前なのに駅まで送ってもらって…」
「なに言ってるのよ…。あっ!そうだこれ…。私が作ったお菓子…、良かったら食べて…」
恵は父より2時間早く起きて、お土産用にケーキを作っていた。
タッパーが入った紙袋を父に手渡し、発車のベルが鳴り響いた。
「こんなに沢山?ありがとう…。会社の人達と一緒に食べるよ…」
「うん…」
「…じゃあな。寒くなって来たから、体に気をつけるんだよ…」
「父さんもね…。もう年なんだから…」
「ハハハ…」
電車の扉が閉まり、出発していく。
今度はいつ会えるのか、そんなことを考えながら、恵は父の姿が見えなくなるまで、電車を見送った。
(父さん…。ありがとう…。………さて、家帰って二度寝だわ。睡眠不足で電車の匂い嗅いだらゲロ出そうになっちゃった)
恵にはあまり情緒というモノがなかったが。